「奥能登国際芸術祭2020+」=「再生の儀式」
2021.10.22(金)-10.24(日)
3日間で奥能登国際芸術祭を廻った。
ガイドブックには、「2泊3日で全作品巡る」と書いてありますが、じっくり作品を観るタイプの僕は3日では足りませんでした。
美術館が好きだけれど別に芸術には詳しくない。
「芸術」を目的にした芸術祭も初めて参加。
そんな僕が、今回の芸術祭で廻った作品の考察をしてみようと思います。
ガイドブックや雑誌「能登」の解説も結構引用させてもらいました。
作品によって考察の量に差があります。ひいきではないです。
ただでさえ語彙力が足りない、文章記述力が足りない僕なので、乱文が目に余るかと思います。意味不明な言葉もあるかもしれません。ご容赦ください。
琴線に触れた個人的なベスト7
どれも良い作品、全部の作品を観たわけでもない、芸術に疎いというコンボ技を決める僕が順位をつけるのもおこがましいですが、今回の芸術祭ベスト7を決めてみました。
1 時を運ぶ船(1)
2 記憶への回廊(12)
3 光の方舟(余光の海)(2)
4 第一波(19)
5 チームKAMIKURO(上黒丸 座円 循環 曼荼羅 壱)(43)
6 黒い雲の家(44)
7 小さい忘れもの美術館(34)
廻った作品
1日目
39 ディラン・カク「😂」
41 サイモン・スターリング「軌間」
34 川口龍夫「小さい忘れもの美術館」
33 浅葉克己「石の卓球台第3号」
45 金氏徹平「tower(SUZU)」
30 スズプロ「いのりを漕ぐ」2021
31 中谷ミチコ「すくう、すくう、すくう」
27 村上慧「移住生活の交易場」
26 尾花賢一「水平線のナミコ」
25 中島伽耶子「あかるい家Bright House」
24 ひびのこづえ「スズズカ Come and Go」
2日目
2 スズシアターミュージアム「光の方舟」
3 キムスージャ「息づかい」「息づかい-旗」
46 アレクサンドル・コンスタンチーノフ「珠洲海道五十三次」
4 スボード・グプタ「私のこと考えて」
45 金氏徹平「tower(SUZU)」
8 さわひらき「幻想考」
9 キジマ真紀「ornaments house」
10 カールステン・ニコライ「Autonomo」
11 Noto Aemono Project「海をのぞむ製材所」
1 塩田千春「時を運ぶ船」(2017)
3日目
44 カルロス・アモラレス「黒い雲の家」
43 チームKAMIKURO 5作品
42 四方謙一「Gravity/この地を見つめる」
18 トビアス・レーベルガー「Something Else is Possible」
19 デイヴィッド・スプリングス「第一波」
16 青木野枝「mesocyclone/蛸島」
13 フェルナンド・フォグリノ「わたしたちの乗り物(アーススタンピングマシーン)」
12 山本基「記憶への回廊」
23 ムン・キョンウォン&チョン・ジュンホ「再会」
29 今尾拓真「Work with #8」
39 ディラン・カク「😂」
サルがスマホに没頭している作品。
現代を生きる我々は、暇があればスマホを覗いている。
「駅のホーム」という空間は、現代とリンクしており、駅のホームや電車の中でもスマホを覗いている人のなんと多いことか。羽田空港からの帰宅途中、電車内を見回すと、8割がスマホを観ていた。
二匹の猿は、お互い斜めに座り、スマホを覗いている。交わらないことを象徴しているかのようであった。
41 サイモン・スターリング「軌間」
2人の男性が35ミリフィルム1ロール分のワイヤーを伸ばしていく作業に従事する映像作品。日本の「金継ぎ」に着想を得た作品。タイトルの「軌間」は線路の幅を意味するが、英語で言う「gauge」には、様々な「長さ」を意味する。
ワイヤーを伸ばす行為は、時間をかけて廃線となった線路の再生(金継ぎ)を意味しているのだろう。振り返ってみて、今回の芸術祭の核心に迫る作品だと感じた。
34 川口龍夫「小さい忘れもの美術館」
この美術館には①「忘れられたもの」②「忘れたもの」③「忘れていたもの」がある。①は人間が必要なものとして造ったが不要となったもの。駅や廃線である。②は駅に忘れた傘やイヤホンである。③は人生で必要としていたものですっかり忘れたものである。驚きなのは、服やズボン、ネクタイ、大きい鞄なども忘れ物として展示されていたこと。驚きなのは、服やズボン、ネクタイ、大きい鞄なども忘れ物として展示されていたこと。
