京都一人で一年住む第5話〜七草汁と基経の墓〜
ついに1月7日、「光る君へ」が放送されました
地震もなく、無事初回放送が出来たこと嬉しく思います。
俊賢はまだ出ていませんでしたが、幼き道長くんが見ていた1話の散楽、安和の変でしたね…
ガイドブックで読んだ時からずっと言いたくて仕方なかったあの話、もしかしたらもう他の人がツイートしてるかもしれない…!と思いながらも「私が言うしかない!」という使命感に駆られツイートしてしまった笑
初めて1000以上バズったのが安和の変で良かったです
また俊賢が本格的に活動し出したら何かまとめるかもしれません!
〜七草汁〜
さて、そんな大河で燃え上がった1月7日は七草の日でした。七草と言えば、私は最近ひょんな事から中公新書「菅原道真」を読み光孝天皇という存在をやっとちゃんと知りました。
光孝天皇は百人一首で
と詠んだ方でもあります。
私は平安中期の源俊賢のオタクという超限定的なオタクでありますので、平安前期のことは全く分かりませんでしたが、優しいフォロワーさん達に教えられてようやく分かってきたところです笑
その時康親王(後の光孝)は藤原基経といとこ同士で幼い頃から宮の人柄に惹かれていたので、天皇にしたいとずっと思っていた…という大鏡の激萌え設定()が良いですよね…(教えられて分かった)
基経、自分の娘も清和天皇に入内させてて親王までいたのにそこで自分の孫にすること無く時康親王にするなんて、マジLOVEすぎですよ(逆に何でしなかったのか気になる…)
そんな基経に愛されすぎていた光孝天皇は当時としても珍しく、料理するのが趣味だったらしいです。
大鏡も古事談も揃いも揃って宮をド貧乏にキャラクリするし、親王時代から自炊していた宮は何と天皇になってからも御所で自炊したらしいです(徒然草)。
天皇になったのは55歳という超破格のおじいちゃん天皇だったわけですが(在位約3年半)、貧しい時代を忘れないよう宮中でも自炊する…という生真面目気質な、でも庶民的である意味現代の象徴天皇制に通じるような可愛らしい方です。
そんな光孝天皇に萌えてしまったので、7日は七草粥…いや一人暮らしで粥はキツイからお汁にしよう!!
と思い立ち、早速スーパーで七草セットを買ってきました。
この時点ではマジで草だ…………
とドン引きしていました
ちっちゃい大根とか普通に固すぎだし、これ食べれんのかよ??と思いながら…
正月に新潟の故郷の味であるのっぺを作ったことにより、干し椎茸を水で戻した出汁がめちゃくちゃ美味いというのを応用して椎茸も入れてみた!
個人的には汁物はよく煮たクタクタのが好きなので、大河始まるまでよく煮込みました。
うしろにサーモン刺身が映り込んでますが、七草味噌汁とご飯と一緒に大河のお祝いという事で1人パーティです笑
ただ味噌汁にしたことで椎茸の良さが消えてしまったかなと思ったので、すまし汁にした方が良かったかもしれません(味噌汁で十分うまかったけど)
〜謎の基経の墓〜
まずはこれをご覧下さい↓
この画像は「大鏡新考」というクソデカレンガ本にて書かれていた基経の墓らしき所です。(この極楽寺町の極楽寺というのが、基経が発願し時平が完成させた寺らしい)
「付近に深い竹林があり、基経の墓所といわれる地があるが明らかではない」
というぼんやりしすぎた内容ですが、京都に住んだからにはこういう隠れ家的な所に行ってみたい!と思い冒険へ!!
最初に言った通り私はまだ前期に片足突っ込んだだけのミリしらファンのミーハーオタクなので、基経の墓と聞くと行きたくなってしまったんですよね…
そういえば道長の本当の墓もどっかの民家の畑?みたいな所だったような気が…(よく分からん)
藤原氏には宇治陵という所もあるし、そこも行きたいのですがまだ寒くてあまり出歩く気になれず。
かと言って今回の冒険、久しぶりにめちゃ寒い日であられに降られたりしながらでした笑(ホッカイロ命)
〜瑞光寺〜
瑞光寺は京阪電車の龍谷大前深草という駅を下車して歩いて8分ほどの所にあります。
行く前にこれ本当に基経の墓なのか?と思ってネットで色々検索しましたが、出てきませんでした。あの本昭和49年情報なので、その当時はそういう伝承とかあったんでしょうか。まぁ悠久のロマンというやつですな。
別に瑞光寺付近に墓かもしれない所がある、じゃなくあくまで付近の竹林にある、なのでここじゃないかもしれませんが…
あの写真が撮られた昭和49年からなんと50年たっていますので、”竹林”は伐採されたりしてしまったのでしょうか。ここは竹林には見えず笹が生えてるなぁって感じでした。でもなんとなく木を間引きした感のある所でしたのでもしかしたら基経が眠っているのかもしれません。
基経がもしここで眠っているのであれば、とても静かでいい土地だなぁと思いました。そっと静かに手を合わせて拝みました。
瑞光寺、普通にデカイお金持ちの家みたいな所だったので誰か怒られたりしたらどうしよう…!とビクビクしながら入りました。こういう時にぼっちだと怖いんだよなぁ。
地元のお寺という感じなのでお墓も沢山ありましたし、やはりちょっと怖かった。人が全然いないのと基経が眠っているかもしれないのも相まって、霊的なものに飲み込まれるような…山とか森の近くに来た時に感じるあの雄大さに圧倒される、そんな感じです(皆さんなりますか?)
竹やぶフィールドワークが終わり帰ろうかな…と思いましたが、通りがかりに瑞光寺より凄そうなお寺があったので行ってみました
〜宝塔寺〜
宝塔寺はもともと極楽寺で、基経が発願し時平により完成された寺であるそう。実は看板読むまでスルーしてたので、墓行ったあとここにも寄ろうってなったの運命的だわって思っちゃいました。
源氏物語で夕霧と雲居の雁ちゃんのお父さん(所謂頭中将かな?)の和解の場となったらしいです(看板より)
ここも前期ゆかりの地ということで
そういえば↑の竹やぶ、写真撮り忘れてたんですが廃寺の石碑があって色々寺があったみたいなんですよね。
もしかしたら基経の墓候補かも…ということで撮っておきました。てか瑞光寺の竹やぶより”ぽい”ですよね()
このお寺が極楽寺……平安の風を感じるー!!
安直ですが、でも宝塔寺の前身が極楽寺なんですからもうほぼ極楽寺でいいですよね!!(勢い)
あんなに行く時あられやら天気悪かったのに、寺巡り始めたら綺麗に晴れて良かったです。超寒かったが。
もしかしたら宝塔寺も光る君へ紀行で出てくるかも。源氏物語の看板あるし。
〜終わりに〜
今回も2つ抱き合わせて書いたのでちょっと長かったかもですね!ここまで読んでくださりありがとうございました
もし基経の墓の伝承などご存知でしたら、コメントして頂いて大丈夫です!
なかなかマニアックな所行ったな〜と自分でも達成感を感じてます。推しの墓があるのは貴重なことなんでね。
ではまた!