R5.11.9.
カヴェル『悲劇の構造』を読み進める。本書の半分近くを占めるリア王論をぼちぼち。
リア王の本筋部分ではなく、グロスターの副筋の話が中心で、目をくり抜かれることと認知の話を絡めた分析をしていた。
そのうちでシェイクスピア劇にはよくプロットのなかに矛盾があり、シェイクスピアを擁護する人はその矛盾には演劇を見ている内には気付かないしそれだけ良いじゃないかという感じで欠点を被せようとするという点を指摘する。
ここでカヴェルは逆に、その矛盾に気付かないところに私たちの認知の限界があるのだと作品内から読者へと影響の範囲内を広げている。
この部分が、作品や作者であるシェイクスピアを相手取っていたと思ったら自分自身の首を捕まれていたような、切実な契機となっており、ゾクッとさせる気持ちのいい部分であった。
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