ゆるめてくれて、ありがとう
三十代のはじめ、私は一年の半分以上を夜型の勤務で過ごすシフト制の仕事に転職した。合コンや女子会に精を出す友達たちのお誘いにほとんど乗ることができなくなって、そのうち声すらかけられなくなった。寂しさや疎外感を感じたのも束の間、私はずぶずぶと夜型の生活に浸かっていった。
仕事内容は、日本企業のアメリカでの情報開示。13時間ビハインドするNY時間に合わせて動くため夜勤がメインとなる。朝型のシフトは8-16時のみで、あとは15-23時、18-26時、23-8時の夜型。この四つのシフトを四人で一か月ごとに回していく。そんな勤務体制に身を置くことに抵抗はあったけれど、転職活動時の私は契約社員で、契約の終了を目前にして得た唯一の正社員としての内定だったため、もう深く考えずに飛びつくしかなかった。
研修を終え、数ヶ月後にはシフトデビュー。それまで契約社員として三社を渡り歩いたけれど外資系は初めてで、帰国子女や海外の大学出身の先輩たちへの劣等感をふり払うように、純国産の私は必死で仕事に打ち込んだ。
その甲斐あってか翌年はかなり昇給し、都心のちょっといいエリアへ引っ越すことができた。だけど一方で、平日夜はほぼ仕事、土日もなんだか出歩くのが億劫になり、外出といえば近所のスーパーへの買い出しくらい。facebookで見る楽しげな友達たちの姿にどんどん距離を感じるようになり、四か月に一度回ってくる日勤の間も、特に会いたいとも思わなくなった。デートの相手なんて、もちろんいない。私のスマホが鳴ることは滅多になく、カレンダーには仕事の予定しかなくなっていった。
そんな日々が二年過ぎた頃、近所に寿司バーなるものができた。ガラス張りの、カウンターしかない小さなお店。土曜日の夕方、スーパー帰りにお店の前を通ると、恰幅のいい体にアロハシャツがよく似合うおじさんが中で準備をしているのが見えた。お寿司なんて、しばらく食べてないな・・と誘惑に駆られたけれど、「外資系はいつクビを切られるかわからない」という恐れから月々の食費をきっちり決めて貯金を優先し、チェーン店以外での外食をできるだけ避けていた私は、そのあと何度も素通りしてやり過ごした。
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ある夜、一年越しの仕事が終わった。入社以来一番骨の折れるお客さんで、要求は多かったけれど、その分学びも大きかった。時計は25時少し手前。その月は18時からのシフトだったので26時が退社時間なのだけれど、「今日はもう帰って大丈夫だよ」と先輩が言ってくれたので、ありがたくタクシーで帰路についた。後部座席で揺られながら、達成感と心地よい疲労がじわじわと体中に広がっていくのを覚える。と、同時に思った。
「自分に乾杯してあげたい」
自宅マンションに着いて、近くのコンビニへ缶ビールを買いに行こうとターンしたその時、あの寿司バーの灯りが目に入った。「こんな時間までやってるんだ・・」。グラスに注がれた黄金色の液体と白い泡が頭に浮かぶ。いくらかかるか、なんてどうでもいい。とにかく今、美味しいビールで自分に乾杯したい!生なら最高だ。小走りでお店に向かい、深夜にも関わらずちらほら残る客の姿に怯むことなく入店を果たした。
おおらかな笑顔で「いらっしゃい」と迎えてくれたアロハなマスターに生ビールを注文すると、サーバーから丁寧に注いで、麒麟マークのついたグラスを手渡してくれた。大変だった仕事を無事終えて、初めて入ったお店で初めて会う人たちに囲まれ、私の心もこの麒麟みたいに躍動している。「乾杯」と、自分だけに聞こえる声でつぶやいて、ひとくち、ふたくち、みくち。キレのある苦みがのどを駆けていく。冷えたビールの爽快感と同時に、温かな何かが私を満たしていくような気がした。自分のために”いつもと違う何か”をしてあげるのは一体いつぶりだろう?