ホームには傘が偏在しており、傘の忘れ物の多さを物語っていたようだ。
この作品を観て思い出したのは映画「リメンバーミー」。過去に生きていた自分のご先祖様を思い出す人がいなくなった時が2度目の死であるとこの映画では伝えられている(まだ見てない方ネタバレしてすいません)。
駅舎も廃線も駅に忘れられた物もそれらを利用していた人もそこに生きていた人も全て、覚えている人はどれくぐらいいるのだろうか。どれだけのものが忘れ去られてしまったのだろうか。
33 浅葉克己「石の卓球台第3号」
空き地や公共施設に卓球台が沢山あっていいのではないかという想いから石の卓球台を作ってきた作者。こちらの卓球台は愛媛県債の高級銘石である「大島石」で出来ている。作者は卓球を「絶好のコミュニケーションツール」と考えているとのこと。
僕も今回何年かぶりに卓球をした。彼女との会話が自然と弾んだ。途中、熱が入り、冷静さを失い、女性である彼女に対し、本気を出してしまった。後悔はない。
空を背景に写真を撮ると、空の青さが卓球台に反射して綺麗に映った。
45 金氏徹平「tower(SUZU)」
物の内側と外側を想像することが同時にある感覚が面白いという作者。「穴」は内側と外側を繋ぐ境界である。過去何かの目的に使われていたモノが、今は芸術として再生された。ネズミ型ロボの四次元ポケットのように、過去と現在を繋ぐ穴でもあるのだろう。
30 スズプロ「いのりを漕ぐ」2021
「いのりを漕ぐ」「家に潜る」、「いえの木」、「こめのにわ」、「奥能登曼荼羅」の5作品。
「いのりを漕ぐ」両手で包むように横たわる作品。誰かが暮らしていた家という空間と誰かの思いに包まれるという感覚が伝わってくる。
「家に潜る」暖簾をくぐるたびに、その暖簾の青さが濃くなるという作品。まるで海に潜るように家に潜るということ。その感覚が素敵だなあと。
「いえの木」家でかつて使われていた物が網で包まれ、天井からつるされている。まるで蜘蛛の糸か毛細血管か。はたまた、家の心臓にもゼルダの伝説のボスにも見えた。
「こめのにわ」何の変哲もない庭。周りの作品は人気(ひとけ)があり、外に出れば車も走り、とびもたくさん飛び廻っているのに、ここはとても静か。まるで台風の目のような場所。偶然生まれたのか必然的なものなのか分からないが、その対比が美しく感じた。
「奥能登曼荼羅」現代の奥能登に暮らす人や動物、自然、奥能登の森羅万象が書かれているようであった。現代人ぽい、サングラスをかけたファッショナブルな青年が描かれていたものが印象的であった。まさに現代版曼荼羅図。
31 中谷ミチコ「すくう、すくう、すくう」
20個のオブジェ。いづれにも両手を合わせて水をすくう形が描かれている。通常型を取った際は凸の部分が作品となるが、凹の部分が作品になっている。ここで話す「すくう」とは「救う」「掬う」「巣食う」など、様々な意味を持つ。20の手は、飯田の街で暮らす人たちの手であるが、実際には、コロナの影響により人の手を使うことは出来なかったとのことであるが、ではどのようにして作成したのか。大きな疑問である。
27 村上慧「移住生活の交易場」
1畳分の広さの発泡スチロールの家を背負い、様々な場所を借りて暮らしている。生活しているというよりは、生活させられているという感覚に加え、東日本大震災により「住む」ことを再考するため移住生活を開始したとのこと。旅の途中で採取したものを作品として売り、買った人は同額のレシートを手に入れ、作者の生活費を賄うという意味で「交易場」と呼ぶ。
家には現在誰かが住んでいる家もあれば、誰かが住んでいたが今は誰も住まない家(空き家)もある。津波に流された家、放射能の影響により住めない家、作者の発砲スチロールでできた家…同じ家であるが、「住む」という観点では違う家となる。今回奥能登では、多くの空き家がアーティストによりリノベーションされ、「住む」とはまた違う別の家が完成した。
26 尾花賢一「水平線のナミコ」
別れをテーマにした作品。作者は、さようならの先を突き詰めると、悲しさとか別れとかではないものに出会えるのではないかという希望と救いを求めて作品にしたとのこと。
25 中島伽耶子「あかるい家Bright House」
