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旧ソ連国の視点から見たウクライナ戦争を     ジョージア人国際政治学者に聞いた   「ロシアは旧ソ連の『近い外国』を      対等の主権国家と考えていない」

2022年2月24日に始まる(第二次)ウクライナ戦争について、ひとつの論点を読者に提供するため、かつてソ連の一国だった国の人々に同戦争をどう見るかインタビューすることを思い立った。

●ジョージアとウクライナの共通点

私が注目したのはジョージアである。ロシアとの関係において、ジョージアはウクライナと非常によく似た立場にあると考えた。

①モスクワやサンクトペテルブルグを中心とする「ロシア」に軍事的に征服され、ロシア帝国→ソ連の一部として併合された。
②1991年後のソ連崩壊後、主権国家として独立した。
③にもかかわらず、ロシア連邦に軍事侵攻された。

ジョージアは、2008年8月にロシアの軍事侵攻を受けた。5日間の戦闘でジョージア軍は壊滅状態に追い込まれた。ロシア軍は首都トビリシを占領せず、半分ほどの道程で引き返した。

●大陸国家ロシアの海への通路


地図を見れば明らかなように、ジョージアはロシアにとって地政学的に重要な位置にある。

ジョージアの北側は、欧州最高峰エルブルス山(標高5642m)をいただく高山地帯・コーカサス山脈でロシアと切り離されている。しかし西側は黒海に接し、東側はアゼルバイジャンを挟んでカスピ海につながっている。

南でトルコと国境を接するほか、アルメニアを挟んだ南隣はイランである。

●ランドパワー・ロシアが南下し海を目指す通路


そういう意味で「ヨーロッパとアジアの中間地点=交差点」に位置するのがジョージアだ。古くから東西南北の民族が往来し、今も多様な民族がモザイクのように分布している。

ランドパワーであるロシアが海への出口を求めてペルシャ湾へと向かうとき(『南下運動』)ジョージアはその通路になる。

これはウクライナが、ロシアにとってクリミア半島→黒海へと向かう「海への通路」になっているのと同じである。

ジョージアとウクライナが、ロシア帝国・ソ連・ロシア共和国時代と、そろってロシアから軍事的な干渉を受け続けているのは、偶然ではない。

●ウクライナとジョージアは黒海をはさんだ隣国

実は、ジョージアとウクライナは、黒海によって接する隣国である。ウクライナとロシアの係争地になっているクリミア半島も、黒海によってジョージアと接している。ウクライナ戦争への関心は高い。

2014年にロシアが冬季五輪を開いた黒海沿岸の都市ソチは、ジョージア国境から約20キロしか離れていない。つまりロシアとも陸続きなのだ(ロシアと陸続きで国境を接するジョージア領が分離独立紛争の起きたアブハジア)。


●在日ジョージア大使館に連絡してみた

とはいえ、東京にいる私がジョージアに飛んで取材をすることは、時間的・金銭的にハードルが高い。まずは日本にいるジョージア人に話を聞こうと思った。

最初の一歩として在日ジョージア大使館に連絡してみた。質問をリストアップしてメールで送った。在日ジョージア大使に話を聞けないかと大使館のプレス担当オフィサーに相談した。が、大使の発言は日本でのジョージア政府の公式発言になる。当然、本国外務省とすり合わせないといけない。その他諸々、難しそうな感触が伝わってきた。

代わりにプレス担当オフィサーが名前を挙げたのが、ジョージア人国際政治学者のダヴィド・ゴギナシュッヴェリ氏(1983年生まれ)である。同氏は東欧・旧ソ連・黒海沿岸地域の国際政治学を専門にしている。大使館の専門分析員でもある。

Dr. David Goginashvili.
慶應義塾大学SFC研究所上席所員。
駐日ジョージア大使館専門分析員。
専門は東ヨーロッパ・黒海地域・旧ソ連の国際政治学。

2008年4月に来日し、慶應義塾大学で修士・博士号を取ったゴギナシュッヴェリ氏は、完璧な日本語を話した。それに甘えて、インタビューも日本語でさせていただいた。

インタビューは、第二次ウクライナ戦争が始まってちょうど1年目の2023年2月24日、東京・三田の慶應義塾大学で行った。以下の文章は、ダブリや脱線、語句の細部を修正した以外はできるだけ一問一答を忠実に再現した。


