トレンドは深追いしない
16歳ではじめた古着屋も順調で、18歳・文化服装学院の一年の時にオープンした2店舗目の古着屋も最初からお客さんが入って売り上げも良く、いいかんじでした。
ちょうどこのころいわゆる裏原ブームが発生し、アパレルや古着業界だけでなく不動産など街全体が掻き回されました。
古くからあるブランド古着店はこのブームとどう向き合うべきか悩み、様子を見ているかんじでした。
また、ブームに便乗して裏原系を専門に扱う古着店も多数うまれました。
わたしの選択はこのブームに「軽く乗る」といったスタンスで、お店のスタイルを崩さないように気をつけながらご要望にお応えする形をとりました。
裏原系の服は人気商品であれば定価5,800円のTシャツが50,000円でも簡単に売れ、不人気商品でも定価以上で、あればあるだけ全部売れたので、たくさん扱えば一時的な売り上げはかなり伸ばせたとおもいますが、「それは、なんかちがうかも」と感じたので自分の直感を信じてほどほどにしておきました。
過ぎてみれば、このブームは意外と長く続いたので、がっつり食らいついておけばもっと稼げたのかなーって思いますね。ざんねん。
でもこの「なんかちがうかも」という直感であまりつっこまないのが今日まで続けて来られた理由の一つかもしれません。
「トレンドは深追いしない」
これは現在も気をつけています。
1990年代半ば〜2000年代初頭の東京ファッションのすごいのは、いろんなブームが同時多発して、そのどれも勢いが強かったというところです。
ドメスティックブランドも盛り上がってましたし、一方ではヘルムートラングやマックイーンも同時期に人気でした。バスストップの影響力が強かったんですね。
A.P.C.のジーンズもこのころ店頭で売り切れるくらいの人気でした。ちなみに最初のマルジェラのAIDS・TはA.P.C.で売っていたんですよー!
マルジェラ・アーティザナルのペンキデニムなんて古着市場にごろごろあったのでタイムマシンで買い付けに行きたいですよね。それを言い出したらキリないけど。
シーン全体が盛り上がっていたのもあり、
お店は順調で、文化服装学院在学中にもう1店舗出店し
成人式の頃には年商2,000万円くらいになります。
こうしてあらためて振り返ってみると、
過去のファッションやトレンドや街の様子を時系列に沿ってしっかり記憶していて、ありありと想い出すことができます。
今これが何かの役に立っているのかわかりませんが、
途中でやめたり、スタートが出遅れたりしていたら
これらの記憶や知識はもっと狭く浅く限定的なものになっていたのかと思うと、10代の自分に感謝したいです。
このわたしの経験と知識と記憶。
どう活用すれば良いかわからないので、とりあえずnoteでぽろぽろこぼしてみます。
だれかのなにかのお役に立てたら嬉しいです。
最後まで読んでくださってありがとうございました
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?