スポーツの引退とブレイン系ゲームの引退
記載開始日:2021/8/12
コロナウイルス厳戒態勢の中で開催された五輪競技(東京オリンピック)も無事終了し、パラ五輪に向けての準備が進行中な昨今。
気が付いたら直近の雑記から3か月程経過してしまいましたが、如何お過ごしでしょうか。
次に挙げようと思っていたテーマは決めていたのですが…
手離し難い本職が落ち着かないまま考えていたら混沌としていたため、遅筆の癖が出ていたという近況でいます。
思考中の幸いは、ワクチン接種タイミングに困っていたら本職側で職域接種の展開が発生したので、2回目接種を近々迎えて秋突入時はワクチンパスポート申請が出来そうになることでしょうか(汗
今回の基盤は「引退」という言葉について軽く置いておこうかと思います。
スポーツだと五輪参加や大きめの大会参加を遂げた後を含む、身体能力の限界を感じ取った時に指導側に回るためや諸々の理由で身を引くために
「引退」という言葉が使われることが多いかと思います。
中の人の世代域だと、引退会見で大きく印象に残っているのが
・長嶋茂雄の「我が巨人軍は永久に不滅です」
・千代の富士関(故人)の「体力の限界」
が残っていたりしますよね…(遠い目
(当時の画像や情報はネット検索すれば色々出てくるかと思うので割愛します)
よくよく考えると、端的に「引いて退く」ので活用機会はどこでも構わないはずですが…何か軽々しく使えないのも妙な言葉な気もしてたりします。
電源・非電源を問わず「思考脳力」が特に問われるゲームの「引退」の境界って何かと考えたら…
「対象ゲームの中で試行錯誤を行う労力が無くなった時」が区切りになるのかなぁと思ってたりします。
ただ、生きてる限りは常に何かしらで思考能力を働かせるわけですよね。
それもあって、長期間休んでいても「引退」という言葉が出しにくい気がしていたりします。
(生活の中でも置き換えられることは多々あったりするので、年配者の方が強いケースも出てきますよね)
戦線参加からは退いていても、金銭賭けなくても(賭けられない環境に置かれても)考えることに楽しみを持てる以上は「引退」の意識は持てないかと思っていたりします。
老衰などの経緯で、何もできなくなっていく様の展開を芸能寄りの「おくやみ」関連記事で散見するたびに色々かんがえさせられますが…
諦めない感情を持ってる以上は吐露せずに何とか気張っていきたい昨今です。