AIと人間、共有する創造力:うごめきから生まれる新たな自己
※このnoteは、Podcast番組「漫画とうごめき」で語っている言論部分を文章化したものです。漫画とうごめき本編は、最下段のリンクからどうぞ。
「ヒューマンビカミング」の考え方とは、存在の前に絡まり合いがあるという思想で、その絡まり合いから存在が生まれるとされている。従来の認識は逆で、存在から絡まり合いが生まれるという考え方だろう。
このヒューマンビカミングを基に考えると、存在は絡まり合いが先にあって、関係性が生まれる。その関係性や、より大きな視点で見ると社会や文化は、「うごめき」と捉えられる。そして、そのうごめきを自己と自己以外に分けたものが、自己であり、それが人間なのだという認識。
この自己と自己以外に分けるものを「閉じられた世界観」と呼び、それをベースに考えると、人間かAIかという二項対立ではなく、AIも含めた絡まり合いが先にあると言える。その中からうごめきを見つけ出し、閉じられた世界観に閉じることが重要となる。
例えば、AIが描いた絵を見て感性が刺激され、その影響が自分の描く絵に反映される場合、その瞬間にはすでに人間とAIの存在が絡み合っている。そのため、どこまでが自己で、どこまでがAIなのか、またどこまでが自己ではないのかというのは、はっきりとは定められない。
この視点から見ると、自己の中には無数のAIが存在しているという風に捉えられる。そのため、AIか人間かという二項対立はあまり重要ではなく、我々の存在はそもそもこのような絡まり合いから生まれていると考えられるわけだ。
アーティストの例を引くと、彼らは素材を通じてその素材が持つうごめきを見出し、それを自分のフィルターを通して閉じ込め、表現する。そして、その表現する行為によって、新たな絡まり合い、新たなうごめきが生まれる。その結果、新たな自己が見つかることもある。
そして、この閉じ込める行為の先に新たなうごめきが生まれるという考え方は、AIの議論をもう一歩進めることができるだろう。
このうごめきを見つけ出し表現する行為は、自己の新たな発見を可能にする。自分が見つけたうごめきが、他人との絡まり合いや新たな創造力を引き出す一助となる。ここでのキーポイントは、自分と外界の境界が曖昧になり、それを通じて新たな自己を見つけ出すということだ。
物事には始まりがあり、それと同時に終わりも存在する。しかし、アートやクリエイティブな活動は、最初の意図から全く違うものになることもありえる。
さて、私たちが接する素材の一つに「土」がある。土というのは、岩石や生物の死骸が長い時間をかけて粉砕されてできたもの。
つまり、土自体が長い時間を経て形成された、様々な要素が絡み合ったうごめきの象徴なのだ。
この土を使って表現を行うことは、自然界全体を射程に置いた大きな絡まり合いを自分自身で閉じ込め、新たなうごめきを生む行為と言える。
ここから考えると、自己を見出すということは、単に人間社会からだけでなく、自然界全体から見つけ出すことで、更に深遠な何かを発見することに繋がるかもしれない。
自己の存在は、その周囲の絡まり合いから生まれ、その絡まり合いは常に変化し続けている。私たちはその流れに身を任せつつ、自己を定義し続けることで、新たなうごめき、新たな発見を探求する旅に出るのだ。
それが人間であり、生きるということなのかもしれない。
Podcast版はこちら