国内ホールデム夜明け前の話(その2)

記載開始日:2020/05/10(日)

時は西暦2000年。音楽シミュレータ「beatmania」界隈のコミュニティ参加に陰りが見え始め、新宿パンドラが靖国通り沿いから小滝橋通り沿いに場所を移して営業しているという話を聞いて以降は店を覗いてはボチボチと昔のポーカー卓を作ってたのを確認して遊んでいた頃。

パンドラ教室では「パンドラTOC杯」なるものが開催されていました。確か米国本土の The Orleans Hotel & Casinoで開催されてた「The Tournament of Championship」に倣った月1回の年間リーグ戦をやっていまして、秋ごろから参加を始めています。11月開催時に初優勝して翌年のリーグ決勝戦に参加したのを記憶しています。優勝月間違ってたら申し訳ないけど、参加初めて3回目ぐらいだったかと思います。

以降は丁度上記の Tweet と重なりまして。呟きに挙がっている「ストラドル杯」の参加に誘われて次年度の頭から参加する話になりました。「ストラドル杯」自体は既に年度終盤を迎えていたのですが、いつから始まったかは記憶にないです(汗

2001年度は毎月第2土曜日に主催者が喫茶店を夕方から翌朝まで借りる形で開催される「エデンステージ」と、第4土曜日にパンドラ教室で開催される「パンドラステージ」の月2回で開催されています。あとは夏ごろに湯河原で開催された特別トナメがあったぐらいで、1999年から行われている記録がある「Poker in Nagoya」にお邪魔したのもこの頃だったかと。

当時行われていたゲームスタイルですが、「パンドラTOC杯」が TOC style(Limit Hold'em/Limit Omha Hi-Lo 8 or better/Limit 7 stud→決勝9人時は No Limit Hold'em)に対し「ストラドル杯」は純粋に Texas Hold'em。Level 2迄は(初心者防護もあり) Limit 制が混じっていたか記憶が定かではないですが、No Limit が基盤でした。夜中にリーグ戦外のミニトナメ(ゲーム種類は様々、Pot Limit 制導入や Crazy Pinapple、Tahoe もやってたかな?)が行われていました。

前記の「The Tournament of Championship」、2001年時はかなり盛況だったのも覚えています。日本からは凡そ 20人が参加して Team Japan が出来上がる程(前年は日本人2人が入賞)でして、その勢いで自身も観戦がてら本土初上陸を遂げています。現地では1テーブルサテライトで初勝ち切りはしているものの全体的には芳しくなかったため本戦参加は叶わなかったのですが、決勝を含む3日間見学させて頂いています。決勝卓も最後まで見て、リバーで(AJ vs T9 で Q が落ちて 8 to Qだったかな)ストレートが決まり優勝者がが確定するまでを現地の会場で見ていました(優勝者は2年後ぐらいに病気を患って逝去したんだけっけか…この時の 2 位は T. J. Cloutier [今でも Google で引っかかるのでご存命])。

この時の日本人の結果は入賞1人。超絶ショートとなってしまった時のハンド(AK手持ちもローボード傾向で何もできず)の物議もあったのですが、初めて長期滞在を図ったり現地プロと真剣勝負を行うなど楽しい時を過ごさせて頂きました。AC界隈は丁度 Dance Dance Revolution U.S.A. が稼働していて帰国前日に踏んでいった(プレイは大したことなっかったけど店員に「明日来ないの?」と話しかけられて「ごめん、翌朝飛行機で離脱するんだ」と会話した)のも記憶しています。

無事帰国以降は現地TOCが最終年となるニュースが飛んできて、パンドラTOCも最終年に。そして2002年に「一風堂 上野広小路店」辺りに「Ueno Room」という場所が出来まして、以降はパンドラと「Ueno Room」が中心の流れになった感じですかねぇ…途中、新宿の「パンドラ」も閉店の憂き目にあっています。ただコーナーポケット開場も2002年なので、トナメ式のポーカーを行うにはギリギリ困らなかった時期となります。

筆者の流れをざっくりと書きますと、初参加(2001年開幕)時の結果は約 40 人程の参加の中  2 位。以降は「ストラドル杯」中心のアミューズメントカジノと音楽シミュ主軸のAC通いの並行生活が始まるも、2004年にWSOP初参戦を遂げた以降は国内で継続する気持ちにも陰りが見え始めて2005年度の決勝卓参加を最後に「ストラドル杯」を離れる形になりました。まずは自分の国内の仕事状況諸々を整理しようと思ったのが切欠ですかね…(汗

因みに、参加していた 2001~2005 の間に WSOP のサイドイベントで決勝卓に残った経験を持つ方は3名いたかと記憶しています。一人はシニアイベント系(4位程に割り込んだのを書き終わり後思い出したので追記)、残り2人は共にゲームは Pot Limit Hold'em。PLHに至っては奇しくもボード違えど最終順位(9位)と飛んだ Hand (KK)が一緒というのも語り草になるかと思います(2005 年の方は情報漁ると見つかりますが、ここでの情報リンクは割愛します)。

現在の実情は3年前の末に倒れるなど色々あって落ち着かない状態が続いていますが、この頃の情熱自体は失っていなくて。脳内思考維持のために首を突っ込んだクイズ屋さんの世界が継続時間上回ったり、ACを細々と続けていますがAJPC限定で顔を出すように努めています。ただスマホ中心となってる今はタブレット経由でしか参加が望めない(携帯は諸事情あってガラホ使用者)ため、環境を模索している昨今となっています。

というわけで、夜明け前の流れの掲載はここまで。「ストラドル杯」が2007年を最後にクローズされてる(2007年まではWebのみで記録追ってましたが以降が見当たらない)ので、2006年以降の流れについては他の方にお任せで。



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