「東日本大震災・原子力災害伝承館を 取材してnoteに投稿すれば 15万円と交通費を払う」 福島県からオファーが来た 取材で見えた3700万円のPR事業 原発事故と広告代理店の意外な関係
「東日本大震災・原子力災害伝承館を取材してnoteに記事を投稿すれば、15万円と交通費を払う」。
そんなメールが私に届いたのは2020年6月18日のことだ。同年9月20日に、福島県双葉町に「東日本大震災・原子力災害伝承館」(以下『伝承館』)が開館する3ヶ月前である。差出人は「エイスリー」という未知の会社からだった。
私は個人ウエブサイトから自分あてにメールが打てるようにしている。出版社からインタビュー取材や記事執筆の依頼が届くことも珍しくない。また、ここでご覧の通り、私はnote.muを使って「フクシマからの報告」という福島第一原発事故被災地の現地取材報告を書き続けている。それを見てどこかの出版社が記事の執筆を依頼して来たのかと思った。
伝承館は東京オリンピックに合わせて会期前に開館する予定だった(新型コロナウイルスの流行で遅れ、五輪そのものが一年延期になった)。私も開館したら見に行って記事にしようと思っていた。
しかし、私はこの依頼に違和感を持った。理由は4点ある。
(1)なぜnote.muに書けという依頼なのか?
出版社は必ず自社の媒体を持っている。集英社なら「週刊プレイボーイ」とか文藝春秋社なら「月刊文藝春秋」とか、である。最近はウエブ媒体のこともある。それぞれに編集部があり、担当編集者がいる。「どの媒体に書いてほしいのか」という指定がある。ところが、今回の依頼にはそうではなかった。
(2)note.muの記事も広告として買われているのか?
ご覧の通り、note.muは個人が直接(出版社を介さず)多数の読者に向けて作品を発信する「個人ブログ」に近い体裁になっている。文章や写真に限らず、イラストやまんが作品を発表する作者もいる。ここでの作品が出版社の目に止まって書籍化される例もある。
私が福島第一原発事故の被災地からのレポートをnote.muで発表し続けているのは、一般の出版社が福島第一原発事故の「その後」を記事化することに興味や意欲を持たなくなっているからである。2020年の現在、提案してもまず間違いなくボツにされる。出版社をあちこち回り、ニュース価値を説得して回るうちに、時間を浪費し、ニュースが古びてしまう。こちらも疲弊する。note.mu ならそんな無駄な労力を省いて、読者にニュースを直接届けることができる。読者が私の記事に価値を見い出せば、買ってくれる。
note.muは私が書いた記事を有料にして、読者から購読料を頂戴するプラットフォームを持っている。「サポート」という名前のカンパ機能もある。私は読者から頂戴した原資をためて、東京から福島に旅して取材するための電車賃、レンタカー代、宿代などを工面する。
幸いなことに、この「記者・読者直結型報道」の試みは成功し、1,2ヶ月に一度福島第一原発事故被災地の現場に入り、その報告を書くというモデルは安定して回転している。
しかし、今回は「報酬を出すので、鳥賀陽弘道の名前でnoteに書いてほしい」という企業からの依頼である。個人の篤志家がカンパを送ってくださることはあるが「こんな記事を書け」と指定してくることはない。
早い話が「私の個人名で書いた記事を買い取る」とこのオファーは言っている。もっとわかりやすくいえば「広告を書け」と言っているのと同じである。
私は報道記者なので「広告」はもちろん書かない。このことは後で詳しく述べる。
ひとつの疑問が浮かんだ。私にこういうオファーがあるということは、これまでも、note.muには報酬を払って書かせた「広告」が混じって掲載されているのではないか?
個人のブログやインスタにカネを払って自社製品を宣伝させる手法は、コスメ・ビューティ産業や健康食品産業では、すでに一般化している。広告であることが見えないので「スティルスマーケティング」と呼ばれていることもご存知だろう。
私にすらこういうオファーが来るということは、note.muで作品を発表している他のクリエイターたちにもそういうオファーがあることを否定できなくなる。
note.muはあくまで個人の発信作品という体裁を取っている。それが報酬の支払われた(あるいはキャラクターの俳優や歌手との撮影会などの便宜供与が報酬代わりになっていることもある)「広告」である場合、それは見分けがつくようになっているのだろうか?どうやって見分けるのだろうか?
(3)一体誰が依頼主で、報酬はどこの誰が払うのか?