家中に空いた穴。真っ暗な部屋に降りかかる光はまるで蛍のようである。
部屋は心で、光は誰かの言葉や想いだろうか。明るさは現代の欲望の象徴と作者は話す。欲望(光)と無気力(影)の対比だろうか。
僕は、それが偏ることなく、均衡を保つ事が大切であると考える。
24 ひびのこづえ「スズズカ Come and Go」
おしゃれな衣装が並ぶ部屋、その中でひときわ目を引いたのは「掃除機人間」みたいな作品。掃除機は何を吸うのか。おしゃれな衣装が並ぶ部屋、その中でひときわ目を引いたのは「掃除機人間」みたいな作品。掃除機は何を吸う。
2 スズシアターミュージアム「光の方舟」
「余光の海」「世界土協会」「待ち合わせの森」「ドリフターズ」「覗いて、眺めて、」「The missing shade 59-1 Untitled」の6作品。
「余光の海」について
カイダコというタコがいて、そのメスのみが持ち、海面を浮遊して何度か子育てをし、その後貝は手放され、海岸にはそれらが流れ着いている。スズシアターには多くの民具が集められており、それらはまるで、浮遊した時間の浜に打ちあがった記憶の余光のように思えていて、「余光の海」というタイトルにしたとのこと。
海をイメージして作られたこの作品は、舟やピアノが砂浜に横たわり、砂浜はプロジェクションマッピングにより海のうねりが映し出される。そこに生きた人たちの思いや愛用したものが、長い間浮遊し、奥能登芸術祭という祭典で浜に打ち上げられ、それらを見つけ、再生する芸術家。
天井には、まるで海の中にいるように、水の気泡と波に満たされている。
今回大々的には公表されていなかったのか、この「余光の海」では、ディズニーランドのような劇場(アトラクション?)が数時間(1時間?)に1回行われているようだった。たまたま、団体の方々が観客席となる場所に集い、何かを待っているかのようなそぶりをしていたために観ることが出来た。
アトラクションでは、それぞれの民具が意思を持ち、躍動し、音を鳴らし、煙を吹き出し、まさしく魂を宿したようであった。これがとても美しく、語彙力のない僕は、あまり上手に表現できないのが悔しい。とにかく、とても美しかった。
他の作品も素晴らしいものであったが、この作品がとても感動し、強く印象に残った。
3 キムスージャ「息づかい」「息づかい-旗」
海岸繊に鏡が3つ。鏡を「存在を概念的に捉えるツール」と呼ぶ作者。
第三者的視点(鏡)を通すと、宇宙、地球、生物の息づかいはすべて同じ生命であることに変わりはないということを言いたいのだろうか。
46 アレクサンドル・コンスタンチーノフ「珠洲海道五十三次」
屋根付きのバス停を珠洲の風景の特徴の一つと考えた作者の作品。市内のバス停4つを作品化。垂直平行にアルミニウムのパイプで包み込む。「能登洲崎」のバス停は、まるでチョコレート「紗々」に見えて仕方がない。
4 スボード・グプタ「私のこと考えて」
海岸に漂着したもので積み上げた作品。私というのは地球であり、環境問題に警鐘を鳴らしている。非常にわかりやすい。バケツはどのようにして固定したのか気になる。
8 さわひらき「幻想考」
「映像の時間軸と撮りためたイメージのコラージュを使い、意識や記憶のなかの心象風景を表現したり、映像を立体造形物と再構成し、現実にはありえないがどこか親しみのある世界を生み出す」とのこと。
作品を観た後だと、言わんとすることがなにとなくわかる。
不可思議な空間であった。親しみと書いてあるが、映像を見る限り、どちらかというと無機質と狂気を感じた。
すごく惹かれたが、時間がなく、すぐに出てしまったことが悔やまれる。
9 キジマ真紀「ornaments house」
「記憶の片隅にあるものや家のどこかにしまわれているもの」をテーマにワークショップを事前に開催。そこで地域の方が作った作品を、かつて船小屋だった場所で吊るし、展示。
そこにはチキンラーメンや時計、花などが飾られていた。
「自分の大切なものを思い出す時間も作品の一部」であり「一人一人がアーティストとして参加してもらう感覚」と話す作者。一人ではなく、地域の方と作った作品、なんだかほっこりした。
会場では、子どもたちが楽しそうにはしゃぎまわり、作品を興味深そうに観ている様子がとても印象的であった。
10 カールステン・ニコライ「Autonomo」