●ロシア革命時に独立したが赤軍に侵攻されソ連に併合

烏賀陽対ロシア関係において、ジョージアとウクライナは共通点が多数あると私は考えました(冒頭の共通点を伝える)。そのジョージアからすると、ウクライナ戦争はどう見えるのか、教えてほしいのです。

ゴギナシュッヴェリ:わかりました。冒頭に申し上げたいのですが「ひとりのジョージア人として」というより、この問題を研究している者として、できるだけ感情を排して客観的な意見をお伝えしたいと思います。

そもそも、ジョージアは「ソ連に入れられた国」なのです。ロシア革命後の内戦期である1921年、ソ連軍(赤軍=共産党軍)が侵攻してきてソ連に併合された。

1918年にジョージアは独立を宣言して、国際的にも承認されていました。当時の日本も、赤軍が侵攻してくる直前の1921年に「ジョルジア」として国家承認している。

ソ連軍との戦闘は1ヶ月ほど続きました。結果として圧倒され、ジョージア政府は亡命した。その後ジョージアは強制的にソ連の一部として併合された。ソ連を構成する共和国の一つになった。

日本語で「併合」とは「完全にその国の一部になる」つまり英語でいうと"annexation" の意味だと思います。ジョージアの場合は、赤軍が侵攻して「操り人形政権」が樹立され、それが自発的にソ連に加盟したことになっている。そして憲法上にも明記されていますが、共和国であり、いつでもそこから脱退してもいい権利を持つということになっている。

ーーーウクライナの場合は「ソビエト・ウクライナ共和国」がソ連に自発的に加盟した形になっていますね。

そうです。ジョージアでも同じです。形の上では「ソビエト・ジョージア共和国」がソ連に加盟したことになっている。事実上の「併合」だったことは間違いないのですが(大日本帝国の朝鮮併合のような併合とは)ちょっとニュアンスが変わってくるかもしれません。

その後約70年間、ジョージアはソ連の一部として存続を続けたのですが、その間も何度も反乱やデモが起きた。1924年にも反乱が起きた。主にフランスに亡命したジョージア人は、ポーランド軍に入ってソ連と戦ったり、そのあとナチス・ドイツ軍に入ってジョージア人部隊を結成したりした。最終的にはナチスにも反旗を翻すのです。

ーーーそれもウクライナと似ていますね。ウクライナにも、ナチスドイツに参加してソ連と戦ったウクライナ人部隊があった。ウクライナ蜂起軍(UPA)というパルチザン組織もそうですね。最後はドイツともソ連とも戦った。

ヨーロッパの中で、ヒトラーが「共産主義という悪」から解放してくれる救世主だという誤解が最初はあったようです。そういうふうに惑わされた。

ーーーそれは大きな誤解だ(笑)。ナチスドイツが侵攻してくる以前の1920〜30年代、ウクライナでは大飢饉が起きています。ジョージアでも同様の飢饉があったのでしょうか。

間接的な被害はもちろんあったのですが、その対象にジョージアは入っていなかった。被害があったのは、ウクライナと南ロシア、そして北コーカサスの一部です。南コーカサス(ジョージア)にまでは及んでいない。

1978年にも大きなデモがあった。ソ連政府がデモの要求に従った初めての事例だったのです。

ソ連憲法の中で、ジョージアには独自の言語と独自の文字があると認められていた。しかし70年代にはそれを憲法から外そう、なぜジョージアだけが特別なのだ、という動きが始まった。

その法案が出来たとき、ジョージアで大規模なデモが起きた。その時クレムリンの中で「どうやらこの人たちは、自分たちの言語だけは譲らない。ここは譲ろう」という判断になった。

ーーーウクライナでは、ウクライナ語や文化や文学を許すかどうかは、モスクワの判断で抑圧されたり自由になったり大きく変化します。ジョージアでも同じだったのですか。

そうです。しかしソ連時代はジョージアの言語がわりと守られていた。要因はいくつかあります。

ジョージア人は言語や文字を死んでも守るという意識が強い。ジョージア人のアイディンティティであるという意識が強いのです。どうしても譲らない。

そして当時のクレムリン上層部のエリートの中にジョージア出身者が多数いた。その人たちがジョージア国民のそういうところを理解していた。

彼らはソ連崩壊後「言語を守るようロビイングした」と証言しましたが、それは意識してロビングしたのか「ジョージア人はこういう国民だからトラブルを起こさないよう」にしたのか、今はよくわからない。

