見出し画像

教養とかなんだ

教養とか言われているものって一体なんなんだ。

文系の学問について言われている役に立たないとかいう言説はなんなんだ。

役に立つ立たないという視点でしか語れないものでしかないのか。


私は理系の学部に入学した。それでも文系の学問は大好きだし、古典の授業も苦手なわりには頑張って勉強したし、文芸を読むのも好きである。理系の学問に偏重して勉強する姿を視るとなんとなく悲しく感じる。理性的な感覚ではない、直観的なものだ。

大人になったときに、人と会ったら酒を飲むかセックスするしかすることがない、という状況にならないために教養があるだって?
そんなことはないだろ!
教養にはさまざまな形があり、それが噛み合ったときに自然な会話が生まれるものである。
そういう点では趣味と同じだ。
趣味を持っているということ、教養があるということは知識や経験があるということ、だけではなく、それを今現在も通じて実践していることがその条件になることは云うに及ばないであろう。

古文が読めなくても、漢文が読めなくても、音楽がわからなくても、それでも教養があると十分に言える人間は世の中にいる。

文系の学問が自身の知的好奇心を満たしてくれた、そういう経験を持つ人にとってその学問は必要であるだろうし、なければ不要に感じるだろう。

そして同じことは理系の学問についても言える。
三角関数を社会に出てから使ったことがない人がいたとしても、それが使われていることで実生活が豊かになっている人もいる。

役に立つあり方は古文と三角関数ではまったくの別物ではあるが、それぞれがあるから生活が豊かだと感じている人はいて、それが必要と思っている人が多数いる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?