初期ZTTレーベルの核=フェアライトCMIと英国ロックの伝統(再録)
ザ・バグルズ「ラジオスターの悲劇」をヒットさせた希代のプロデューサー、トレヴァー・ホーンと、元『NME』のジャーナリスト、ポール・モーリィという首謀者2人が初頭に発足した、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド、プロパガンダなどのMTVヒットを世に放ったZTTレーベル。そのアイデアは、20世紀初頭にイタリアで起こった美術運動“未来派”に着想を得て生まれた。重工業時代が到来するヨーロッパで、各所で建造された工場から発する耳障りなノイズを「騒音のシンフォニー」として美的に捉えたのが、イタリア未来派の主導者、詩人マリネッティ。ZTTのレーベル名は未来派の詩の一節だった衝撃音「Zamg Tumb Tuum」から付けられた。アート・オブ・ノイズのグループ名も、13年に画家ルイージ・ルッソロによって書かれた宣言書『騒音芸術』から取られている。未来派とは、後のダダイズム、フルクサス、パンクにいたる「反芸術主義」の嚆矢。音楽面でも、ミュージック・コンクレート、ノイズ・ミュージックなどのジャンルの生起に与えた影響は大きい。レーベル立ち上げ時に彼らがレーベル名に込めたアイデンティティは、ナチスドイツが建造した高速道路「アウトバーン」を主題に曲を書いたクラフトワーク、アメリカ随一の自動車工業都市アクロンで「工場の騒音を聞いて育った」と語るディーヴォらの登場に共通する美意識を滲ませる。
ポール・モーリィが書いた活動当初のアート・オブ・ノイズのサウンドの説明書には、フランク・ザッパらの名とともに、カールハインツ・シュトックハウゼン、アルヴィン・ルシエなどの前衛音楽家の名前があったという。ポールの脳裏にあったのはおそらく、ヒップなロックスターが時代の流行をリードしていた60年代の光景。ジョン・ケージ、シュトックハウゼンら前衛音楽家と、ビートルズ、ザッパらロック・グループとの間に蜜月関係があった時代への、憧憬やリバイバル意識があった。「ロックが劇的に進化した」といわれる60年代末期には、それほど実験音楽とロックが近い位置にあったのだ。保守的なアメリカン・ロック勢に反旗を翻す存在だった当代のダダイスト、パンク、ポスト・パンクの存在とも、彼らは近い位置にいた。王立音楽院卒のクラシック畑の才女アン・ダドリーがアート・オブ・ノイズで、あえて稚拙な「3コードのロックンロール」を実践していたのは、パンクの「ロックンロール・ルネサンス」の思想に共鳴していた証なのだろう。
設立当初、ZTTレーベルのサウンドの要だったのが、初期作品すべてに使われていた楽器、フェアライトCMI。この「世界最初のサンプラー」は、ジェフ・ダウンズがイエス在籍時(80年)に持ち込んだもの。後にアート・オブ・ノイズを結成する元クラシックのクラリネット奏者、JJジャクザリクは、そのアシスタントとしてイエスのレコーディングに参加していた。ジェフ脱退後、トレバーを裏方プロデューサーに配して、イエスは「ロンリーハート」をリリースし全米1位のヒットに。「音のサーカスのようだ」と評されたオーケストラ・ヒットの音が、フェアライトCMIという新時代の楽器のプロモーションとなる。
フェアライトCMIは、キム・ライリーとピーター・ヴォーゲルというオーストラリアに住む2人のエンジニアが発明した、80年に発売された世界初のサンプラー。アナログ音声をデジタル符合に変換して記録する「サンプリング」の概念自体は、もともとアメリカのベル研究所でロスレスな通信技術のために発明された、PCMの原理を採用したもの。70年代末、スティーリー・ダンが均質なドラム・サウンドをテープに定着させるために、エンジニアのロジャー・ニコルズが開発したカスタム・メイドのサンプラーを使って録音した記録があるものの、市販品はこれが第1号となる。8声のポリフォニック、または8声のマルチ・ティンバー音源とシーケンサー機能を持ち、ペンライトとディスプレイによる波形編集などを可能にした、一種のワークステーションである。しかし当時の価格にして1200万円(日本発売時)。ルパート・ハイン、ケイト・ブッシュ、キース・エマーソンら成功者たちがいち早く購入し、『イミュニティ』、『魔物語』、『ナイトホークス』(いずれも81年)で、部分的にであるが実際に使われた。先にイギリスで普及したのは、ディスプレイなどの交換部品が、イギリス統治時代の名残でPAL準拠だったためと言われている(アメリカはNTSC)。
