歌人紫宮透の短くはるかなる生涯
『歌人紫宮透の短くはるかな生涯』高原英里(立東舎)
死の気配。
ひたひたと聞こえくる足音のせまるのにせかされふと覗き込んだ路地の、目を凝らす暗い闇の、時満ちた果実の身投げするばらばらと飛沫く血の音階の、歓びに身を震わせる人外の、雄蕊と雄蕊の睦言の不毛の、恋人の、永遠に耳元で繰り返される囁きの、嘘ばっかり。
14歳で詩作を始め、17歳で短歌の世界へ転じた夭折の歌人〈紫宮透(1962〜1990)〉。「紫宮透の三十一首」より表題となっている歌から印象的な語句を一つずつあげていくとこうなる。
〈死体 黒き衣 宝石の匣 角 黒鍵 見えぬ処 猫眼 モノクロオム 水鏡 虚無 少年 天使 夏至の国 月影 三本の角 血薔薇 頭蓋 一点の朱 鉄の羽根 水底の色 硫酸銅 液状の心 るるるる 天空 藤壺 夕刻 石めくもの 見ぬ世 遠き世の恋人 永遠〉。幻想怪奇、それとも耽美か。死である。ままならぬ心の人外である。
〈妖怪人間ベム〉について少年紫宮は言った。〈『人外っていうんや、人になれん何か、どんなに心正しくても人に疎まれる』〉。争いを好まない、おとなしい少年が目に写したものは何か。
〈血薔薇蒼薔薇我が族は幼児焼死の報に華やぎ〉
歌人となり一部から熱狂的に指示されていた紫宮がバンドに提供した歌詞に使われた歌。〈墓場の 墓場の気分で 眠ろう 月の下 永劫に罰されて〉(月光刑)。
ゴシック・パンクバンド「バイロン・ビス」のメンバー4人。ボーカルは事故死、ギターは薬物死、ベースとドラムは行方不明。関係者は言った。〈墓場の気分だぜ〉。ほどなく紫宮もそこに加わることとなる。
『歌人紫宮透の短くはかない生涯』は〈文学のごくごく隅にいる〉と称する〈私〉がある詩人に紫宮勧められ「紫宮透の三十一首」を読んだ体をなしている小説。「紫宮透の三十一首」には彼と縁のあった人の回想、手記、紫宮の散文、歌が多く引用され、時代を追って彼の生涯が立ち現れる仕組みになっている。細かな脚注に頁の約3分の1を割き、当時の文化が詳細に綴られている。しかし〈私〉が〈これで紫宮透の内的心情が良く理解できたかというと違う〉と書いているように、語られれば語られるほどに歌人の姿が朧に霞む。路地を曲がる痩身の黒ずくめの歌人の横顔さえ良く見えない。
歌人がたびたび心奪われるのは〈不可知〉、それは死である。人外である。生きながら死んだものである。永劫に繰り返す死のようなもの。
〈永遠に遅れる列車わたくしの十六歳が駅に待っている〉
誰でも十六歳のまま何処にも行けない自分を持っている。つきつめて行けば人外にいきつくばかり。しかし、それは瞬き一回の中の暗闇にいつまでも棲む。そうしてその者にとって紫宮の歌は聖典となる。
〈夏の闇秘めて館の一室にはたりと閉じる宝石の匣〉
宝石は閉じ込められた。あとは輝きだけ。
(ユリイカ)