今週の出来事(2/28~3/6)
Random thoughts and head trip [Week. 104]
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今週の出来事を書いていきます。
2月28日(月曜)
どこでもドア
3月1日(火曜)
あわわわ
3月2日(水曜)
もあああ
3月3日(木曜)
拡張体質とパッと覚悟を決める強さは距離が近そう。濃度を上げていこう。
3月4日(金曜)
馳せることもなくひたすら構築。
3月5日(土曜)
僕らは技術一元論的な世界で生きているので、どんな時でも生産性を追い求めてしまう。
啓蒙主義により一神教から技術一元論的な世界へと移行していき、具体的な形が違えど、全体の一に向かって全てを標準化していく流れは変わらないままグローバル化し続けている。
どこに行っても同じなのは、どこに行っても同じになるように技術が浸透してきた結果であって、元々同じだったかどうかは疑問である。
宇宙技芸のある技術は、技術多様性を実現しうる、という話は非常に面白い。それは個とはバラバラな集まりの状態であるということ。そして、そのバラバラな集まりが多層的に存在することによって、二項対立的な明確な価値観、正しさの強さを無力化することができる、という僕の仮説につながるものを感じる。
それは立体P2P理論的な感じなのだろう。バラバラな集まりの周りには電子が回り磁力を発生させる。全てを同じ周回にして、磁力をなくし全て同じにする技術一元論的な世界観で正しさの強さを無力化するのではなく、バラバラな周回にバラバラな磁極からなる磁区が、多層的に存在する立体P2P的世界。そこでは、正しさの強さは単なる平面的な強さであり、多層世界ではごく一部の何かが影響を受けるだけである。影響を受けるが取り込まれない状態。ここに美しくも心地よいうごめきが存在し、それをこのような抽象的な概念による表現だけでなく、器に媒介する必要がある。それが具体的な連帯を生み出し、本質的に価値観や文化を変える。技術と文化は未分化なのである。
3月6日(日曜)
ある人のルーツや物語、文化、技術を経ての表現。ある人から産み落とされる具体的な何かは、抽象的な人の文化を表す媒介となる。また、個人はバラバラな集まりの状態である。バラバラな集まりの多層レイヤーによって人の文化は醸成され、具体的な表現技術を媒介として世に表出する。
近現代においては、文化や価値観を媒介する技術は、グローバル化という世界の標準化によって単一のものになろうとしている。単一に向かった先にあるものは、ユートピアなのかディストピアなのか。それはまあ別にいいとして、単一の世界に向かう過程で自己免疫的な悲劇が生まれている。防ぎようのない(ように見える)、どうすればいいのか分からない悲劇。単一にするとは、本来バラバラな分からない(分けられない)ものを分かるようにすること。世界を単純化し、分かる世界にしようとする。分かる世界がエクストリーム化した結果、どうしていいか分からない問題が世界の内側から現れてくる。体内の細胞が突然変異で体を蝕んでいくように。全て単一になるというのは、技術が単一となり、その背後にある抽象的な世界も統合されていくということ。しかし、人はそれぞれ異なる世界で生きている。この矛盾を内在しながら誰の視点でもない世界は膨張し続けている。
音楽や料理はそんな中でも技術多様性を、単一の技術に取り込まれにくい分野なのかもしれない。影響は受けるが取り込まれない。単一の世界は平面的、多層的なバラバラな世界は立体的。多層世界にさらに深さをもつことで、一部では影響は受けるが取り込まれない状態にできるのではないか。その具体的な技術を持って生きていく。そして表現する。
無限膨張の先にある単一は共同幻想であるかもしれないが、狂信的な正しさの強さをもつ。バラバラな無限循環がさらにバラバラに集まっている、一見カオスのようでカオスではない状態。このバラバラな世界は正しさの強さに取り込まれない強さをもつ。バラバラな世界を媒介する具体的な技術が求められている。
振り返り
抽象度を自在に扱えるようになる。ここに立体性があるように感じる。この立体性とは深さである。抽象と具体を適切な深度で扱え表現する。立体的表現力。
もやもや
[今週のPodcast]
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