テニスボールが送球機から飛び出し、軌道は偶然性により決定される。大きなフライパンのような、形の異なる円盤がぶら下がる。円盤に当たれば、「ゴーーーン」という音を出す。それが非常にシュールであった。
視覚的且つ聴覚的彫刻作品であり、作者は「重要なのは、テニスボール送球機が生み出す偶然性」とのこと。
11 Noto Aemono Project「海をのぞむ製材所」
タイトルの通り、海をのぞむ製材所である。
ここでは多くのベンチが造られ、すべてのベンチの延長線上に地平線がある。奥能登では、しばしば海をのぞむことができるが、海をのぞむフレームが変わると、海の見方が異なってくる。
山の木が使わなくなれば、山が荒れ、山に繋がる川や海、里山の豊かさが失われる。おいしいお魚も食べられなくなるかもしれない。かつて「森は海の恋人」を合言葉に植樹活動をした畠山重篤さんのように、この製材所は、森と海の橋渡しをしているようである。
1 塩田千春「時を運ぶ船」(2017)
珠洲市には、製塩技術が日本で唯一、重要無形民俗文化財に指定されている角花家をはじめ、10余りの製塩業者が点在している。
角花家の角花菊太郎さんは大正8年生まれ。戦時、戦場ではなく製塩技術を継承するよう命じられ、塩を作り続ける。戦後、部隊の戦友は全員戦死してしまう。この塩づくりにより自分の命が生かされたという思いが強く残り、どんなに苦しいことがあっても塩づくりを守り続けることを自分の人生の課題とした。
作者は、このエピソードをもとに作品を制作した。「能登の塩づくりには、今も生きた技法と人々の物語がある。私が作る『時を運ぶ船』はそういった人々の生活と歴史を乗せて、人の心と記憶を赤い糸で結んで行く。」「能登の塩づくりには、今も生きた技法と人々の物語がある。私が作る『時を運ぶ船』はそういった人々の生活と歴史を乗せて、人の心と記憶を赤い糸で結んで行く。」
エピソードを見たとき、角花菊太郎さんは、仲間が全員戦死した時、どれほど悲しかったのだろうか、そして生かされ、塩づくりを生涯貫くと決心した思いはどれほどのものだったのか、その後どれほどの苦労があったのか、想像すると胸が詰まった。こっちまで辛くなってしまった。
今自分には住む家が、着る服が、食べる物が、地面を踏む足が、パソコンを打つ手が、車が、自転車が、道が、空気が、有る。それは、両親や自分のご先祖様はもちろん、いろいろな人たちがたくさんの苦労をして築いてくれたもので、そしてたくさんの人の時間や命が犠牲となっている。改めて自分の生活がどれほど多くの人に支えられてきたか、今も支えられているかがよくわかる。
この船は、かつて生きた人の心や記憶、思いといったすべてを乗せ、決して風化させないために、現代を生きる皆の心臓(毛細血管)に刻み、共に未来へ向かうように視えた。
44 カルロス・アモラレス「黒い雲の家」
作者は祖母の死をきっかけに、「黒い家」と名付けたインスタレーションのシリーズを各地で展開してきたと言う。
本作は、空き家を舞う黒い蝶に焦点を当てている。
なぜ、黒い「雲」と表現したのだろう。
たいていの雲は白い。正確には、太陽の光が反射して「白く見えている」のである。雨雲は、上から見ると白いが、下から見ると黒い。これは、雨雲の層が厚く、太陽の光が遮られた結果、黒いのである。黒さは雲の影である。
つまり、人が住まない空き家は、光が当たらず、黒い雲の下に存在する。
そして、部屋に舞うのは「黒い蝶」
黒い蝶は、スピリチュアルの観点で、誰かの死が近づいているという兆しという考えもあれば、死者が蝶となって姿を現すという考えもある。実際に、誰かの死の直後、黒い蝶を観たという体験談が多い。
では、この家に飛ぶ多くの黒い蝶は、この家にかつて住んでいたご先祖様なのか。それにしては数が多い。
奥能登では祭りの日に親戚友人らを招いてごちそうでおもてなしをする「ヨバレ」という独特の風習がある。
作者はメキシコ人である。メキシコでは、毎年11月1日、2日を「死者の日」とし、死者を偲びそして感謝し、生きる喜びを分かち合う。
つまり、この空き家(黒い雲)で、かつて生きた地域の人(黒い蝶)が死後ここに集い、死者が「ヨバレ」により宴をしている様子を想像して作ったのかのように思えた。
43 チームKAMIKURO
「上黒丸 座円 循環 曼荼羅 壱」「ちいさなものがたりがかり」「更新される森」「上黒丸 座円 循環 曼荼羅 弐」「上黒丸 座円 循環 曼荼羅 参ー行雲流水 上黒丸〇」の5作品がある。
