今週の出来事(8/16~8/22)
Random thoughts and head trip [Week. 78]
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今週の出来事を書いていきます。
8月16日(月曜)
全ては表現。生きる。
8月17日(火曜)
余裕を得るために余裕をなくす。シンプルな世界。
8月18日(水曜)
社会とは余裕を得るための共同体。
8月19日(木曜)
余裕を得ることが人の喜びなのか?
そういう側面もあるが、余裕の上に存在する拡張変化こそ喜びではないか?
8月20日(金曜)
かつて人は大きいうごめきに思いを馳せ世界とうごめいていた。
そこに余裕を得るためのシステムを構築し、営みを行なっていた。
8月21日(土曜)
大きいうごめきとは小さいうごめきの重なりであった。
それが実感できる時代において、人や世界の認識は今のままではずっと社会は歪みっぱなしである。
8月22日(日曜)
人とは小さいうごめきの重なりである。不変的な個ではない。
世界とは小さいうごめきの重なりである。お膳立てされた大きいうごめきではない。
世界の中心はどこかに存在するのではなく、自己の中に存在する。
人はそれぞれ違う世界を認識し違う世界に生きる。
統一された世界に生きる必要はない。それは行き過ぎた余裕をのための言い訳に過ぎない。
違う世界に生きながらも、違う世界に思いを馳せ、美しくうごめくことだ。
思いを馳せる余裕さえあればいい。社会とは余裕を得るためのうごめきなのだ。
振り返り
今年のテーマは「社会とつながる」だったが、結果的に社会を問い直しはじめてきた気がする。
別に今の社会は間違っているというわけでもない、そもそも正しいも間違っているも世界にはない。自分がどう見えているかだけだ。
ただ、同じ世界を見なくてはいけない社会はどうでもいいと感じる。
社会を変えるとは、見えている世界を統治することなのか。
そうではない。世界は小さなうごめきの重なりなのだ。
もやもや
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