●スターリンやシュワルナゼはジョージア出身

ーーーおそらく日本で一番有名なジョージア人はヨシフ・スターリンでしょうね。ジョージアではあまり人気がないそうですが。

そうですね(笑)。

ーーーもうひとり日本で有名なジョージア人として、ゴルバチョフ政権時代のエドアルド・シェワルナゼ外務大臣がいます。

そう。先ほどの話はシェワルナゼのことです。言語の問題が発生した1970年代当時、シェワルナゼが動いたと言われています。

(注)シェワルナゼ氏は1972年にグルジア共産党第一書記に就任。ブレジネフ書記長時代の1978年、新憲法案でグルジア語の国語規定が削除されていたことに反対する大規模なデモが発生し、撤回を余儀なくされた。

ーーーウクライナでは、第二次世界大戦後のソ連時代、ウクライナ言語や文字の使用が少し自由になったかと思うと、また締め付けられ、文化人や学者がグラーグ(政治犯収容所)に送られてしまう。ジョージアではそこまでひどくなかったということでしょうか。

公用語として地元語が認められていたのは、ロシア以外は(一時期の)アルメニアとジョージアだけだと思います。

●ウクライナ戦争を見てジョージア人が感じるデジャブ

ーーーいまウクライナで行われている戦争を見て、2008年のロシア侵攻を思い起こしますか。

2008年の戦争というより、1990年代のデジャブを感じます。1980年代末から1990年代はじめごろにジョージアで起きたことが、2014年にウクライナで起きたこと(マイダン革命→ヤヌコビッチ政権崩壊・大統領亡命→ロシアのクリミア半島併合→ドンバス戦争=第一次ウクライナ戦争の始まり)と非常によく似ています。  

ーーーおっしゃる「1980年代末から1990年代はじめごろにジョージアで起きたこと」を詳しく教えてください。

当時は「ソ連がいずれ崩壊する」ことが明らかになりつつある時代でした。あちこちで独立運動が活発化したのです。特に80年代はグラスノスチ(ソ連・ゴルバチョフ書記長時代の『情報公開』の意味)が始まって以降ですね。

1989年4月9日、トリビシでのデモが強制的に解散させらた。ロシア軍が介入して、数十人が死ぬ大きな暴力事件があった。それによってむしろ独立運動が激化した。ジョージアの独立のために流血が起きたことが、人々の心に非常に響いた。その時はグラスノスチがあったから、実現できた。ジョージア中に情報が流れたために逆効果だった。それが1991年の独立宣言につながったわけです。

(注)「4月9日の悲劇」のこと。1989年4月9日、に当時のグルジア・ソビエト社会主義共和国の首都トビリシで発生した。ソ連からの独立を求める反ソ連デモ参加者がソ連軍によって鎮圧され、21人の死者と数百人の負傷者が出た事件。「トビリシ虐殺」「トビリシの悲劇」ともいう。

当時は独立運動の中でナショナリズムの機運が高まったことは間違いありません。しかしそれはソ連中で同じ現象が起きていたのであり、ジョージアだけに限られたことではありません。ジョージア国内の少数派であるオセット人やアブハジア人にもナショナリズム運動が広がった。

何がウクライナと似ているかというと、ロシアが「ジョージアのナショナリストたちが」というプロパガンダを大量に流した。2014年のウクライナでも「ウクライナのナショナリストが(操っている)」というプロパガンダが全く同じように多用されています。ウクライナでも言語の問題に紐付けて「ウクライナ人はロシア語を抑圧する」とか。そういう動きがあったとしても、プロパガンダがそれを過度に強調する。

●ロシアのプロパガンダ「ナショナリスト」「ファシスト」も同じ

ーーーロシア政府はいま、ウクライナに対して「ファシスト・ネオナチが政府を支配している」と主張していますね。プーチン大統領の言葉を借りると「非ナチ化」のために軍事侵攻したというのです。ジョージアでも「ファシスト・ネオナチ」というプロパガンダを使ったのですか。

それは主流ではないですね。主流は「ナショナリスト」でした。「ウルトラ・ナショナリスト」とか。のちのち「ファシスト」はたまに出ていました。「ナチス」はなかったですね。ジョージアの場合は「オセット人とアブハズ人の言語が危機にさらされている」とメインの非難点として取り上げられた。ウクライナで言語の問題が取り上げられたとき「ジョージアとまったく同じだ」と思いました。

