曽我部恵一エッセイ本「いい匂いのする方へ」感想
2日前、サニーデイ・サービスのライブに行って曽我部恵一さんのエッセイ本を買いました。そして本日、一気に読みました。感想を書いてみます。
最後まで読み終わり、もう一度パラパラと本をめくった。
あれ、あれ!?
冒頭にある写真たちが、読む前に見たときと全然違って見える。
文章を読む前、曽我部さんのお家(たぶんだけど)が写っている!とわくわくして、そのおしゃれさにドキドキした。
電球色の灯りの下みたいな、あたたかくてやわらかな空気で満ちた冬の夜みたいな、少し大人っぽい感じ。壁の棚いっぱいにレコードがぎっしりと詰まっていて、レトロでアメリカンチックな広いキッチン、“One Day”のミュージックビデオはやっぱり曽我部さんのお家で撮っていたんだ!と自分の中で答えあわせをしながら、あああすてき!と胸が高鳴った。
文章から、曽我部さんが考えていることや感じていること、大切なものや人たちのことを知った。飾らないスタイルがとてもかっこよくて、だから私は彼を好きなんだなと思った。
彼の言う「かっこ悪くて恥ずかしい自分」を全部見せているみたいな文章とその心意気に、ものすごく共感した。それを抜きにして自分のことは語れないし、語ったとしても自分でないものになってしまう、分かっている以上避けられない、そういうことなんだろう。
まっすぐな、自分の心をごまかさない生き方はときに苦しい。けれどそういう生き方でしか生きられない人がいて、私もそういうタイプなので、それゆえの「いろいろ」が痛いほど分かる。
全部出してしまったときの清々しさ、気持ちよさ。そこまでするから他人の心が動くものになるのだということも、とてもとても分かる。
泣きながら、自分の心と向き合って産み落とした文章は、どんなものでも絶対に、本物なのだ。
曽我部さんの、優しさと激しさを持つ素直な言葉たちに、強く勇気づけられた。そして私が、書きたいことはたくさんあるのに書こうとしても書けなかったのは、うまく書こうとしていたからなんだと気づいた。自分の技量ではまだ書けないような形で、書こうとしていたんだな。
もっと楽に、書いてみよう。とりあえず、書いてみよう。書ける方法で。
曽我部さんのエッセイを読んで、肩に入っていた力がふわっとゆるんだ。
今、本の冒頭に写る曽我部さんのお家には、おしゃれさよりも生活や日常がはっきりと見える。ここに、あるひとつの家族がいて、そのときそのときでいろいろなことが起こって、泣いたり笑ったり体温を持って暮らしている。いのちの営みがある。そして、この写真も文章も彼の人生のほんの一部の切り取りであって、本当に書きたいことの数パーセントも書いていないのかもしれない。
私も、ありのまま、でいたいなと思う。理想の自分ももちろん大切で、目指したいなら目指せばいいけれど、同時にちゃんと今の自分もしっかり抱きしめていたい。
ありのままの自分=理想の自分、になれるときが、いつか来るのか来ないのか。まあ分からないけれど、今の自分を抱きしめることを続けていれば、いつの間にか自分がなりたかった自分になれているような気もする。
あんまり自分に厳しくしないでいたいな。周りの人たちを優しい気持ちで見守っていたいな。
みんなかわいいなあって、もちろん自分のことも、そういう気持ちで、あたたかなまなざしを向けていたいなと思う。
曽我部さん、ありがとうございます!