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今週の出来事(5/9~5/15)

Random thoughts and head trip [Week. 114]

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今週の出来事を書いていきます。


5月9日(月曜)

今日も焦る。だから感情を観察する。


5月10日(火曜)

観察の後の直感。
焦りと孤独が心を蝕むのかもしれない。


5月11日(水曜)

少しずつ見えてくるものがある。それが心を安定させる。認識の範囲。


5月12日(木曜)

どう認識し、どう対応するのか。それだけ。


5月13日(金曜)

過去の体験によって、未知への想像力が影響する。そこがより過去の体験を想起させる繰り返しのようなものを感じた時、より身に迫る感覚がやってくる。


5月14日(土曜)

解放は喜びを生む。その一方で、それは二項対立的世界観での喜びであり、解放には同時に抑圧が存在する。
快楽なのだ。それが二項対立的世界観とは異なる世界観を見せてくる。


5月15日(日曜)

快楽とは、自他未分を感じること。自己と他者の境界が曖昧になる、現実と空想の境界が曖昧になる、見えている世界と異なる世界が曖昧になる。それらは混ざる感覚ともいえる。混ざるとは、異なっていることが前提の概念。同じではないのだ。混ざるは快楽をもたらす一方で不安を与える。それは今の存在が揺らぐためだ。不安を感じながらも快楽を感じ、そしてそれは共に回る技術というものである。
記憶からくる見に迫る感覚と認識の範囲(時間と距離)による未知に対する感覚、それは恐怖や期待として現れるのだが、それは共に回る原動力、エネルギーとなる。そして共に回る技術とは、解放と快楽である。共に回るエネルギーと共に回る技術が、共に回るうごめきを描き出す。それが美しくも心地よいうごめきであるかは分からないが。
うごめき的に見ると、精神的な安定は循環している感覚によって与えられる。循環している感覚を得るには、うごめきを認識できるようになる必要があるのだが、その方法は、全体の一枚絵の可視化と、一枚絵に対する自己の影響度の可視化であると思う。完全なる一。全体というのは定義も認知も不可なので、ある領域での全体を一枚絵という形で表現することはできるのではなかろうか。そして、その一枚絵は個である自己の行動によって変化する、影響度が認識できるのだ。それがうごめきの認知であり、その一枚絵が循環の様相を呈しているとき、精神的安定ももたらされる。循環は、ある領域での全体の一枚絵と自己の影響度で認識できる。


振り返り

美しくも心地よい循環的うごめきを感じながら、何かに達することに期待してうごめく。このバランスなのだろうな。
循環を感じられなくなった時は、見えている範囲が狭くなっている。


【今週のPodcast】

そろそろ出るかも。


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