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呼称としての「先生」

とある場所から自分宛てに郵便を賜りまして、宛名に「先生」と書いてあることに気づきます。学校関係、教育関係の書類のやりとりではこのような敬称(たぶん敬称ですよね?しらんけど)がついていることは特に珍しいことでもなんでもありません。実際、自分も献本などをする際には各大学の教員のみなさまのお名前の後に「先生」をつけて送ってもらうことを当たり前だと思っておりますから。

とはいえ。自分にそれが向けられますと話は変わってきまして…

自分に「先生」をつけられると、いまだに面映いものを感じてしまうのもまた事実ではありまして、常に心のどこかで「ええんですよオレごときに『先生』とかつけんでも」と思ってしまうのです。

そういえば、トルコではそれに相当する呼ばれ方、"Hocam"と呼ばれる場面が日常的ではあったのですが、あちらではさほど違和感ありませんでした。それはおそらくは、かの地では常勤として任務に就いていたからなのではないかと思います。日本に戻ってきてからはそうではありませんからね。

まあ、形式的なものでしょうし、さほど気にしてもしょうがない類のことだろうとは思うのですけども。

なんかないものですかね?「さん」「様」をつけるにはちょっと違うなと思いつつも、「先生」とも違う、ちょうどいい感じの呼称…とまあ、ごちゃごちゃいうておりますが、次学期の準備を整えつつ、今週は東京遠征に行ってまいります。旅支度もしないといけませんな…

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吉村 大樹
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