緊張の解けた私は、マスターに握ってもらったお寿司をつまみつつ、ご常連からの「こんな遅くまで仕事だったの?え、夜勤?仕事何してるの?」を皮切りに、髪の毛がないのは若いころ苦労したからだと言い張るつるつる頭の悠々自適な経営者のおじさんと、思春期の娘に手を焼くシングルマザーの女医さん(この夜、娘さんは前の旦那さんの家にお泊りだった)、近くのサーフショップで働くイケオジ、そしておおらかさは石垣島仕込みということが分かったマスターとわいわい会話を楽しみ、来た時よりもずっとずっと高揚した気分で店を出た。「ひさしぶりに人間らしい時間を過ごした気がする・・」ふわふわした足取りでマンションに帰る途中、不意に視界がぼやけ、生暖かいものが頰を伝う。
ぽろぽろと溢れる、涙だった
深夜や明け方に帰宅し、遮光カーテンを閉め切った狭い1Kで一人冷凍ものをチンして流し込んで眠って起きて、家路を急ぐ人たちの波に逆行してまた会社に行く・・二年余りのほとんどをそんな風に過ごして、やっと得た正社員というポジションから振り落とされないようネガティブな感情にはすべて蓋をして黙々と仕事をこなし、心配する両親には「夜勤?思ったほど辛くないよ」と言って繕ってきた。そのおかげで今の私がここにいる。よく頑張ったよ。ありがとうね。でもね、もう少し肩の力を抜いていいんじゃない?辛い時は辛いって言っていいよ、たまには会社休んでどこかに行こう。それに、今夜みたいに時々は食べたいものをうんと食べて、美味しいお酒を飲もうよ。・・どうかもっと、自分をゆるめて、甘やかしてあげて。今を生きることを楽しんでみて。あのお店で、幸せを感じたでしょ?
そんな風に私を優しく諭すかのように、涙に形を変えた私の心――ずっと無視されて、無いもののように扱われてきた――が、ゆっくりと頰を流れていく。人間らしくぐしょぐしょになった顔をハンカチで押さえながらお店を振り返ると、まだ明るい灯りで満ちていた。
この夜以来、「ただ寝に帰る場所」だった家は、寿司バーに私を引き合わせてくれたラッキープレイスになった。夜勤も変わらず続けたけれど、休みを取ることをためらったり、自身に対する周囲の評価を気にするのを止めた。それでクビなら、もうそれでいい。そして、小さな何かを達成した時、落ち込んだ時、秋になって秋刀魚が食べたくなった時、ちょっとおしゃべりしたいなって時・・何かにつけて「あそこに行くことは自分への投資!」と足繁く寿司バーに通う内に常連仲間が増えていき、結婚や、成立まで長らく時間がかかった離婚(!)、バースデイに昇進と、みんなであれこれ祝う機会を見つけてはお店に集まって乾杯する。みんな自分の事のように、飛び切りの笑顔で。
そんな乾杯を幾度となく交わす中で、なんと私は伴侶までその店で見つけるに至った。ちなみに私の第一印象は「真夜中にもりもり寿司を食べて、ビールをうまそうに飲むちょっと変な人」だったそうだ。
そして、今
コロナウイルスで営業を一時自粛していたけれど、寿司バーは時間を短縮して営業を再開し、相変わらずマスターはおおらかに「なんくるないさ~」精神でお店を切り盛りしている。
私は結婚を機に日中の仕事に異動させてもらったものの、今は妊活のため会社員は一旦お休み。寿司バー用の外食費は必需的支出としてプールし、今でも夫と二人カウンターで月に数回乾杯している。すっかりお節介おばさんと化した私は、一人疲れた顔で来店するニューフェイスを見るとついつい話しかけてしまう。このお店を出る時は、みんな笑顔でいてほしいから。
図らずも、窒息寸前だった私を救い、人生に結婚という素敵なビッグバンまでもたらしてくれた寿司バー。オンラインで大体の用が足りる時代だけれど、まるで神の見えざる手が起こすような偶然の出会いと、それがもたらす可能性は、まだまだリアルだけのものだと思う。だからどうか、一店でも多くの飲食店がこの困難な時期を乗り越えて、また巡り合わせのにぎやかな乾杯があちらこちらで聞こえる日がきますように。その日まで、今は静かに、乾杯。