オープンにすること
私は分かる通り、SOGIを大々的に公開している。
大学のなかでも割と明かすし、Twitterのプロフィールには堂々と書いてある。
まず言おう。
私にとってこれは予防線であり、小さな小さなデモである。
予防線とはなにか。
端的に言えば、シスジェンダーかつヘテロセクシャルであることが前提の話を振られたくないので自分がそこにいないことを前もって伝えているにすぎない。
あるいはLGBTQ+への嫌悪感を持つ人を遠ざけておくためでもある。
では、デモとはなにか。
世の中にLGBTという属性を持つ人がいるという情報は現代においてかなり広まっていることに異論はないだろう。
でもそこに含まれる人が自分の身近に、ひいては真横にいるかもしれないということをはっきりと意識している人はなんだか少ないように思うのだ。
遠いどこかの誰かが騒いでるだけ。
LGBT関連の報道はそんなように見られていることがある。少なくとも私はそう実感した。
最近、「LGBTとかもうめんどくさい」みたいなことを私の目につくところで、仲間内で言っている人を見かけた。
あるいは「よくわかってないし関わると自分が面倒なことを起こしそうだから」と避けるのも見かけた。
こうなのだ、現実は。
今まで私がいた場所は中学校の時点でLGBTに関する教育をしていたので酷い差別も完全な無関心もなかったけれど、いろいろなひとと関わることになってそういう現実がありありと見えてきたように思う。
そういうひとを変えようという意識はあまりない。
思想を変えようとしたところできっと「めんどくさい」と思う気持ちが加速しそうなので。
でも「LGBTは身近にいるよ!ほらおれがそうだ!」と大々的に言うことで少なくとも私を知る人はLGBTの実例を認識することになる。
「どこかにいるひとたち」ではなく「すぐそこにもいるひとたち」になる。
……そう、信じて私はSOGIをオープンにしている。
最近は少しこわい。
仲良くできるかな、と思ってもそういう嫌悪感情を持ってるかもしれないなと一度思考が回ると声が出なくなる。
それでもこれは俺が決めたことだ。
今までだって声を上げてなきゃ誰もLGBTのことなんて見てくれなかったんだ。
見てくれないなら、シリアスに扱ってくれないのであれば、訴えていくしかない。
ただ多数派の顔を伺ったりするのではなく、対等に話せるように。
このカミングアウトがどんなに小さなことだと言われても、私にとっては大事な選択肢なのです。
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