新刊「80年代サーガ」のための素描〜「渋谷系」までのレッスン(3)〜

 小生が書籍を何冊か出させて貰っている出版社、DU BOOKSから編曲家、山川恵津子さんの初の書き下ろし書籍『編曲の美学』が刊行された。各所でランキング1位ぶっちぎり、目下ラジオ界隈も巻き込んで「山川恵津子ブーム」の様相である。
 ご本人とは過去2度取材させていただいている、実は80年代からの熱心な信者の一人。「読書よりファッションが好き」と公言されてる方なんだが、初の著書の文章は、硬派にして洒脱。作曲と編曲の相関性など、実作のレッスンになっていて読んで敬服してしまった。最初読んだとき、ハル・デヴィットとの共同作業を綴っていたバート・バカラックの自叙伝に近い印象を感じた。
 80年代アイドルとの交流を期待する向きは、序文でピシャリ。詞先→曲先の始まりのころで、「M-1」といった仮番号で作業し、完成したら次のスタジオへ。そんな多忙な時期だから、仕上がったレコードの曲名すら完全把握はされておらず、歌った当人ともほとんど会わなかったという。取材で会った印象も男衆の中の紅一点という感じで、今剛、鳥山雄二、伊藤広規、青山純といった一級のスタジオミュージシャンを従えていた、豪傑アレンジャーであった。それがあの可憐な編曲を生み出すのがミステリーで、本当は男性じゃないかと疑ってたし、スティーヴィ・ワンダーの真髄に迫るアレンジに、外国の血が混じっているんじゃと夢想していた。初めて目撃したのは後藤次利のCITY TRICKLESツアーのステージだったが、当時はシニード・オコナーのようなスキンヘッド時代で、ユニセックスな外観がよりミステリアスに思わせた。当時パートナーだった鷺巣詩郎さんより先に、小泉今日子「100%男女交際」で、日本レコード大賞編曲賞を取ったのにも驚いた。
 作風はバークリー直系のAORの真髄に迫ったアレンジで、「凄いアレンジャーがいる」という評判は、最初は洋楽プロパーの周辺から起こってる。ほぼ初の女性編曲家でありながら、最初から世界水準の力量があった。ご本人は米国のAOR、ブラック・コンテンポラリー育ちだが、80年代のブリティッシュインヴェーションIIの影響を受けていて、数々の傑作群で共同作業していたのが、ムーンライダーズ『アニマル・インデックス』〜『最後の晩餐』でエクイップメントを担当していたプログラマー森達彦さん。いわゆるトット・テイラーの高品質なフィギュアのようなUKサウンドの完成度は、英プログレッシャーだった森さんの趣味性に支えられてる部分も大きいだろう。 
 森さんとは別の出会いがあった。初対面は1987年。元はU2ほか外タレのプリプロで有名なレオミュージック出身で、このころはムーンライダーズオフィスが共同出資してハンマーという事務所を立ち上げたばかり。同じノア渋谷にオフィスがあった。『ドント・トラスト・オーヴァー・サーティー』発売時、『TECHII』の取材でムーンライダーズオフィスでお話し伺ったのだが、その余った時間、真璃子のファーストアルバム『真璃子』がいかに優れてるか延々話したのを覚えてる。これも山川さんが編曲して、森さんがプログラミングを務めた仕事。
 「私星伝説」のドラムのクレジットは青山純だが、実はアート・オブ・ノイズのサウンドを再現するために、青純の演奏をトリガーにして、PPGのウェーヴタームを同期させてる。この時期、おニャン子クラブなどで稼いでいたハンマーは、日本でもっとも舶来高級楽器が揃ってるプログラマー集団として知られていた。ビクター、キャニオンで制作された山川作品の、競合アレンジャーに大きく差を開けるリッチなサウンドは、ほとんどハンマーの舶来高級シンセが使われている。
 「80年代、日本のアイドル歌謡は洋楽だった」。そう言ってしまいたい情熱が筆者にはあった。著書発売を契機に、80年代アイドル歌謡ファン、シティポップ再燃の文脈から、山川さんは「発見された」と言ってもいい。それほどサウンドの衝撃度をみな口々に語ってる。そっちは洋楽をほとんど聴かない人が多いので、「和製洋楽」として熱狂していた古参ファンは、少し寂しい感情を抱いてたりする。ファンは勝手なもんですな。
  森達彦さんのハンマーはその後、武部聡志さんの事務所で有名なハーフトーンのプログラマー部門と合体して「ハム」となる。そこのスタジオがムーンライダーズのプリプロ用に16トラックの卓を入れ、その後「渋谷系」の時代にカヒミ・カリィほかクルーエル・レーベルの制作拠点になる。おニャン子が使ってる機材は、ムーンライダーズや「渋谷系」作品と同じなのだ。雑誌『バーフ・アウト』もそこで産声を上げた。ハンマーはその後、ストロベリー・スイッチブレイドのプロデューサー、デヴィッド・モーションの極東事務所となり、ギャングウェイの世界初CD化を果たし、ルイ・フィリップスも歌ってる鈴木慶一『MOTHER』のロンドン録音も手掛けている。(つづく)


真璃子がデビューしたフォーライフウィングは、イモ欽トリオを当てた元キャニオンの萩本欽一担当、鈴木豊重さんが作った欽ちゃんレーベルがはじまり。

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