「むずかしい」 を 『おもしろい』 にかえるだけで世界が変わる
「むずかしい」という言葉を発するときがある。
多くのばあい、解決が困難な問題に直面したときや理解不能なとき、場の空気を感じて批判的な気持ちをおおい隠すときにでる言葉。
「むずかしい」という言葉を発したときはそうじて「諦め」のようなものが含まれている。「諦め」はときに対象への興味を失わせ分断を生みだす。
「もうよく分からんや」と。
しかし、そもそも人は分かるものしか受けいれられないのか?
正しさにとらわれているだけではないか?
かんたんか、むずかしいか。分かるのか、分からないのか。正しいのか、悪いのか…
ボクは「むずかしい」と発言したくなるときに『おもしろい』と発言しようと思う。
「この問題は複雑な事情が絡み合っているからむずかしい」
「この問題は複雑な事情が絡み合っているからおもしろい」
「あいつの考えていることはよく分からん、むずかしい」
「あいつの考えていることはよく分からん、おもしろい」
「ふーん、むずかしいですね」
「ふーん、おもしろいですね」
「むずかしい」に含まれている意味を「おもしろい」に溶かし込んで、新たな『おもしろい』という概念をつくる。
『おもしろい』と言いかえるだけで、興味は促進され共存へと意識がすすむ。自分自身が今まで見えなかった世界が見えるようになる。
拡張されていく。だから『おもしろい』のだ。
『おもしろい』は、いわば未来の自分の視点を得ること。
現在の自分と文脈は共有しながらも、すこし成熟している自分でもあり別人でもある存在。それが未来の自分だ。
これから自分の世界が拡張される。未来の自分の視点からみたらその状況は『おもしろい』のだ。
未来の自分は、自分の不完全性を許容する存在。
自分の不完全性を許容できるということは、うごめきである他人の不完全性も許容できるということ。『おもしろい』と言い合える場はお互いに安心してありのままでいられる居心地のよい場なのだ。
「むずかしい」を『おもしろい』に言いかえる。
そのとき、世界が変わる。
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