「上黒丸 座円 循環 曼荼羅 壱」について
体育館の中央に、板材を10段に積み重ねた円形の棚を作成。棚には、地域の人たちの思いが詰まった写真や道具などを配置。円形の棚の周囲には、山から移植した植物が植木鉢に植えられている。
それぞれの人がそれぞれ持つ個性によって縁を持ち、そこにはもちろん里地里山という自然も縁が形成される。そうやって、この社会は円を形成していくという現代版曼荼羅図をまさしく描いたような作品であると感じた。それぞれの人の個性を表しているのが「ちいさいなものがたりがかり」、里地里山を表しているのが「更新される森」、里地里山との一体感(縁)を感じる場所が「上黒丸 座円 循環 曼荼羅 弐」、人と里地里山の縁をつなぐのが「上黒丸 座円 循環 曼荼羅 参」といった印象であった。
ちなみに、「上黒丸 座円 循環 曼荼羅 参」にて、鈴木大拙が珠洲の小学校で教員をしていたこと、また鎌倉の円覚寺に縁があったことを知った。
5年前、2度目の金沢を訪れた際、一番気に入ったのが「鈴木大拙館」であった。そして、昨年何度目かの鎌倉を訪れた際、初めて「円覚寺」を訪れたが、鎌倉で1,2番に好きな場所となった。不思議な縁を感じた。また、ここに着いた時、たまたま車から流れていたのは「the chef cooks me」というバンドの「環状線は僕らをのせて」という円について歌っている曲。ある意味これも縁だと思った。
また、ここに着いた時、たまたま車から流れていたのは「the chef cooks me」というバンドの「環状線は僕らをのせて」という円について歌っている曲。ある意味これも縁だと思った。
歌詞の一部を抜粋する。
「僕ら一人でも知らずにあらゆる輪 作り響きあい 捧げあい 円描く すれ違う悲しみも 混じりあう喜びも 線と線結んでみる つながったら円」
42 四方謙一「Gravity/この地を見つめる」
切り込みを入れたステンレスの鏡面板を吊るしたフレームをグラウンドに配置する。板ごとに切り込みの場所や長さが異なり、重力によるたわみ方、風が吹いた時の回転の仕方、そして板を含めた景色の観え方が異なってくる。そういう意味で、「地球にまかせる」がコンセプトとなっている。
かつての牛小屋を使用しているが、板が風でたわんだ時の音が、まるで象の鳴き声のように聴こえ、それがまた面白い。
18 トビアス・レーベルガー「Something Else is Possible」
この作品は、芸術というものを僕ら一般人にも「よくわからないが、芸術だ」と視覚的にわかりやすくさせた、美術の教科書にも載りそうなものだと呼ぶと失礼だろうか。
タイトルは日本語で「なにかほかにできる」
こういう表現、どこかで覚えがあると思い、作者のことをインターネットで調べるたところ、8年前、豊島で観た作品「あなたが愛するものは、あなたを泣かせもする」がヒットした。これだ。
やはりこの作品も、まさしく美術の教科書に載りそうな作品であった。
19 デイヴィッド・スプリングス「第一波」
作者が最も強い印象を受けたというのが、能登の荒波であり、それが作品となっている。
遠くから見ると1枚の巨大な絵に見えるが、15枚のフィルムを重ねてある。
この作品の熱量はとんでもない。15枚のフィルムを重ねているのもあるのだろう、圧倒的立体感。
この作品が展示されている場所はかつて使用された漁具倉庫で、入り口から入ると、足元も全く見えない真っ暗闇で、それがこの作品を際立たせていたに違いない。
16 青木野枝「mesocyclone/蛸島」
30年前に廃業した銭湯を舞台にした作品。30年前といえど、建物は綺麗な状態で維持されていた。
脱衣場には、鉄のリングが螺旋状に立ち上がっている。タイトル「メソサイクロン」は低気圧の循環構造を意味し大気や水蒸気の上昇と下降を意味するのだそう。
銭湯には、石鹸が積まれている。視覚的な遊び心と石鹸の良い香りによる嗅覚的な包容力を感じる。
13 フェルナンド・フォグリノ「わたしたちの乗り物(アーススタンピングマシーン)」
作者は、珠洲焼の文様にインスパイアされ、巨大なスタンプ機を作成した。スタンプ機を押して歩くと、スタンプが砂浜に描かれるというもの。
