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いずれ敗北する大戦について――『アルキメデスの大戦』と『ジョーカー・ゲーム』に見る渦中の人物たちの物語

同人誌『いずれ敗北する大戦について』より再録
初出:2019/10/13 スパイのお仕事7

※第二次世界大戦・太平洋戦争について言及しますが、戦争を肯定する意図はありません。また、日本史は専門外ですので、若干の間違いがありましたらお許しください。


『アルキメデスの大戦』のテーマは、「感情に屈する理性」あるいは「現実の前に敗れ去る数式」ではないかと思う。
 数式を絶対的真理と信じる櫂直は、数式だけでは動かない現実――複雑な人間関係、渦巻く陰謀と打算、虚栄心、そして己の感情の前に破れる。
 平山案の不当に安い予算を暴いても、それを情報の隠匿のためと説明され、すべての努力を無駄にされる。かと思えば、土壇場で戦艦の設計図に不備が見つかって、戦艦案は取り下げられる。やったぞ!と喜びにつかるのもつかの間、櫂は平山の説得に応じてしまい、結局は数式を提供し、大和は完成する。

 映画の冒頭は昭和二〇年四月七日、坊ノ岬沖海戦の特攻で、大和が沈むシーンから始まる。
 米軍側の雷撃機から投下された航空魚雷が水面下へ潜って、白い波を立てながら戦艦に突き進む。衝突する瞬間までが異様に引き延ばされたような感覚がした。
 続いて爆撃機が急降下し、投下された爆弾が甲板と砲門近くの兵士を爆破する。手首から先だけを残して消滅した兵士に、隣の兵士は悲鳴を上げる。
 空中への砲撃でようやく米軍の一機を撃墜し、一矢報いたと喜ぶ兵士たちは、パラシュートで脱出した米兵士がすみやかに水上機に回収されるのに絶望する。彼らはなすすべもなく、護衛艦もなく対空戦力も貧弱すぎる丸裸の状態で、一方的に空襲を受け続ける。
 魚雷によって浸水し、傾く大和にしがみつき、次々と仲間が海面へ落ちていく。やがて弾薬庫に引火したのか、大和は爆発し、船体はその反動で浮き上がる。もうもうとあがる灰色の煙が空を埋める。

 まさしく、登場人物たちの努力むなしく、突き進んだ破滅の結末が示される。
「アルキメデス」は主人公・櫂直をなぞらえたもの。「大戦」は櫂少佐の海軍省での戦いと太平洋戦争のダブルミーニング。どう転んでも、大戦には敗北しか用意されていない。


 わかりきった結末を迎えるはずの物語は、新解釈を伴って観客の予想を裏切る。結末を知っているはずなのに、脚本に騙されてしまう。
 特筆すべきは山本五十六だろう。彼がストーリーのどんでん返しを担っている。

 実は、山本は開戦を避けたいとは一度も言っていない。次に建造する軍艦は戦艦ではなく空母がふさわしいと主張し、戦艦ではアメリカに勝てないと言う。そのために、戦艦案を落とそうと櫂を海軍省に引き入れる。実際には、山本は開戦を否定していないことがラストで明かされる。だが、櫂(と観客)は山本の一連の動きを「開戦に否定的」と解釈してしまう。

 櫂は渡米する直前、燃え上がる群衆と破壊された町並みの幻影を見る。わたしはそれに東京大空襲と広島の原爆を想起する。この時点で、櫂はアメリカに敗北する未来を見る。圧倒的な国力の差に勝つ可能性など微塵もないと判断する。そして、これは戦後を生きるわたしたちの共通認識でもある。

 一方、山本は開戦自体を回避したいのではない。日本が敗北する未来を回避しようとしているのだ。そのための手段として、山本はアメリカに勝つ気でいる。ここで櫂と食い違っているが、山本はあえて黙って勘違いさせたままにして、櫂を利用している。

 この齟齬が櫂だけでなく、観客の勘違いも生む。わたしも、真珠湾攻撃の作戦を立案したのが山本五十六なのをすっかり忘れ去ってしまっていた。いい叙述トリックだと思う。
(映画を見た後で少し調べてみたが、マル3計画で大和、武蔵とともに翔鶴、瑞鶴も建造されている。大艦巨砲主義の代表として扱われる大和型と同時に優秀な空母も建造しているので、海軍内では最後まで戦艦派と空母派で分かれていたのかもしれない。山本五十六は短期決戦派だったけれど長期戦派も存在していて、戦略が一貫していなかったのが敗因という話も見たことがあるから、あの会議はまさしく海軍の縮図だったのだろう。というより、そもそもあの会議がマル3計画をモデルとしていたのかもしれない)

 学生上がりの櫂が真剣に日本の行く末を案じるのと対照的に、戦艦派は浅慮が目立つ。後の大和になる戦艦の模型に、少年のようにはしゃぐ大角海軍大臣と嶋田少将には、軽やかな皮肉を感じる。この二人は、真に国家の安寧を願っているようには見えない(この作品は表立って戦争を否定も肯定もしないけれど、端々に、軍部の私利私欲、暴走を示唆するような箇所がある)。

 それと対比されるように、平山造船中将は徹底的にプロフェッショナルだ。確かに平山は戦艦にこだわる。戦艦こそが正しいと信じて設計する。だが、その設計に不備が見つかるとすぐに撤回する。平山は己の設計が正しいと信じているからこそ、瑕疵を許さない。

 その平山の解釈には驚きしかない。「日本の依り代、日本の代わりに沈む大和」という平山の新解釈は、まるで敗戦を先取りしたかのような発想だ。「日本人は負け方を知らない、最後の一人になるまで戦い続ける」というのは実際のアメリカの判断で、それゆえに原爆を投下した。米軍の本土上陸に備え、「一億総玉砕」という計画があったことも事実である。平山もまた、櫂と同じく先見の明がありすぎる。

 予算の不正を暴かれた平山の眼鏡が反射で見えなくなるというのは漫画的手法であるが、これによって感情を読めなくなり、平山の本心は覆い隠される。謎めいた平山の真意は、ラストで驚愕をもたらす。


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