革新的な楽器とはいえ、パーソナル・コンピュータ時代などまだ夢のまた夢。8ビットCPUで駆動する内部構造は、16ビット、24ビット標準となった今日のテクノロジー環境から見れば、かなりお粗末なものだった(実際、イエス「ロンリーハート」を808ステイトがリミックスした12インチで、貧弱なオリジナルのオケヒットの音が聞ける)。実のところ、初期ZTTのサウンドを支えているのはフェアライトではなく、これとの組み合わせで使われていた、16ビットで音声処理するスタジオ用プロセッサ、レキシコンのデジタル・リヴァーブの残響音の存在が大きいだろう。サンプラー同様、デジタル・リヴァーブもまだほとんど普及していなかった日本では、これらを掛け合わせた“音の塊”すべてが、テクノロジーの音響として強いインパクトを与たえたのだ。
また、8ビット時代に商品化したフェアライトには、ハイが落ちる特性を補助すべく、エキサイター機能が盛り込まれていたと言われていた。サンプリングと言っても、当時のスペックでは処理過程での音が微妙に変化する現象から逃れられなかった。同時代、デペッシュ・モード、ノイバウテン、パレ・シャンブルグがドイツのハンザ・スタジオでレコーディングに使用していたのはシンクラヴィア、トッド・ラングレン、ローリー・アンダーソンらアメリカ勢が使っていたのがアメリカ産のイミュレーター。これら8ビット時代のサンプラーはいずれも独特の音の癖があり、一聴して音の違いがハッキリわかるもの。マンチェスターのファクトリーの創立者ひとりマーティン・ハネットがレーベル離脱の際に、クラブ・ハシエンダ設立を優先した経営陣に「フェアライトを買わなかったことに抗議して辞めた」と語っているが、とりわけフェアライトは、“正統ブリティッシュ”な音で認知されていた。有名なトレヴァー・ホーンのオーケストラ・ヒットも、ソースはロンドン交響楽団のレコードから引用されたものだ。
フェアライトは、イギリスの国営放送局BBCに付属するジングル制作部署「BBCラジオフォニック・ワークショップ」が最初の顧客だったと言われている。ここの元スタッフであったデヴィッド・ヴォーハウス(ホワイト・ノイズ)、ピンク・フロイド『原子心母』のプロデューサーだったロン・ギーシンらが、最初期のフェアライトのオーナーとなった。ヴォーハウスや彼の工房エレクトロフォンのスタッフ、ジョン・ルイスらは、ロビン・スコットのM『オフィシャル・シークレッツ』、『フェイマス・ラスト・ワーズ』でいち早くフェアライトのオペレーションを担当している。「BBCラジオフォニック・ワークショップ」はイギリス最初の電子音楽スタジオとして、60年代初頭にBBC局内に作られたもの。ビートルズを聴いて育ったロック第一世代は、ここで制作されたBBCテレビ、ラジオ用の電子音楽の習作ジングルを子守唄として聴いて育った。ジョージ・マーティンの唯一の電子音楽曲として知られる「タイム・ビート」も同所が技術を提供。生前のブライアン・ジョーンズ(ローリング・ストーンズ)やポール・マッカートニーが見学に訪れるホットな製作工房だった。ビートルズ、ピンク・フロイドらが導入した電子音楽やミュージック・コンクレート手法は、ジョン・ケージ、シュトックハウゼンら以上に「BBCラジオフォニック・ワークショップ」の影響が大きいと言われており、英国ロック史とは切り離せない存在なのだ。
トレヴァー・ホーン、アン・ダドリー、JJジャクザリクら、後にアート・オブ・ノイズとなるメンバーは、ZTTレーベル設立前からプロデュース・チームを形成し、手に入れたフェアライトを使ってABC、マルコム・マクラレンからバウ・ワウ・ワウまで、数多くの実験シングルを世に放った。BBC出身組が組織したエレクトロフォン、キャプテン・センシブル、マリ・ウィルソンのプロデュース業で成功したトニー・マンスフィールド、ハイジ・ファンテージ、トーチ・ソングなどを手掛けていたウィリアム・オービットら、後に才能を開花させる陰のサウンド・メーカーたちがフェアライトのオーナーとしてライバル関係を形成し、「音のマジック」で当時のリスナーを魅了していた。いずれも80年代初頭、外貨獲得のためにイギリスがアメリカ市場に殴り込みをかけた、「ブリティッシュ・インベーションII」の主要アーティストを手掛けた面々。ここにも、ビートルズ、ゾンビーズらがアメリカン・チャートを英国勢一色に塗り替えた、60年代のブリティッシュ・インベーションの再来とも言える、英国ロックの伝統があったのだ。
(ストレンジ・デイズより再録)
PS.ここからさらに踏み込んだ論考を、アート・オブ・ノイズ『誰がアート・オブ・ノイズを・・・』(Limited Edition)のライナーノーツに寄稿しています。機会があればぜひお読みください。
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