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今週の出来事(4/17~4/23)
Random thoughts and head trip [Week. 163]
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今週の出来事を書いていきます。
今週の振り返り
我々についての思考は一旦の決着がついたように感じる。
この思考は表現に落とし込んでいく。
記憶について、存在論について思考するか。
それとも表現に没頭するか。
4月17日(月曜)
他者との境界線が曖昧になるというよりも、自己を囲っていた輪郭の線が崩れて交差するという方がしっくりくるな。
そして、輪郭自体が変容するのだ。それが我々になるということ。
4月18日(火曜)
境界線が曖昧になるということ、我々になるというのは、境界線がなくなることではなく、境界部分の輪郭がよく分からなくなることなのではないか。
境界はなくならない。境界はある、あり続けるが、よく分からない。そういうことではなかろうか。
そして我々になるというのは境界がなくなり同じになる、みたいなものをイメージするが、そうではなく、境界はあるがよく分からなくなり、その触れ合う自己の輪郭が崩れ、線が交差し、やがて自己の形が変容することではないか。
我々になるというのは、境界はありながらも、相互に自己の輪郭が変容することにある。
境界は接着というよりも交差して×ができることに意味がある。
そして、我々の輪郭は崩れ、変容するのだ。
なので、全ての人の境界がなくなればいいという、現代においても目指すが到達できない領域ではなく、境界はありながらもよく分からなくなり、相互に形が変容することに我々性を見出すことが重要なのだと思う。
変容しながら動き回る。それが身体的に納得できる体感をどう描くかなのだろう。
4月19日(水曜)
今日は脳死デー
4月20日(木曜)
頭痛い
4月21日(金曜)
粛々と
4月22日(土曜)
テクストと向き合う。
向き合うの下手になったなと感じる。
4月23日(日曜)
宇宙的郷秋。異なる系の持続は同時にある。
今現在を遠い宇宙の記憶として思い出すことも可。
差異を重ねながら我々は拡散する。一にまとまることはない。