他にも、桑のようなものや竹馬のようなものもあった。家族連れの子どもだけでなく、お父さんも楽しそうに遊んでいた。小学生のころ、近所の公民館の子ども部屋で、自分より小さい子たち(3~5歳?)が、小さな木馬の乗り物で遊んでいたことを思い出した。木製のおもちゃは、いつだって子ども心を刺激する。
12 山本基「記憶への回廊」
作者の作品会場はかつての保育所である。
作者は奥さんを病気で亡くした後、当時4才の娘さんと二人暮らしを始め、毎日保育所に送り迎えをされていた。
「保育所は心の支えであり、多くの人たちに助けていただいた感謝の場である。」
保育所は、青と白の迷路のような模様で溢れている。奥の部屋に進むと、塩の階段が天井に届かんとしている。
「迷路のような模様は、大切な思い出と今の自分をつなぐ路として、20年間描き続けてきた形であり、その路を描くという行為は、過去の出来事、思い出にアプローチするための試みであり、それは未来に繋がっていてほしい。」
鮮やかな青は、奥さんが「私が死んだら空へ行くわ。」と話していた空の青。塩は、若くして亡くなった妹さんの葬式で、浄めの塩を目にし、そこから思いついたもの。塩は、若くして亡くなった妹さんの葬式で、浄めの塩を目にし、そこから思いついたもの。
20年間の路は選択の連続で、それは決してすべてが思い通りではなく、紆余曲折し、苦悩や失敗も沢山あり、「あの時ああしていれば」と思うことが何度もあったのかもしれません。何度も迷子になり、自分が進む道はこれでいいのかと何度も自問自答を繰り返す。だから迷路になっている。
失敗は、ずいぶん後になって「あの時この失敗があったから今の自分は~できる。」とようやく気付くことが多い。失敗が大きければ大きいほど、それが良い経験だったと思えるまでに時間がかかる。
作者は、「すべては未来につながっていてほしい」と話す。それは、今までの自分の路(迷路=経験)がすべて良いものに昇華されて(=浄化されて)欲しいという気持ちであるように思える。もちろんそこには、亡き奥さんや娘さんも含まれている。そういった気持ちが、最後の塩の階段に昇華されている。
年を追うごとに昇華される思いが募り、階段状に増えていく。途中、昇華したくても昇華しきれない人生の出来事が階段の途中の崩落を表しているようだ。
それらが天井に届くころに、天国へ行く(人生が終わる)ことを意味するのだろうか。
23 ムン・キョンウォン&チョン・ジュンホ「再会」
珠洲にはかつて、能登瓦と呼ばれる、雪に強い真っ黒な瓦を製造する一大産業があり、そのひとつの工場であった場所を使用している。工場内では、見えないいくつもの場所から打楽器のような音が聞こえてくる。人がいるわけではない。どのように音が鳴っているのか。
かつて栄えた工場の、かつて奏でた音が蘇る。
工場内の錆や工場からはみ出た煙突が、斜めに倒れているのが印象的で、時間の経過を物語っているようであった。
29 今尾拓真「Work with #8」
昔は図書館であった場所で、空調設備はいまだにプログラム制御により吸排気する。そこにリコーダーとハーモニカを取り付け、吸排気に合わせて音色を奏でる。アイデアに脱帽した。この音を使い、作曲する人がいたら、それはそれでさらに面白くなりそうである。videotapemusicさんよろしくお願いします。
奥能登国際芸術祭は「再生の儀式」
映画「リメンバーミー」をご存じだろうか。
映画の中で語られるのは、人には2度の死があること。
1回目の死は人の死であり、2回目の死は誰の記憶からも忘れ去られてしまうことによる死である。
芸術祭では、現世において人やモノとさよならをした「1回目の死」、一度は忘れ去られた(かのように思われた)「2回目の死」を迎えた人やモノに焦点を当てている。かつて生きた人たちやその人たちを支えたモノの足跡を、「金継ぎ」という行為で再生したのだ。サイモン・スターリング氏の作品である「軌間」はまさしく「金継ぎ」から着想を得ており、時間をかけて朽ちた廃線を、時間をかけて再生した。
奥能登国際芸術祭は、メキシコでいう「死者の日」であり、再生の儀式である。彼らは2、3度目の人生を歩むことになる。
今回の大舞台である「スズシアター」は、この芸術祭の象徴である。
ここには、多くの民具が集められており、それらはまるで、浮遊した時間の浜に打ちあがった記憶の余光のように思えていて、「余光の海」というタイトルにしたと作者は話す。
