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今週の出来事(6/27~7/3)
Random thoughts and head trip [Week. 121]
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今週の出来事を書いていきます。
6月27日(月曜)
もにゃ
6月28日(火曜)
忘れた
6月29日(水曜)
朝が大事だけど朝に弱い矛盾
6月30日(木曜)
やがてくる危機
7月1日(金曜)
そして少しずつ
7月2日(土曜)
多層的に生きている自己は到達点が見えづらくなっている。
しかし、到達することは本当に望んでいることなのか?
7月3日(日曜)
多層的な世界を横断的に生きる場合の自己とは何か?自己には到達できない?
一つの回答は、横断的な自己独自の世界、観念的世界を持ってしてそこでの役割と振る舞いを見出し、横断しながらも共通する自分を持つこと。しかし、それを定義した時点でそれは複数ある世界の一つになっているのかもしれない。
人は物事に意味を見出す。見出す際に推論的にカテゴライズし、分かりやすくする。このカテゴライズ化された意味を無意味化し、それそのものの存在を感じ取れるようにする。その時はじめて、それそのもの同士が私たちという人称的主体を持ち、それは新たなうごめきの誕生とも言える。新たな世界が生み出され、それと同時に自分が生み出される。その新たな世界を生み出すことが一つの到達なのかもしれない。自己と他者の境が曖昧になるとき、快楽が発生する。それそのもの同士の新たなうごめきが生み出される時というのは、この自他未分な状況、快楽である。
つまり新たな世界が生み出され、新たな自分が生まれる。これが一つの到達であり、その時快楽が生まれるのだ。
そう考えるなら、横断的な自分を持つとしたらそれは、快楽を求めていくことなのかもしれない。
振り返り
具体的な世界はどんどん迫ってくる。取り込まれないようにする。
【今週のPodcast】
新しいPodcast「漫画とうごめき」を始めました。