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エッセイ「燃え殻」

仕事からの帰り道、まあまあ長い運転時間に、スマホでradikoを開いた。くたくたの体でも聴けるようなテンションのものがいいなあ。検索しながら目に入ったのは、「燃え殻」さんの番組。なんとなく聴いてみようという気持ちになって、再生ボタンを押した。

ラジオでは、おそらく燃え殻さんが選んでいるのだろう音楽が流れ、彼自身によるエッセイの朗読があった。昔、テレビ局のバックヤードで働いていたこと、その頃は組織の一員として数字や忙しさに追われた毎日を過ごしていたこと、今はノートパソコンひとつあればどこでもできる仕事に就けていてとても自由だということ…。ゆっくりと、静かな口調で語る声を聞きながら、私はひとつずつ、燃え殻さんを知った。

それまで、私は、燃え殻さんのことをほとんど知らなかった。知っていたのは小説を書いていることと、この数年で私も何度か名前を見かけるくらいの売れっ子だということ。ただ、「燃え殻」という名前は、ある歳のころ私がよく聞いていた馬の骨(元キリンジの堀込泰行さんのソロプロジェクト)の曲名と同じで、燃え殻さんがそれから名付けたかどうかは分からないけれど、私にとって思い入れのある言葉でもあった。だから今日、燃え殻さんの番組を選んだ「なんとなく」も、その歌の印象を重ねていたせいだったのかもしれない。とくに意識はしていなかったのだけれど。

数日前、取材先でひどいことをたくさん言われた。相手は私のことを明らかに見下していて、それが分かるストレートな言葉を投げかけてきた。彼としては、大した実績もないのに一人前にライターを名乗る小娘にエールを送ったつもりだったのだろうか。私も、「そういうやり方でしか伝えられない人なんだろう」と思って、やり過ごそうとした。けれど後になって自分の心と向き合ったとき、すごく傷ついていたことに気づいた。会社に帰って記事を作って確認をお願いした時も、返信されたメールには「まあ我慢できるレベル」と書いてあった。とても悔しくて、そんな言い方ってないだろうと思って、腹が立った。でもそういう人のために私が感情を動かして自分のエネルギーを消耗するなんてもったいない、と思って流すことにした。何度も何度も思い出して、全然流せなくて、もやもやした。

今日、仕事の後に少し時間があって、隣席の同僚にそのことを話した。同僚が一緒に悔しがってくれて、少し、気が楽になった。

ラジオを聴いて、燃え殻さんの過去と、組織の中で行き詰まっている今の自分が重なった。いいことも大変なこともたくさんある日々にいて、自分の本当にやりたいことはなんなんだろう、どんな生き方がしたいんだろう、私に与えられた役割はなんだろう、と毎日考える。とりあえずいろんなことをやってみてはいるけれど、その代わりに生活がままならなくなっている今のやり方は間違っているような気がするし、体は年齢にともなって、ちゃんと、揺らぎまくる。

燃え殻さん、よかったね。幸せを手に入れられたんだね。今は今なりのいろいろもあるだろうけど、自分の望む生き方ができているみたいで、よかったね。少しだけ切なさが混じった祝福の気持ちを贈りながら、踏切で渋滞する列に並んだ時、タン。タン、タン。と馴染みのあるピアノの音が鳴った。私が心のよりどころにする折坂悠太さんの、「朝顔」のイントロが流れたのだった。

一音、たった一音鳴っただけで、胸の奥から一気に感情が込み上げて、私はおいおいと泣いた。ハンドルを握りながら、ああ、やっぱりすごい。この世はすごい、と思った。私の中にどんどん溜まってゆくもやもやと真正面から向き合い、受け止め、流し、未来に向かう力を与えてくれる折坂さんの音楽と、それをかけてくれた燃え殻さん。このタイミングを組み立ててくださった神様。ともに助け合い、もがいてくれる同僚。そして私をたくさん傷つけたあの取材相手にも、ありがとうという気持ちが湧いた。悔しいこともあるけれど、私はやっぱり、私であることをやめられない。

今、私がいる場所は、私がいたい場所ではないのだと思う。私は、私の願いをかなえたい。かなえてあげたい。私のためにがんばっている私を、幸せにしてあげたいし、もっと楽にしてあげたい。少しずつ歩み始めた自分の人生に、進んでいる手応えがなくてなかなかに焦るけれど、こうやっていろんなことが起こるたび、その道で間違っていないよと言われているような気がして、ほっとする。また進んでみるか、という気になって、一歩ずつ、小さな歩みを続ける。

何年後かの私がこの文章を読んだら、どう思うかな。楽しみだな。もしありがとうって思ってくれたら、すっごくうれしいな。

↓その後のエッセイも書きました。(2024年6月追記)

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上野イクヨ
本の出版を目標に執筆を続けています📙📕📘よろしければお力をお貸しください🐆🦒🦓🦩🦚🌬️🫧