三次元での私の好みのタイプについてついに確定した話/【#書く習慣】自分が好きだと思うタイプの人【DAY18】
※今回の内容は、私の他名義から移植、加筆・修正を加えたものです。盗作ではありませんのでご理解のほどよろしくお願い致します。
もうタイトルの時点でくっっそどうでもいい〜って感じではあるのだけど、ふと思ったので記録しておこうと思う。
(いや~まさかこんなところで他名義の記事が役に立つとは思いませんでした!笑)
「タイプの人は?」っていう質問に意味ある?
「どういう人がタイプ?」という散々使いまわされたであろうこの質問。毎回毎回答えるのに苦労を要した。付き合って来た見た目性格などのタイプが毎回違うからだ。完全にビジュアル重視とか高スペックが対象であったら違かったのだろうけど、私の場合はまず男女でタイプが変わる。なのでこの質問はいつも私を苦しめてきた。
私も使いがちなんだけど、「どういう人がタイプ?」とはどういう人が正解なんだろうって。質問者は純粋に私がどういった人を好むのか知りたいから聞いているのだと思うけど、答える側になると質問者が求めているであろう答えを探そうとしてしまう。
この答えに正解はないのはわかってるけど、例えば「下の毛がツルッツルの人ですかね!」って答えるのは違うと思うし、「なんか重たそうなもの背負ってる人に惹かれます」なんて言った日にゃ心配されてしまうと思うので、それなりの不正解ではない答えを適当に申してきた。
そんな長年の「どう答えるのが正解なんだろう」問題。つるっとまるっと解決してくれたのはなんと我が家の愛くるしいうさぎたちだった。
私だけに”特別”優しくしてほしい
正直に言う。ペットの面倒を見るのは面倒くさいです。面倒くさいけど、その覚悟と責任を負うと決めたので、どれだけ眠かろうと疲れていようとお世話をします。仕事と一緒でお世話を始めてしまえば可愛さで奴隷になれるけれど、始めるまでがひたすらに面倒くさい。こればっかりは性格なのでしょうがない。
先日も面倒くさいを押し殺しながらお世話に勤しんでいるときに「お前たちは安心して私の愛情を一身に受けるだけで生きてる価値があるのだぞ〜」とうさぎたちに言ったのだ。これだ。これ。
今まで散々「顔が悪くなければ〜」「性格が良ければ〜」「話してて楽しければ〜」などというありきたりな当たり障りのない答えを出していたけれど、そんなことは当たり前なのであって。私にとっては顔も性格も趣味もそれなりであれば充分で何よりも「私に優しくしてくれるかどうか」ってところはだいぶ大切な部分になってくる。私は愛したいよりも愛されたい本気(マジ)での人間だった。
いや、もう、そんなんも当たり前ですよ!?っていう意見もあるでしょうよ。でもさ、これって割と難しくてさ、優しい優しくないの判断って個々によって違うじゃん。「ただ優しい人」なんて求めてないんですよ。「私に優しくしてくれる」かどうかなんです。「私だけに優しくしてくれる」でもないんですよ。
人として、「人にやさしく」は当たり前。でも私だけには”特別”優しくしてほしい。
ホラ、難しいでしょ?
語彙力をフル活用した結果「配慮のある人」
紳士でスマートな人に絆されがちな私でも私基準でのやさしさライセンスが発行されなかった殿方は結構多いです。「配慮のある人間」と言った方が伝わりやすいかもしれない。うん。男女ともに「配慮のある人」だ。
顔なんてあとからいくらでも変えられるから。むだ毛なんかいくらでも無くせるから。髪の毛はなくなっちゃったらウィッグとかあるし。背は伸ばせないけど、収入は努力と知識でカバーできる部分はあるから。
そんなことよりも「私に対して、私の大切な人に対して配慮」ができる人って中々いない。みぃんな私が明け透けもなく話すことをいいことにズケズケと心の扉を蹴破って侵入してくる。千年の恋も冷めるっつーの。
そう思うと旦那は「配慮ができる方」の人間だなと。一切踏み込んでこない。寄り添ってもくれないけど。出来れば寄り添って理解をしてくれようと努力してくれる人だったら尚良かったな。まぁ私も人のこと言えないのでお互い様である。
ここまで書いたところで、私の言いたかった本質の1割も伝えられそうにないなってなってきたので終わりにしようと思う。多分このまま続けても、私の拙い語彙力じゃ言いたいことも言えないPOISONになってしまう。
いつもこうだ。私の中に何かしらの創作意欲みたいな言語を文章化したいみたいな欲求がブワァーっと沸騰して、書きなぐったはいいものの、途中で本質を見失ってしまう。世の物書きたちはすごい。尊敬の頂点にいる。
おわり。