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漫画とうごめき#6

原作・北國ばらっどさん、作画・桜井みわさんの作品『仮面学級』を独自の視点で読み解きながら紹介していきます。

※全力でネタバレをします。漫画『仮面学級』をまだ読まれていない方は、まず先に『仮面学級』を読まれてから、本エピソードをお楽しみください。
仮面学級 - 北國ばらっど/桜井みわ | 少年ジャンプ+ https://shonenjumpplus.com/episode/3269754496597279057


あらすじ

では、まずは簡単に「終末デート」のあらすじをサクッと振り返りますね。

この漫画の舞台は現代の日本。
主人公は汐(うしお)という名前の青年です。

彼にとって、その日が人生で初めてのデートをする日のようで、気合を入れてショッピングモールに来ています。
デートの相手は、汐のバイト先の先輩の女性です。
汐は相手の女性のことを先輩と呼んでいて、メガネをかけた元気が良くて面倒見のいい感じの人です。

で、そんな大事な日に、突如世界中の人がゾンビになってしまう事件が発生します。

ニュースでも世界中の混乱ぶりが放映されていて、汐がいるお店でも、いたるところにゾンビが彷徨っています。
そんな状況でも、どうにか噛まれずにいられた二人は、なぜかこの映画みたいな状況でデートを楽しもうと遊び始めます。
で、一通り遊んだ夜、倉庫で隠れている二人は、お互いの気持ちを話していきます。
その後、二人はパトカーを盗み、ゾンビ達を轢き殺しながら店から脱出して、夜道に飛び出していきます。
と言った感じです。

ストーリー解釈

はい。では、ここからはより詳しいストーリーを追いながら、この物語を読み解いていこうと思います。

で、読み解くうえで、今回も一つの概念を用いて語っていこうと思います。

その概念は「到達」です。

人が生きる上でやってくる到達、これにはどんな構造が潜んでいるのか、それをこの物語を読み解きながら考えていきたいと思います。

物語の序盤、初っ端からショッピングモールにパトカーが突っ込んできます。
パトカーに乗っていた警官もゾンビになって出てくるわけなんですが、
警官以外にも、店内のほとんどの人がゾンビになってうろついています。
突然のクライマックス、という感じですが、
主人公はなぜかその中で一人ゾンビにならずに助かっています。
で、血だらけのカフェの店内でデート相手の先輩がやってくるのを待ちます。
人生初のデートの日なのに、と悔やみながら、デートの相手である先輩の無事を祈りながら待っているわけです。

そうすると、ゾンビ化した先輩がいかにもゾンビっぽい感じで「あ..あ…」と言いながら向かってきます。
ゾンビ化した先輩を見て、汐はショックで固まってしまいます。
で、そのまま先輩に襲われそうになるのですが、急に先輩が小声で声をかけてきます。
「しー、私のマネしろ」と言ってくるわけなんですね。
先輩は実は無事で、ゾンビのフリをしてこの状況を掻い潜ってきたようです。

で、二人はゾンビのフリをしながらその場から逃げていきます。
館内のテレビで流れているニュース番組では、世界中の至る所でゾンビっぽいのが大量発生していると言っています。

その後、ゾンビがいないスペースに逃げ切り、これからどうしようかと話す二人。
こんな絶望的な状況でも先輩は、明るく飄々としていて、汐はそんな先輩にハイハイとツッコミを入れていきます。
二人はこのバランスで普段から接しているようで、お互いに惹かれ合っている見たいです。
付き合う前の、核心には迫らないがお互いに好意を寄せる絶妙な空気感を出しているわけなんですね。

それは、いわゆる到達する前の状態、とも捉えられますね。

もちろん二人にとっての到達というのは、結ばれて付き合うということだと思いますが、そこに至る未来は見えつつも、ギリギリそうなる前の状態と言ったところですかね。
恋愛で言うなら一番楽しくて、一番夢中になるときかもしれません。

で、僕は人と人の関係性や空気感、構造はうごめきだと捉えています。
それぞれ異なる存在が常にお互いに影響を与えあい、その中で見えている世界や価値観、相手との関係性が変化し続けるものだと思います。
そして、それが心地よいうごめきである時、うごめきの流れは緩やかな循環を描くと考えます。

ただ、その一方で循環というのは、どこか終わりのない、どこに向かっているのか分からなくなるような感覚もあります。
なので、人はどこに向かっているの不安になるので、いずれ何かに到達することを無意識に望んでいるんじゃないかと思うんですね。
もちろん人によりますが。

ボールを投げてもどこに行くのか分からず、ひたすら飛び続ける。
ボールを投げたら的に当たり、止まる。
後者の場合、的に当たるというわかりやすい目標や目的意識を持って行動ができる。
到達があることで、自分の存在や向かう方向がシンプルにわかりやすくなる効果があるのでしょう。
ただ、わかりやすくなる分、こぼれ落ちるものも存在する。
それが到達と循環のバランスの難しさなんじゃないかとは思います。

