見出し画像

届け!就活生に(#4) - おススメします、コンサル業界!

『#コーチングを学生に』という活動をスタートする前に、ひさしぶりにLINE をもらった大学2回生(20才)の子と毎週話していることが、何よりも自分の思考整理になっている気がする。その学生くんに、「コンサルっぽいですよね」的なことをよく言われる。

この本に書いてあることをよく言うみたいです。そんなにコンサルっぽさが染み付いている実感はないのですが、生まれつきなのかそういう思考傾向みたい。


第1回:就活編、第2回:新卒入社編、第3回:初プロジェクト編、そして第4回がコンサル会社最終章。(各編のリンクは最下部に)

2009年4月に入社して、2014年6月に退社。たった、5年ちょいだったけど、ここでの経験がなければ、いまぼくの周りにいる人とは仕事ができていなかったと思う。自分で言うのもなんですが、そこそこハイスペック型だと思っていて、それも「できないことでも、あきらめずにトライして、できるようになる」タイプのハイスペック。

たまに、「なんでもかんでも自分でやり切ろうとしてしまうのは良くない」と指摘をもらう場面も多々あるのだけれど💦


やっとSCMだ!

コンサル用語なのかわからないですが、「オンザビーチ」と言われるプロジェクトの合間の休み期間っていうのはぼくにはなかった。ひとつ前のプロジェクトをリリース(≒離れる)よりも先に、次のプロジェクトへのアサイン面談(≒適任かどうかのジャッジ)は終わっていて、手が空いている時間っていうのはなかった。

僕自身は2回のプロジェクト経験しかないのですが、プロジェクトに属していない期間ていうのはなかったし(まぁタイミングもうまく合っていたという事実もあるけれど)、2回ともぼくをアサインしたかったプロジェクトは複数あったと聞いてる。(これも完全にタイミングだけど、それを聞いたときは素直に嬉しかった)

そして念願(?)のSCMセクターのプロジェクトで、やっと自分が属している部署が仕切っているプロジェクトへのアサインとなりました。アウトソーシング事業部→FMCセクター→SCMセクターと、こういう経歴を踏んでいる人は少ない気がする。(コンサル会社は、何が起こるかわからない)

ということで、自分の上司が同じ部署の人となりました。ちなみにこのときは、シニアコンサルタントいう肩書きでした。


提案フェーズ...何したっけ?

提案フェーズからのアサインは初めて。何をしてたんだろーなー、ぜんぜん思い出せない。とにもかくにも、そのクライアント企業の中には、同業者(=他のコンサル会社)が複数社出入りしてて、どこが取るんだろうなって感じだった。

最初の方は、プロジェクトルームっていうのはクライアント側にはなくて、アビーム社内で集まっていた気がします。そこで、クライアント企業と同業者の業務資料を読み込んだり、預かっていた先方の業務システム関連資料を読み漁ったり、ちょっとずつアップデートした提案資料を説明しに行ったり。

クライアント企業のカウンター(=担当者)は、情報システム部門の部長と課長だった記憶があるんだけど、要はこの部長さんが社内で上司を説得するための資料を提示すること、自信を持って「アビームさんが最良の提案くれてますよ」って言ってもらえる関係性をつくること、ってのが提案フェーズの目的かなと思う。

なので、宿題もらったあとにどれだけレスポンス早く・高品質のものをつくるかってのが需要なのかも(浅い内容でごめんなさい。そういえば、これくらいのタイミングで本社が有楽町から丸の内に変わったはず。)


聞けば聞くほど出てくる既存システム

今回のミッションは、国内・海外拠点すべての業務標準化。プロジェクト期間は、10年間ってなってたから、もしかするといまもまだ続いているのかも。というか、スケールがめちゃくちゃデカくて、提案資料の数字を見ても正直実感がわかなかった。(アビーム内でも、そこそこ注目度が高かったような記憶もある)

そういう状況から難易度が高いプロジェクトなんだろうなと思っていて、でも現場レベルでもかなり難易度が高いと実感したのは、既存業務の複雑さと使用している業務システムの多さだった。

