"I WANT"を再考する

※2023年8月頃の内容となります。
事情ありこのタイミングでの公開となりました。

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to be continuedした前記事から2週間。その間にも世の中は動き、私はエージェントに登録し、転職の応募をはじめた、訳では無い。どうしてもその前にやらなければいけないことがあると思っている。

0 本題に入る前に
退職しよう…。
そう思いながら、最低限現職の業務をこなすこと、それ自体にストレスを感じる今日この頃。本当に辛い。とにかく辛い。そもそも職場では業務の性質上「頑張れ」という空気が強いのだが、もう退職する決意を固めてしまった以上頑張るモチベーションは存在しない。というかもう頑張れない。業務に忙殺され、限界だ…と感じたから退職したい訳です。頑張れという世界の中で頑張れない状況でいると、そのちぐはぐ加減によって心がおかしくなる。

こんなふうに書き始めると止まらない目先の愚痴は、感情の整理にこそなれ、生産性がない。しかも余計に辛くなってくる。なので、早速本題に入ろうと思う。

1「やりたいことがない」は本音なのか
私はいよいよ、自分のやりたいことを深掘りしなければいけない。
転職活動というか、自分の人生をデザインするとして、自分のWANTを考えることは絶対に避けられない。というか、WANTを明確にしなければ、どんなにお金があっても、家族に愛されようと、たとえ美味しいものを食べようと、絶対に幸せという状態に到達できない。
そう、これこそまさに「幸せは天ぷらそばのようにやってくる」(by佐藤優樹)という話だ。天ぷらそばを食べたい(=食べたら幸せな感情に到達できる、満足できる)と認識したからこそ、我々は天ぷらそばを注文し、手に入れることができる。WANTを考えることは、自分の幸せを考えるということだ
だが、この”やりたいこと”という概念は職探しにおいて非常にやっかいである。そもそも、働くことは義務だ。勤労の義務。憲法にも書いてあるし、働かない、という選択肢は基本的に無い。となると、権利に近い単なる快楽的なWANTが仕事という義務とイコールになるケースは普通無い。

つまり、職探しにおけるWANTはきっと、自分の限られた時間を何に使いたいか、何をすることに対価をもらいたいか、という気持ちだと今の私なら思う。そして、今回の転職の目的が、自分でデザインした人生にすること(=人生の満足度を高めること)なのであれば、常にその仕事をすることに時間を使いたいかどうかを問いながら職探しをすることが重要そうだ。

それとともに私は、自分が今目の前でやってることが、(誰か)の(何か)のために間違いなくなっているという確信が必要らしい。
今の仕事で限界を感じたあの日、私は「自分のこの辛いという感情は、誰かの何かにつながっているのだろうか」という疑問抱いてしまい、それこそが私の心を殺す決定打になったからだ。業務量の多さ(過ぎる)も、やっていることに対する純粋な興味のなさ(商材)も、営業の数字に追われるストレスも、顧客対応上のストレスも、人間関係も、いろいろ原因ではあろうが、多分そこさえ納得できていれば、仕事を続ける理由として機能したと思う。

たとえば今の法人営業であれば、商材が消費者の手に渡り、仲介した人にお金がいき、自分の会社の利益になり、はたまた自分の給料にもなっているのだから、(誰か)の(何か)にはつながっているのだが…
それってこんなに辛い気持ちになってまで貢献したい誰かの何かなのか?
なんか本音っぽいところまできた。

仕事はあくまでも仕事で、辛いことは一定存在するはず。だが、その辛いものを乗り越えるだけの価値が見出せるか、は重要で、その要素として私は、仕事を通じて達成しようとしているものに共感できるかどうか、が大切らしい。(カフェで4年間もバイトをしていたのは、純粋にカフェで空間を提供する事業内容への共感があったからだと思う。)

なのでこのことから、業務内容というより、会社の事業内容と企業のマインドへの共感、の優先度が高そうだ。これが、私の求めているもの「やりがい」の正体の一部だ。
とはいえ、会社の事業内容、企業のマインドへの共感。なんとも抽象的な概念だ。どんな内容なら、マインドなら貢献したいと思うのかを検討する必要がある。それは私の考え方や生き方、興味関心に影響し決まっていると思う。

ここで自分自身をもう一歩深掘りしてみる。私は人生の中で何度も”政治家になった方がいい”と言われてきた。政治家になったほうがいい、という言葉の真意を考えてみると、社会全体の問題とされていることに対する問題意識を強く持っている人だと認識されているということだ。自分としては、普通に生きている中で、普通に入ってくる情報量の中で感じたことを、普通に声に出して語っているだけでも、周囲にはそう言われるのだから、この指摘はあながち間違っていないんだろうと思う。そう思えば、自分はもしかしたら政治家になってみたいような気がする。できるかどうかは別として、そういう道があっても良いような気がする。

でもそれは今では無い。今すぐになれるものではないし、なりたいとも思わない。そういう未来を描いたとして、どんな人間なら政治家になれるのかを逆算してみて、これからの進路を考えるのも良いかもしれないのでは?そう思って、やりたいことを再考していくべきではないか。

では、もう少し別の観点から検討する。私がライフワークとしてやりたいこと、つまり、快楽的なWANTとして求めているものは何なのか、という問題だ。きっと転職活動でいうところの希望条件はこのためにある。でも希望条件、という一言にしてしまうと、なんとなく福利厚生がとか、給料が、といったまやかしの、本音ではない表面的な選び方をしかねない。なので、その実現のためにはどの程度の時間やお金が必要なのか、を具体的に掘り下げなければならない。
たとえば、ギターの弾き語りしたいと思えば時間は必要だが、既にギターを持っているためこれ自体にはお金はかからない。一方で、宝塚を観劇することには1回あたり一万円弱必要だ。また、友人との旅行は私の人生の質を高めてくれるもので、今年は2ヶ月に1回ペースで行っている。だいたい5万円ほどかかっていることを思うと、年間30万。相当な出費であるが、その分の経験値を考えると決して高くはない。むしろ今しか経験できないものであり、思い出という財産を手にすることができると思うと歓迎すべき出費だと思う。つまり自分として譲れない予算が決まってくる。今回の転職の目的を考えれば、ひとまずは、これを希望年収に当てはめていけば条件が自然と決まってくる。

さて、ここまでつらつらと言葉にしてきたことでわかったことがある。「やりたいことがない」は本音ではないということだ。
友達と定期的に旅行にいきたい、美味しいご飯を作り置きしたい、他人の役に立ちたい、社会問題についてアクションできる人間でありたいは全て、私のやりたいことなのだ。
仕事上ではなく、人生として何をしたいかを明確にすれば、やりたいことが本当はあるとわかる。人生の限られた時間を費やすことに納得がいくかどうか、で判断していくことが必要で、それを軸に仕事を考えていけば良い。


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