「ストラドル杯」初参加時の風景から順位確定、そして初年度の傾向。
記載開始日:2020/06/04(木)
前の記事からほぼ1か月程空いたの、どこから徒然を書こうかなかなか決まらかったのですが…「ポーカースタジアム」始めてる方も結構散見しててハンド諸々の話が挙がってたので、初参加時の騒然ハンド展開を起点に書くことに。
過去のゲスト投稿(100Q含めて4本?)でも詳細はゲスト投稿に上げてないし、20年程経過した今でもボードの数字は鮮明なメモを確認したので(汗
前に「ストラドル杯」のストラクチャーを少し書きましたが、序盤(Level 6まで)はこの経緯を思い出してハッキリしました。確か手持ち 5000 点スタートでLevel 1(25-50) ~ Level 3(75-150)までが Limit Hold'em、次のLevel 4(100-200)からが No-Limit Hold'em だったかと思います(記憶違いだったらすいません)。
自分の印象を決定づけたハンド、過去に投稿した 100Q にメモがあったので初回 Up からは少し修正してますが…ここは AA を持ってた側からの視点で少し書いていきます(チップ量も当記載で確定です)。
Level 6: 200-400、Big Blind から 4 番手程でしょうか。手前 3 人は foldの状況、大体 3BB 入れる事が主流でその彼も御多分に漏れず Raise to 1200。私は SB、隣の BB のチップを「ぢっ」と見て考えて Call → 隣(BB) はほぼノータイムで fold と Heads-up に。
そしてフロップは Q - 2 - 5(rainbow)。私(SB)、慌てふためいて 2,175 All-in 。
AA 持ちの彼、焦りつつも(チップ量カバー可能な手持ちもあり)Call にてベットアクションは終了。Playing Dealer から「Show down」の声がかかり、開いてきたのは… 5d 2d 。
Pocket (ましてや QQ)なんてのは微塵もない、タダの 2 hit で。寒いと思いつつも Pot より若干少ないので脊髄反射で入れた形に。小さい1フロアで4卓立っていた最中で隣から見る方も多いのもあり、大爆笑とざわめきが混じっていました。入れた本人は大真面目だったのですがねぇ…(遠い目
そして、Turn に出てきた数字は 3 。d(ダイヤ)では無いためフラッシュ目が潰えてストレート目が出てくる(最後に Q, 3 以外に 4 が出ても終了)も… River には 8。確か最後で 3-8-Q ゲットは明確に覚えているゆえ、このようなボードで「52>AA」が成立しました。
持ってかれたAA持ちの彼が海外参加経験者(!)というのもあり、目の敵にされることが多かったのですが…こちとらベットが止まるならポケットよりギャップ数が4 以内の色ぞろい(当時から Suited と呼んでて、不揃いは Outside suited で XXo と書く )にも River までの妄想を含ませて入れることもしばしば。そうでもしないと有利なチップ量は作れない気がして序盤の Level を模索していてのショート気味な手持ちだったかと(汗
何でも Call するわけでは無いですが、偶々条件が重なったり番手有利な状況が発生したら終端まで出かけるための仕掛けをかますことが多い最中でのこの流れでした。
そこから紆余曲折あるも、何とか最後の3人まで残る形に。残り3人の中ではちょっと少な目からのゲームで我慢が続いた最中、チップ量上位の2人が共に all-in する形になり、2番手が飛んだのでショート気味の私が残る形に。そのあとにキッチリ飛んで、拾いものの2着で初戦は終了。ただこの時の Bounty 数も覚えていて、7 だったかな…当時としては多いほうだと言われた気がします(追々、1トナメ内で 「13」という数字を作られるまでは大体 7 ~ 10 作るのは厳しかった気が)。
以降は5年ほどフル参戦するわけですが、基本は「年単位のリーグ戦なら初戦から参加しないと合わない」との心構えが先で「bounty 確保基準で走ろう」と腹決めたのが 当年 4 月度の前半終了時だったかと。その時点では後半のパンドラが相性悪めも前半の喫茶店間借りの回の Bounty 数が「7-7-0-7(0 の位置はともかく 7 が 3 回あった)」とそこそこ多めに積んでいたので、先ずは年間 Bounty 数 Top を視野に置こうと思った所以です。
最後に、初年度の決勝参加完遂後に初めて記したゲスト投稿の記事を置いて締めようかと思います。誤字脱字や語弊が多少あるかと思いますが、当時送信時(2002/01/21)まんまの状態で上げておきます。盗作とかインスパイアは極力避けてほしいですが…まぁ晒した以上はお任せで。