フクシマからの報告 2020年秋 沿線30㌔廃墟が続く 山街道を行く 人口帰還率6% 浪江町を歩いた 写真ルポ(下)
前回に続いて、福島県浪江町からの報告を書く。
上巻は同町の平野部・海岸部の市街地の様子を書いた。今回は方角を東から西に反転して、阿武隈山地の山間部を訪ねる。
前回のおさらいをしておこう。
浪江町は東西に長い。西の町境から太平洋岸まで35㌔ある。東京圏でいえばJR東京駅から八王子駅の距離に近い。福島第一原発のある双葉町の北隣。町の中心部は原発からは約8㌔しか離れていない。
2011年3月15日、福島第一原発2号機から噴き出した放射性物質の雲(プルーム)が、その町のほぼ全域を通った。特に西部の阿武隈山地にプルームが直接ぶつかり、雨や雪になって地表に落ちた。このため、山間部に重篤な汚染が残った。
この浪江町西部の山間部は、今も国道114号(富岡街道)の道路部分だけが通行できる。が、その外側はすべて放射能汚染のために立入禁止である。
その結果、実に町の面積の80%が立入禁止のままだ(政府は『帰還困難地域』と呼ぶ)。強制避難が解除されて3年が経っても、原発事故前の6.1%の人口しか戻っていない。原発事故前には2万1434人いた人口が1300人に減ってしまったのだ。
私は、2020年10月4〜9日にかけて、この浪江町山間部を訪ねた。町を東西に貫く国道114号を海岸部から西へクルマで走ってみた。
今回も、気が滅入る取材だった。
市街地を抜けたとたん、約30㌔の間、道路の両側に延々と民家や商店の廃墟が続いているのだ。時間にしておよそ1時間である。行けども行けども、雑草に埋もれ、崩れかけた建物が目に飛び込んでくる。ひとつの集落が灌木と雑草に呑み込まれている光景も見た。
公民館、保育園、美容院、食料品店、理髪店…かつてそこには地元の人たちの毎日の暮らしがあったはずだ。それを思えば思うほど、9年10ヶ月無人のまま朽ち果てた街を見るのは心が痛んだ。
これまで10年近くの取材で、浪江町の写真を撮りためてきた。人が住めなくなった町並みがどのように朽ちていくか、写真で比較しながら報告しようと思う。
(上の写真はどちらも2020年10月、福島県浪江町で撮影。本文中も写真は特記のない限りこれにならう)
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