提案フェーズの中で、国内の事業所をめぐり、各事業所のIT担当部署に行って話を聞き(=インタビュー)に行った。本社の情報システム部門が把握しているものだけでも、100近いシステム名が羅列されていて理解するだけでも一苦労なのに、各事業所に行けば行くほど、新しいシステム名が増えるという珍現象。

海外にローカルルールがあるのは理解できるにしても、国内でしかも同じモノをつくっている工場であるにもかかわらず、業務システムはまったく異なるものだった。

ざっくりいうと、自動車関係のクライアント企業だったんだけれど、最終メーカー(要は、トヨタとか日産ね)ごとに、ルールが異なるっていうイメージ。As-Is(現状)調査だけでも大変なのに、既存のやり方を統一しようとしたら、けっこうパワーがいるなぁと、前プロジェクトの比ではないなとも思った。


コンサル会社史上、最もしんどかったドイツ出張

そしてヒアリングは海を超えて、ドイツでも実施した。2013年12月27日に第一子が誕生したわけだが、2014年1月は1か月間ドイツにいた。生まれて1週間ほど病院にいた我が子が家に来たタイミングで、ドイツに飛び立った。

正直言って、このドイツ1か月出張がコンサル時代でいちばんしんどかった。

しんどかった理由は完全な力不足。限られた時間の中で、聞き出すべき事項の理解。相手の話から、スムーズな流れを産み出す力。欧米圏でも仕事として扱える語学力。何から何まで、スペックが足りていなかった。

ただただできるのは、日中の英語会議を議事録に翌朝までに完成させること。それをするためには、シンプルに寝ずに英語と向き合うことだけ。日中の会議をすべてスマホで録音し、聞き取れないところは何度も再生し返す。わからない単語は調べる。

ひたすらそんな夜の繰り返しだった。

だから、1週目にスマホを浴槽にポチャンとしたときには、血の気が引いた。PCでググると、米びつにいれて乾燥させればいいとのことだったが、ここはドイツのホテルだから米びつはない。次の手はドライヤーで乾かす。NG行為は、水を出すために振ったりしないこと。

このスマホがなければ、俺はもうダメだという願いが通じたのか、奇跡的な復活。間違いなく、浴槽にあのスマホはダイブしたのだけれど、無事生還してくれて、あれで命拾いした。

それ以外でも、けっこうなポンコツっぷりを発揮。仕事ではないのだけれど、ドイツに来たしサッカーでも見に行きたいとぼくから提案し、ぼくがチケットを手配し、行ってみたら。どアウェイ席だったw

甲子園球場での巨人ファンの居づらさの1万倍くらいという表現でわかるのか、わからないのか。とりあえず、壮絶な現場だった。仕切られている部分には、分厚いアクリル板があって、点を入れようものなら、ビールが投げ込まれるという始末。とてつもなく、苦い思い出。



先輩から学んで即実践→成長の近道

このプロジェクトでは、たくさんの先輩・後輩・同輩と関わることができて、いろんな考え方・いろんな価値観に触れることができ楽しかった。その中でも、自分にとって最も有意義だったのは、身近な先輩の存在。

前のプロジェクトでは、チームメンバーが限られており、それぞれの役割が明確で、職務分担がはっきりしていたがゆえに、チームで協力して何かをしていくというよりも、自分の分野は自分でなんとかするというスタイル。

一方で、このプロジェクトでは、チームにはたくさんの人が関わって、ひとつの成果物を作成するために、何人ものメンバーが関わって、自分の成果物にも細かくレビューが入って、とても鍛えられた。

このときに、この人はこんな資料が好きなんだなとか、この人はここにこだわりがあるんだなとか、仕事の進め方とか、いろんな引き出しを増やすことに。

やっぱり、成長するのには人のまねをするのがいちばん早いし、なぜそのやり方をしているのかということを理解しながら、自分に落とし込む。人を注意深く観察し、良いものを自分に取り入れる術も得ることができた気がする。



自分とみんなは違う(こともある)

おそらく見る人が見れば、ぼくが最後どこのプロジェクトで、どんな上司がいたかはわかるんだけど、けっこう癖の強い人がたくさんいて、「よく、あの人といっしょにやってて、ストレスたまらないね」的なことを、同期メンバーから言われたこともある。