で、二人は心情的には強烈な到達を控えているわけです。

先輩はなぜかこの状況で、この映画みたいな状況でデートをしてみたいと言い出します。
最初は困惑する汐でしたが、甘えるような先輩の表情に心を奪われて一緒に遊ぶことを選びます。
そして、身体中に血糊を塗って、都度都度ゾンビのフリをしたり隠れながら、ショッピングやUFOキャッチャー、ホッケーなど、いかにもデートらしい遊びをやっていきます。

ただ、館内のテレビでは、ついにアメリカ軍が全員ゾンビになって、大統領もさっき噛まれたと公表しだし、いよいよ世界の終末感が近づいてきます。

世界の終末、これもまた到達ですね。
世界もまた長い歴史の中での循環ですが、全体を捉えることはできません。
そんな長大な存在の到達が見える。
それは世の流れを強制的に突きつけられているような、大きい潮流に自分も乗るような感覚でもあります。
この大きい潮流に自分も乗るみたいな感覚というのは、この話ではネガティブな事象ではありますが、その一方で、どこか恐怖とは異なる何かを感じるようにも思います。

で、トイレで汐が手を洗っていると、男の子のゾンビが急に襲ってきます。
そしてそのゾンビを倒しはしますが、その時手を噛まれてしまいます。

ショックを感じながらも、先輩には噛まれたことは黙っておく汐。
夜になって、二人はショッピングモールの倉庫にひっそりと隠れます。
で、ゾンビに噛まれて元気のない汐に、先輩はゆっくりと自分の想いを話していきます。
今日は私のわがままに付き合ってくれてありがとう、と。
汐がデートに誘ってくれたことが嬉しかったこと。
自分は幼稚だから今までそういう経験全くなかったのに、こんなに付き合ってくれて楽しかったことなどを話します。

で、「いつかまたデートできるとしたら… 私に付き合ってくれるか?」と言います。
その言葉に汐は、思わず先輩にキスしようとします。
しかし、ギリギリで留まるわけなんですね。

で、「すみません。オレ、もうデートできません」と言います。
そこから、さっきゾンビに噛まれたことを話します。
で、人生で今日が一番楽しかった、色んな意味でドキドキしたと。
ただ、「最後までエスコートできなくてすみません」と謝ります。

そう言われた先輩は自分のジーンズの裾を上げます。
すると、右足のふくらはぎにゾンビから噛まれた後が出てきます。
先輩も実は、カフェで合流する前には既にゾンビに噛まれていたようです。
怖くて言えなかったこと、黙っていたことを謝る先輩。

ただ、二人とも噛まれちゃっているから、「もうキスしていいんだぜ。」と言います。
その言葉に汐は笑顔になります。

そして、二人が初めてバイト先で出会った頃を思い出し始めます。
バイトに入りたてで、失敗して落ち込んでいる汐を、優しく励ます先輩との思い出。

その時、二人は遂に到達したわけですね。
これは結ばれるという到達と、もう一つは人生の終末という到達です。
この二つに同時に到達したわけです。

この人生の終末という到達は、一見ネガティブなことではあるのですが、その一方で、二人の見えている世界をかなりわかりやすくする効果もあります。
明日から先の未来は自分達には存在せず、今一緒にいるという現実だけが存在しているわけです。
もうそれ以外の複雑な人生の要素はなくなり、ただシンプルにそれだけになるわけです。

で、手を繋いで身を寄せ合いながら、先輩は「こんな場所ではなくてもっとドラマチックな場所で死にたかったぜ…」と言います。
「ほら…映画みたいに、車で… 壁突き破って… 脱出してさ…」
その言葉に汐はあることを閃きます。

で、物語の序盤でショッピングモールに突っ込んだパトカーを二人は盗みます。
そこから、店内のゾンビを轢き殺して、壁を突き破って、店の外に脱出します。
で、脱出できたことに二人は最高に興奮するわけです。

夜道を走るパトカーの上空では、飛行機が何機も墜落していっています。

というところでこの物語は終わりです。
最後、二人は到達と共に大きな快楽をえたのではないかと思います。
世界中が終末を迎えていて、自分達も同じように終末に到達しようとしている。
ただ、そんな中でも自分達は、少しの自由と高揚感を得られる体験に到達した。

それは、自分達はかろうじてまだ生きている、そして結ばれるという到達を共にした二人で思いっきしやりたいことをやることで生まれる感覚です。
それは、勝手にですけど、この世の中での自分の存在感を高められた感覚なのではないかと思います。
世界の流れの上を走っているような、そんな感覚。
なので、結ばれたい相手と結ばれるという、自分が夢中になれる到達と、世の中の流れの上を走っているような快楽が同時にやってくるという、大抵の人はなかなか体験できない領域に二人は最後到達したのではないかと思います。

で、到達の効果で、よりシンプルに物事が見えると。
シンプルで爆発的な興奮を感じながら終末へと向かっているんじゃないかと思います。
祭りの花火のような刹那的な興奮ではありますが。
ただ、人はどこかで到達することを望んでいる。
そして、けっこうそういう、究極的な到達をどこか望んで生きているんじゃないかな、とか思ったりするわけです。


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