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今週の出来事(8/2~8/8)
Random thoughts and head trip [Week. 75]
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今週の出来事を書いていきます。
8月2日(月曜)
人は状態である。
8月3日(火曜)
美しいうごめきは世界に波及する。
8月4日(水曜)
分かりやすさはいともかんたんに余裕を与えてくれる。
思考停止でも安心できる世界。しかし人はそれだけでは生きていけない。
8月5日(木曜)
人は状態である。
美しいうごめきであるにはこの状態をいかに美しておくかが重要となる。
それは余裕でもあり愚直でもある。
余裕は余裕がないの中に存在する。
8月6日(金曜)
多色のうごめきという概念は世界に波及するのか?世界とはうごめきである。美しくうごめくことなのだ。いかに人は美しくうごめけるのか?
8月8日(土曜)
世界は小さなうごめきの重なりでできている。
8月9日(日曜)
人は自分がうごめきを認知しうごめいていると実感している範囲においては、小さなうごめきの重なりで構成されていることを理解できる。
しかし、うごめきを実感していない遠いうごめきは大きいうごめきとしか認知できない。実際は小さいうごめきの重なりなのだが、その想像力を失ってしまう。
人は認知できるうごめきの範囲を全体と捉え、うごめいていると実感している範囲のことしか理解できない。
遠くて大きいうごめきに存在する小さいうごめきを認知し、思いを馳せる。そうすることで自己のうごめきは拡張へと向かい、その小さいうごめきに愛を感じたなら、愛でるという自己表現が起き、うごめきが始まる。そして愛でているうごめきに影響を与えることで触覚的コミュニケーションとなり、うごめきとなる。
その時、世界という大きいうごめきは自己の小さいうごめきの重なりであることを理解する。
振り返り
人を含めた万物は多色のうごめきであり、皆うごめく権利を有する。
誰からもその権利は阻害されない。
個や多様性という概念では理解しきれなかった概念。
多色のうごめきなのだ、世界は。
もやもや