かつての人たちに愛用された民具は、誰かの記憶に残り、奥能登国際芸術祭という舞台の浜に打ちあがったのである。
「余光の海」で行われた劇場(アトラクション)では、モノに命が吹き込まれたような瞬間であった。それぞれの民具が意思を持ち、躍動し、音を鳴らし、煙を吹き出し、まさしく魂を宿した。
今回参加されたアーティストは皆、再生の儀式を行った。
カールステン・ニコライ氏は「Autonomo」で保育所に、キジマ真紀氏は「ornaments house」で船小屋に、中島伽耶子氏は「あかるい家Bright House」で空き家に、アレクサンドル・コンスタンチーノフ氏は「珠洲海道五十三次」でバス停に、青木野枝氏は「mesocyclone/蛸島」で銭湯に、金氏徹平氏は「tower(SUZU)」で地域独特の建造物に、ひびのこづえ氏は「スズズカ Come and Go」で保育所に、フェルナンド・フォグリノ氏は、「わたしたちの乗り物(アーススタンピングマシーン)」で巨大なスタンプ機に、ムン・キョンウォン&チョン・ジュンホ氏は「再会」で能登瓦工場に、今尾拓真氏は「Work with #8」で旧図書館に…皆が命を吹き込んだ。
では、なぜ儀式を行ったのか。
死とは、言い換えれば、だれ(なに)かとのサヨナラである。
尾花賢一氏は「水平線のナミコ」で「さようならの先を突き詰めると、悲しさとか別れとかではない、希望と救い」を求めた。
その希望や救いとは、人やモノの死(=喪失)によりかつて誰かが味わった悲しみ、苦しみや葛藤、そういった中でも生き抜いた姿勢を後世に伝え、今を生きる僕たちがそれらを生かし、さらに後世を生きる生きる人たちに残すことではないだろうかと僕は考える。だから再生の儀式を行う。
塩田千春氏は「時を運ぶ船」にて、かつて生きた人の心や記憶、思いといったすべてを乗せ、決して風化させないために、現代を生きる皆の心臓(毛細血管)に刻み、共に未来へ向かうように視えた。
山本基氏は「記憶への回廊」にて、かつての苦悩を塩により浄化し、未来へつながってほしいと話した。
コーヒー豆を濾過し、濾物へ感謝を込めたサヨナラをし、その濾液をありがたく味わうように、過去の思いを濾過し、濾物へ感謝を込めたサヨナラをし、その濾液を今生きる人たちがありがたく味わう。
格好つけて言えば、「さよならだけが人生」ではない。「さよならだけどさよならじゃない」のだ。
奥能登国際芸術祭が描く「円」
今も昔も変わらないのは、人は、人と人とが支えあい、生きているということ。そして、そんな人を支えているのは、海や森、川といった自然、さらに言えば地球や宇宙となるである。すべての点が繋がり、「円」(縁)を形成する。仏教でいう「曼荼羅図」である。スズプロの方々が作成した「奥能登曼荼羅」、中瀬康志氏の「上黒丸 座円 循環 曼荼羅 壱」には、現代版曼荼羅図が描かれている。
ディラン=カク氏が「😂」で、人と人が面と向かって対話をしたかつての時代とスマホ越しで対話する現代の対比を表現しているように、スボード・グプタ氏が「私のこと考えて」で、環境問題に警鐘を鳴らしているように、現代社会では、昔と比べて「円」が薄れている。
そんな事実を僕ら一人一人に感じさせ、薄くなった円を濃く上塗りし、消えた点を呼び戻し、線を結ぶ役割を果たしているのもこの芸術祭であるように思える。
人と人との対話という点で、浅葉克己氏は、卓球を絶好のコミュニケーションツールと考え、「石の卓球台第3号」を作成した。
村上慧氏は約1畳分の広さの発泡スチロールの家を背負い、能登半島を1周する移住生活を行った。その中で、敷地を貸してくれる方々と面と向かって対話をし、住まう場所を借りた。
人と自然との対話という点で、キムスージャ氏は「息づかい」で、宇宙、地球、生物の息づかいはすべて同じ生命であることに変わりはないことを伝える。
Noto Aemono Projectの方々は、「海をのぞむ製材所」で、製材所の役割として、山の木を使用することにより山だけでなく、川や海といった自然を守ることに繋がることを伝える。
四方謙一氏は、地球にまかせるをコンセプトに「Gravity/この地を見つめる」を作り、モノも景色も、重力や風で刻一刻と変化することを伝える。
デイヴィッド・スプリングス氏は、「第一波」で、能登の荒波=自然の圧倒的な強さを伝えている。
