今週の出来事(9/11~9/18)
Random thoughts and head trip [Week. 184]
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今週の出来事を書いていきます。
9月11日(月曜)
崩れながらも気持ちのいい我々の輪郭を模索する。
これを実践しながら方法を探している。
また、この美しさとは何か?
というのを見立てて表現する。
今週はそんな感じ。
9月12日(火曜)
とにかく終わらせる。
気持ちのいい輪郭を模索する。
9月13日(水曜)
非連続の連続性。
この美しさの見立ては。
9月14日(木曜)
尊敬とは、相互に崩れ相互に我々を構築し得ると存在を認めることであると考えてみた。
それは自己の崩れを認めることでもある。
緩やかな成長と、過剰性ー欠如の淘汰圧による変化、これを進化といい、
この方向性に美しさがあるのではなかろうか。
9月15日(金曜)
我々になれてないなーと感じる時がある。
いや、我々には好む好まざる関係なく我々なのだが、それを認められていないと感じる時がある、ということだろう。
それは排他性というか、否定性防御(攻撃的否定)みたいなものによるものだと思う。
一概にこれが良くないとはいえない、というか自分の奥に近いところに関しては自己もそのようになる。
だからこそ自分の奥に近いもの、自己の専門性を自負している(個や集として認識している強い輪郭の自己)ことに関しての時は同質性以外に対しての我々を受け入れる能力が低くなるので、そこを自覚する必要があるな、と思う。
また排他性に直面したときは、迎合することもなく否定もすることなく、我々を受け入れて気持ちのいい輪郭を模索する(編集可能性を探り、面白がる)ことが美しくなれることだと思う。しかし、それには余裕がいるし、自己の輪郭が固くなっているときは積極的に逃げよう。
つまりは、主題は何にせよ否定して自己の存在を守ろうとする行為に飽きたという話だ。
9月16日(土曜)
そうか、編集可能性を探ることが美しさの始まりなんだな。
よーし、やるか。
9月17日(日曜)
贈与、謝礼、商売。
経済と共同体のグラデーションによるコンフリクトの本質は、我々をどう認識するのか?というところに向かいそうだ。
贈与と商売についてはさまざま基準が整理されているが、謝礼経済と共同体については今のところドロドロのヌメヌメ状態だ。
では、基準を置けばいいのか?と言ったらそう単純化もできない。見立てがいるしスコアリングもいるだろう。
しかし、別様な我々の可能性を見つけた気がする。
今週の振り返り
崩れるとは、流動的な我々の動きを受け入れることであり、
そのうえで気持ちのいい我々の輪郭を模索するとは、編集可能性を探る(別様の我々を考える)ことである。
それが美しさだと考える。
これをどう見立て表現するか?を今週は考えていた。
そのヒントは謝礼と共同体にある。