ぼくの特性なのかもしれませんが、誰とでもうまいことやれます。だって、自分が至らないところがあるんだから、それを修正するしかないやん。その人が仮にぼくのこと嫌いだったとしても、それは仕事とは無関係だし。というメンタルで、ずっと仕事をしてた。

だから、ぼくはどれだけ強く言われてもへこたれることはないし。自分のわからないことが解消されない限り、何度でも聞きに行く。これは、新卒から現在の仕事でも変わらないこと。

だけど、みんながみんなそうではないということに気づいたのもこのとき。

「お前は後輩の面倒見が悪すぎる」って当時の上司から評価をもらった。ぼくとしては、納期ぎりぎりで間に合わなくなったら、責任もっていっしょにやり切るというスタンスだったのですが、それでは成長につながらないということ。

最後に尻ぬぐいだけしても、何も残らない。途中のプロセスで、スムーズではないところもしっかりフィードバックしていくから、徐々にできることが増えていく。そういうアプローチをすべきだったと、いまは思う。

とにもかくにも、このプロジェクトで、人と働くことの難しさを痛感。(やっとかよw)でも、自分はどんな環境でも仕事はできるという自負もできた。

画像1


コンサル会社なんでやめたんですか?

とまぁ、ここまで書いて、やっぱり自分にとって良い環境で、良い人たちと仕事に取り組めていて、充実っぷりばかりが思い出される。しかしながら、このプロジェクトを持って、ぼくはコンサル会社を辞めることになる。

辞めたときの理由は、① 子どもが産まれて、子どもと関わる時間を自分の裁量で増やしたかった。② 父親に「会社に戻ってこないか」と言われた。の2つ。

子ども+父親を比較に出したときに、敵うものはない。どれだけ、コンサルになりたくて、良い環境で働いていても、当時の自分には迷う余地すらなかった。

だから、「なんでやめたんですか?」って言われても、「父親に言われたときは素直に嬉しかったし、ぼくは子どもと過ごす時間を大切にしたかった。」と返すしかない。(下のリンクのどれにもあてはまらない)



何度就活してもコンサル志望は変わらない

正直、本編で無理矢理終わらせた感があるし、詳細に思い出せなかったということもある。5年ちょっとの期間は、とてつもない濃密な時間だったし、いまの自分を構築している、とても重要な期間。

冒頭に触れたとおり、ぼくはいまでもコンサルマインドで働いている。それがぼくの強みだと思っているし、それしかできない。

仕事を突き詰めていけば、どんなモノづくりでも・サービス提供でも、コンサルティングでお客様の問題解決に貢献するようになると思ってる。だから、社会人経験が豊富な人は、〇〇コンサルとしても活躍されているんだと理解している。

コンサルマインドな仕事手法や仕事観を基礎スキルとして身に着け、自分の興味がある業界でどっぷりつかり、その業界のコンサルとして生きていくのが、とても理想的なキャリアな気がしている。

ただ、忘れてはいけないのは、常に世の中は変化しているので、情報のキャッチアップや、お客様第一の謙虚さ。コンサルは、あくまでも問題を抱えているお客様がいなければ、サービスとして成立しないのだから、自分の意見だけを押し付けるのはタブーだ。

同じ手法が通用する場合もあれば、まったく通用しない場合もある、そういった臨機応変さがたまらなく大好物だから、ぼくは何度就職活動を迎えても、コンサル1本で就活をする。


おススメします、コンサル業界!

ぼくがいたコンサルティング会社の先輩たちは、みんなお客様のことを第一に考えていた。本物のコンサルタントは、それは基本姿勢として持っている。

自分の知恵をひけらかそうとか、マウントをとろうとか、ベストプラクティスを押し付けようとか、そんな輩はコンサルタントではなく、ただの勘違い野郎だ。

あらゆる仕事の基本は対話であって、すべての職種でコンサルマインドは必要不可欠だと思う。だけれど、ついついそれを忘れてしまうから、いろんな会社でコンサル会社が介入しているのだとも思う。

おススメします、コンサル業界!


2021年3月15日
大野 祐一





第1回:就活編

第2回:新卒入社編

第3回:初プロジェクト編




いいなと思ったら応援しよう!