それぞれがそれぞれの円を描き、この芸術祭は、大きな円を描く。
では、僕たちは、どのような「円」を描くのか。言い換えれば、どう生きるのか。それを、奥能登でかつて生きた人たちは問うている。
僕は、僕たちの描く「円」が、大きなものである必要はないと考える。
まず、生きているだけで点を描き、線を結び、円を描く。人の存在は、そこに点を打つ。そして、誰かと何かで関わる(縁がある)だけで、線を結ぶ。それは、誰かと直接かかわらなくても、ご飯を食べるだけで、それを生産した農家の方、それを運ぶ人、提供する人、広報する人…たくさんの人と線が結ばれる。自分と結ばれた線を覆うように、「円」が出来上がる。だから生きているだけで、人を支えることになる。
どんな行動を起こしても、円は描かれる。
まずは、ミクロとして自分のために円を描く行うことから始め、家族や友人、知人のために円を描いてみる。それは、歪な形でも良い、とりあえず身近なところで円を描く。失われつつある身近な円を描くことが、自分や周りの人、ひいては地球や宇宙を支える大きな円となる事を、この芸術祭が伝えているように思えてならない。
トビアス・レーベルガー氏が作品のとおり、「Something Else is Possible」と言うように、誰しもが、その人に出来ることはある。
感想、完走
「3日もかけて作品を廻る」最初はそんな思いであったが、最後には「たった3日で作品を廻る」ことになった。時間が足りず、ほかの作品を観る時間も考慮し、ゆっくり見ることが出来なかった作品も多々。8さわひらきさんや43チームKAMIKUROなど、映像をすべて観ると30分を超えるものがあた。割愛せざるを得ませんでした。それはとても悲しいことであり、悔しいことです。
作家の方や奥能登のこと、珠洲のことなど、ほぼ事前情報(予習)なしで参加させてもらいました。もし予習していたら、作品への洞察がより深まったのではないかと感じました。というのは、1,2日目に様々な作品に触れ、そこから奥能登のこと珠洲のことを知り、奥能登芸術祭の目指す共通の像のようなものが見えてきて、3日目に作品を見るときは、「見る」行為がただの見るではなく、1,2日で得た知識や知見のフィルターを通しての「観る」に変わり、作品への洞察が深くなったと感じたからです(ただ、あまり知識をつけても、今度はそこからの結びつきをイメージしすぎて視野狭窄に陥る可能性もあるため、それはそれで難しいなあと感じたりも)。
今回この考察を書きながらも、作品に関連しそうなことを調べ、結果として洞察が深くなっていく感覚がありました。まさしく、「家に潜る」かのように。できることなら、作者のことももっと知りたかったのですが、そうなると作者の本も読む必要があり、この考察を書くのにあと数か月はかかる気がしたので、断念しました。
自己満足で書く期限のない考察は、いつ公開しても良いがゆえに、どこで一旦区切りをつけるのが適切であるか、それを判断するのが非常に難しいと感じました。表現(言葉づかい)をどうしよう、誤字脱字はないか、作品に関連してこんなことも調べてみるとより深まるのではないか…全部やろうとすると、キリがありません。そもそも考察はその時によって変わるもので、この考察を公開した1週間後、1か月後、3か月後、半年後、1年後…その時によって感じるものはまた変化するんだろうな思ったり。
…普段書き物をしてる方を尊敬します。
2021.11.5(金)、この日を以てこの考察を一旦公開しますが、この先も一生考察は続くことでしょう。
この考察を書くにあたり、奥能登芸術祭のことを思い出していました。そのたび、色々な思いが頭の中を駆け巡りました。その中で一番感じたことは何より「感謝」です。
コロナ禍の中で、この芸術祭を開催するにあたり、どれだけ多くの方の支えがあったのでしょうか。珠洲市の各地に設置された作品の隣にはスタッフの方がいました。開催委員の方はもちろん、地元のボランティアの方や役所の方など沢山の方の支えがあり、この芸術祭が開催され、その芸術祭で、多くの感動を頂きました。
(旅費宿泊費を含め)金銭的に安くはないこの芸術祭に参加し、たくさんの良い刺激を受け、せっかくならそれを世のためにアウトプットしようという思いで、語彙力も文章記述力も足りない僕がなんとか書いてみました。
この考察で、多少なりとも良い影響を与えられたら幸いです。