驚いたことに、メールには「クライアントは福島県」とはっきり書いてあった。
伝承館は国の予算53億円で建設され、運営は事実上福島県が行っている。その伝承館の運営当事者である福島県が、私に報酬を払うから記事を書いてほしいのだという。
伝承館の運営当事者が報酬を出して私に記事を書かせるということは、単刀直入にいえば私の「言論を買う」ということだ。
私は報道記者である。報道記者の鉄則のひとつは「取材対象者から利益の供与を受けてはならない」である。取材対象から中立を保つという意味で「ニュートラル原則」という。取材対象から報酬をもらえば、これに違反することはいうまでもない。私の職業的信用は崩壊してしまう。このオファーは、「記者を買収する」とも邪推できる。
ここで私はひとつ疑問を持った。もし私が伝承館を見て、批判的な感想を持ったなら、それを書く「言論の自由」は保証されるのか?である。批判的なことを書いたら、修正されるのか?その編集権は誰が持っているのか?ボツもありえるのか?私はそれをエイスリー社に尋ねた。
もちろん、普通は報酬の支払い者の意に沿わない内容は許されない。最終的な編集権は、報酬の支払い者が持っている。それが出版業界の鉄則である。
その答えは後ほど本文中で書く。
(4)報酬がひとケタ多い。
提示された報酬額は15万円プラス交通費だった。私の34年間の記者経験でいうと、この内容なら原稿料は多くて3〜5万円である。伝承館に行って取材する以外に、補足取材も特にいらない。1日で終わってしまう。東京から日帰り、丁寧に取材しても1泊2日で終わる。
提示された報酬の大きさに、私はある事実を思い出した。
まだ福島第一原発事故が起きる前、私は電気事業者連合(電事連)の勉強会に招かれたことがある。「新聞記者はなぜ不勉強なのか」をテーマに、電力会社9社の広報担当者が集まる席で講演してほしいという。私は朝日新聞社に17年いて退社し、その回顧録「朝日ともあろうものが」を出版した直後だったので、このテーマには興味があった。かねて述べているとおり、私は原発に反対でも推進でもないので、求めに応じて自分の経験を話すことにした。
行ってびっくり。東京・霞が関ビルの最上階のレストランで、白いテーブルクロスの席に花が飾られ、フルコースの昼食が出た。各社の広報担当者や広報を下請けしている出版社の人たちが私の前に行列をつくり、うやうやしく名刺を差し出す。30分ほど講演をして、フレンチランチをおいしくいただいた。
帰り道、報酬の封筒を開けてびっくり。10万円入っていたのだ。当時、いろいろな団体で講演をしたが、私のような駆け出しの「フリーライター」が拙い話をしたところで、講演料は1〜3万円がせいぜいだった。さすがに電力業界はお金持ちだなあと感心した(原発事故前は電力会社の体質に興味も疑問も持っていなかったので、のんきな話で恐縮である)。
今回はその電力会社が起こした原発事故の伝承館の取材依頼である。福島県と電力会社、依頼主はまったく別なのだが、この報酬の多さに奇妙な既視感を持った。
(5)依頼してきた企業が広告業界の「キャスティング会社」だった。
私はかつて日本のポピュラー音楽産業を取材して「Jポップとは何か」(岩波新書)という本に書いた。2005年のことである。そこで「キャスティング」を業務にする企業があることを書いた。広い意味では「広告代理店」の一種である。
「キャスティング」とは、広告に出演するキャラクター(歌手、俳優など)や、その音楽を企業に紹介し、つなげる業務である。歌手や俳優にすれば、企業CMで顔や音楽が大量にオンエアされると、売上や知名度の向上になる。企業側も、流行のキャラクターや音楽を広告に使えれば、売上促進にも、自社イメージ向上にもなる。
ウエブサイトで調べてみると、私に依頼をしてきた「エイスリー」社は「ヒーローキャスティング」を事業の名前にしていることがわかった。
原発事故の取材をしているうちに、かつてJポップ産業の取材で接したキャスティング業界と久々に出会うことになった。若干の懐かしさを感じると同時に、驚かざるを得なかった。原発事故に関連する広報業務に、広告代理店がここまで深くかかわっている。
広告の目的は、対象の知名度を上げ、売上や集客を促進することだ。「人々が好感を持つ」ことが重要である。「負の歴史」である原発事故とは正反対の世界のように思える。
本欄の記事でも書いたとおり、伝承館は国や県が原発事故からの「復興」を宣伝する施設である。施設と展示をメディアとする「認識形成」(Perception Shaping)がその目的だ。あえて語調を強めれば「印象操作」であり、コミュニケーション論の用語でいえば「プロパガンダ」である。
これまでも、福島県はコメや肉・魚、モモやアスパラガスといった農産品を宣伝する「ふくしまプライド」というキャンペーンを大規模に打っている。これは福島県が進める「風評被害を払拭する事業」のひとつである。CMキャラクターにジャニーズ系人気グループ「TOKIO」が登場したりした。こうした広告手法は、かつてJポップ産業を取材した私には、見覚えがある。TOKIOをキャスティングすることを含め、広告代理店が事業を受注しなければ、こういうキャンペーンはありえない。
こうした原発事故災害と広告業界のかかわりについて、私はずっと興味を持っていた。今回の私へのオファーは、偶然にも、その研究材料が向こうから飛び込んできた形になった。
私は、今回の出来事は、広くnote.muの利用者と共有するべきだと思った。ここで発表されている文章やまんがなどの作品も、こうした報酬が支払われた「広告」である可能性が否定できなくなるからだ。
自分へのオファーを掘り上げて取材してみようと思ったのは、そんな理由がある。
まず、2020年6月18日に私に届いた最初のメールはこうである。
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