ーーーロシア政府の「ロシア語を話すロシア系住民が差別されている」という主張ですね。

抑圧されている、と。もちろんウクライナ語を優先させる動きはあったものの、それは「抑圧」とか「虐待」というレベルの問題ではなかった。

ジョージアでもまったく同じように、ジョージア語は公用語である。従来そうだったし、これからもそうだと。独立運動に伴う動きがいくつかあった。ナショナリズムはもちろん高まっていたんですが、少数派を抑圧する、虐待するという問題ではなかった。

ーーージョージアで少数派がオセット語やアブハジア語を話しているからといって虐殺されるとか収容所に入れられるとか、そんな問題ではなかった。

まったくなかった。プロパガンダによってそういうふうに見せられる。今と違って、当時はインターネットがなかった。プロパガンダの効きがよかった。

結果として、ジョージアの独立によって、自分たちにとって危険だと思ったオセット人とアブハズ人がいたのです。

ジョージア政府の外交力のなさも現れてきたのはまちがいない。少数派との対話も失敗した。その事情をロシア側が非常にうまく利用した。その2つの地域において未解決の紛争を作ったわけですね。

紛争を作って、そこにロシア軍が平和維持軍というステイタスで駐留した。ソ連が崩壊しても、ロシアがコーカサス山脈の南側にも戦略的な拠点を持ち続けた。

(注)「オセット人」「オセアチア人」
コーカサス山脈の南北、ロシア領とジョージア領の山岳地帯に分布するイラン系民族。総数約60万人。イラン語群に属する言語を話す。人口の75%がロシア正教徒。15%がイスラム教徒。

(注)アブハジア=ジョージアから分離独立を試みて紛争になった西部地域。ロシアと陸続きで国境を接する。

ジョージア国内の「南オセチア」「アブハジア」2地域が分離独立を宣言し、ロシアが軍事支援した。首都トビリシのジョージア政府と対立。2008年のロシアのジョージアへの軍事侵攻につながる。

この経緯はウクライナから分離独立を宣言したドネツク・ルハンスク(通称ドンバス2州)をロシアが支援したのとそっくり同じである。

●ジョージアを制する者はコーカサス地方を制する

ーーーロシアにとってジョージアはどんな戦略的な重要性があるのでしょう。

ジョージアは「南コーカサスのカギ」と言われています。アルメニアにもロシアの基地はあるのですが、南コーカサス3カ国で海(黒海)へのアクセスを持っているのはジョージアだけなのです。地政学的な事情を見れば、ジョージアは中心的な位置にあるのは間違いない。

ーーーそうか。海に接しているのはジョージアだけだ。

アゼルバイジャンはカスピ海に面していますが、内海です。黒海は外洋(地中海→大西洋)につながっている。

ーーーロシアがジョージアに執着する理由は何でしょうか。

いくつかあると思うのですが、ジョージアの地政学・戦略的な位置からいうと、コーカサス山脈の南にあって、ジョージアを支配すればコーカサス地方全体を支配できる。コーカサス地域というのはイラン、トルコに面している。非常に重要な場所に位置しています。地域のもっとも重要なプレイヤーの間にあるのです。

ーーーなるほど。ジョージアはイラン、トルコという地域の重要なプレイヤーとの接点であり、通路でもある。

誰がコーカサスを支配するのか、昔から覇権争いが続いています。

●チェチェン戦争はロシア共和国崩壊の防止のため

ーーー1990年代にチェチェンの独立をめぐってロシアとの戦争になったとき、なぜロシアはあれほど血みどろの戦争を繰り広げてまでチェチェンの独立を抑え込もうとしたのか、たいへん不思議でした。チェチェンはコーカサス山脈をはさんでジョージアの北のロシア領内にあります。ご指摘のコーカサスの覇権と関係があるのでしょうか。

チェチェンだけの問題だけではなかったと思います。チェチェンが成功例になってしまっては、ロシア連邦の中で少数派が住むあちこちで独立運動が始まる。ソ連邦という大国を失った直後に、ロシア連邦という国まで崩壊するということは許せなかった。

ジョージア、アルメニア、アゼルバイジャンはコーカサスの南なのに、ロシアは「外国」として扱おうとしなかった。それが帝国主義的なマインドなのかどうかはまた別の問題です。事実はジョージアを「外国」として彼らは認識できなかった。だからわざわざ「近い外国」という言葉を発明して、ロシア語の公文書にも記載されています。それはつまりロシアが「特別な影響圏」として見ている場所だと意味しています。「対等の国」として扱っていないことがわかる。

