今週の出来事(1/18~1/24)
Thought and Trip [Week 47.]
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今週の出来事を書いていきます。
1月18日(月曜)
人の悦びの究極的なところとは、自己表現にあるのではないのか。
つまり、消費的感受性を刺激するような悦びもあるが、最大級の悦びとは、自己表現による生産的感受性が刺激された時のように感じる。
そして、その自己表現は、破壊的可塑性(自己である人格を形、存在の両方とも別のものに変化させ再構築する)をもった表現を行う。
例えば、全く新しいSNSアカウントを作成して、そこで自分が自己のうごめきとして表現したいことを表現していく行為などだ。
また、自己とは、「わたしとあなた」のような異物同士の関係性のうごめきそのものである。自己、文化、世界。
なので誰かとの関係性のうごめきを、破壊的可塑性による新たな人格として形にし、共に自己としてその人格を表現してくことで、認知できるものにできないのか。
もし、それを構築できるようになった先には、世界が美しいうごめきを多層的に描きだすようになるのではないのかな。
1月19日(火曜)
うごめきを破壊的可塑性をもった人格を再構築することで認知できるようにする。
1月20日(水曜)
生産的感受性における極上のとろけ体験とは、自己表現×世界とつながる感覚(自己が拡張される感覚)。
つまり、自己であり文化であり世界であるうごめきを表現すれば極上のとろけ体験ができる。
1月21日(木曜)
他者と共に自己を投影した新しい人格を構築する。
その人格は、誰かに影響を与える、世界に影響を与える。
形はこだわらず、世界に影響を与える存在であることを意識する。
その行為自体が極上の悦びとなり、否定のエネルギーが行為へのエネルギーに変換された時、最高に美しいうごめきとなる。
それが終わりの瞬間。作品の出来上がり。
1月22日(金曜)
世界につながっている感覚を得るには、自らを違う世界に移動させるか、違う世界の人に来てもらうか。
もしくは、自らの作品によって違う世界へ影響を与えるのか。
自らの営みも、終わりのデザインによって作品化することはできる。
作品は消費的感受性を刺激する。
1月23日(土曜)
脳の美しさを感じる領域と善や正しさを感じる領域は同じところにあるらしい。
美しさを社会的に共有していることは正しさを共有している社会であり、それは倫理観というもので僕たちは認知する。
そして美しさを感じる/知覚するというのは、身体感覚からくる情報と概念の結合によって生まれる。
つまり美しさは変化していく。正しさは変化し、倫理観も変化する。
1月24日(日曜)
美しいうごめきを描くには、自己の異物性を認識し、周りにも認知してもらう必要がある。
異物であることをお互いに認知しているからこそうごめけるのだ。
しかし、うごめきを描いていくことで少しずつその異物である解像度は溶けていく。
このバランスなのだ。どちらかではない。
振り返り
最近入ってくる概念が自分のうごめきの解像度を上げてくれている感覚がある。
そして、社会につながる傾向も増えてきた。
うごめきの深化が進むと社会的には孤立していき、社会につながっていくと自己の中のうごめきがドロドロからサラサラになっていく。
ドロドロのまま社会につながりたい。
もやもや