ーーーなるほど。ジョージアが独立しても「近い外国」と呼ぶということは、日本のように「ソ連だったことのない国」とは違う。そういうことなんですね。

明らかに峻別されます。彼らは「ここはうちの裏庭だぞ」と世界的にも示したかった。それはただ距離的に近いという意味ではない。日本もロシアから距離的には近いですよ。国境を接していますから。しかし「近い外国」ではない。

●旧ソ連圏を「特権的利害圏」とロシアは宣言

ーーー具体的には「むかしソ連だった国々」ということですね。

そうです。「われわれの影響圏」「利害圏」ということですね。英語でいうと”Sphere of Interest”です。

ーーーロシア外務省の英語版ウエブサイトでは”Sphere of privileged interest”(特権的利害圏)となっています。Sphere とは帝国主義的な言い方です。むかし日本が帝国主義だったころ軍事的につくった「大東亜共栄圏」は”East Asian Co-Prosperity Sphere”という呼び名でした。さらに”privileged”には「自分たちだけが優先的に享受できる」というニュアンスがある。「外国だが、ロシアだけが享受できる重要な利害がある支配地域」というニュアンスがあります。

そうです。世界的に第二次世界大戦後「地政学」という言葉を使うのをやめようという動きがあった。しかし「地政学」という言葉が古すぎるといっても、概念として消えたわけではない。特にソ連崩壊後のロシアでは地政学が好まれるようになった。地政学の教科書が作られたり、軍事系の教育機関で教えられたりしています。

ーーーそれは日本でロシアの現代思想としてよく名前が出てくる「ユーラシアニズム」でしょうか。

現在のロシアで思想は「ネオ・ユーラシアニズム」といいます。「ユーラシアニズム」は20世紀はじめにまでさかのぼります。

ーーープーチン政権になってからロシア政府が唱える外交政策を、日本では俗に「ユーラシアニズム」と呼んでいます。正しくは「ネオ・ユーラシアニズム」なのですね。そのブレインのひとり、思想家のアレクサンドル・ドゥーギンの論文を読んでびっくりしました。彼らが唱える思想が「ネオ・ユーラシアニズム」なのですね。

そうです。ドゥーギンはロシアでメジャーな思想家になっています。

ーーーそのネオ・ユーラシアニズムが唱えるロシアの「影響圏」の発想は、ナチス・ドイツが唱えた「生存圏」の考え方に非常によく似ていて、私はとてもイヤな感じがしました。

「生存圏」(レーベンスラウム)はナチスドイツのハウスホーファーが唱えた概念です。「21世紀のいまそれを使うのか!」と驚かれるかもしれません。その理論が正しいかどうかは置いておいて、その理論を「誰がどう信じているのか」に注目するのが大切だと思うのです。ロシアという非常に強力な国がそれを信じている。しかもその理論を軸にして外交を構築している。無視はできません。

ーーーさきほど私が言及したSphere of privileged interest”(特権的影響圏)という言葉は、2008年にメドベージェフ大統領が発表した「外交5原則」(通称メドベージェフ・ドクトリン)に出てきます。

いや、普通に公表している政府の文書に使ってます。何も隠してるわけじゃない。明確に「ここには手を出すな。うちの裏庭だ」と言っている。

●「ロシア正規軍は介入していない」というプロパガンダもそっくり

話を戻します。結果として(2008年の軍事侵攻で)ジョージアにロシアが2つの分離地域を作り、支えた。軍事的に支援しただけでなく、ロシアが実際に参戦したことが証明されています。ロシア軍の戦闘機が撃墜されたときは「いや、あれはジョージア人が自軍の戦闘機にロシア国旗を上書きしてロシア軍機に見せかけて、自分で落としたんだ」と主張した。でも、ロシアのパイロットが運転していたロシアのジェット戦闘機だった。

ーーーつまりクレムリンは「ロシアの正規軍は介入していない」と言いはったわけですね。2014年のクリミア半島併合のときもロシアは「ロシア軍は介入していない」と主張した。まったく同じですね。

そうなんですよ。そこも非常に似ている。ウクライナがロシアの正規軍の軍人を捕虜にして世界に公開しても、世界は「無視した」というと大げさですが、しかるべき対応をしなかったのは間違いない。90年代のジョージアがまさにそうだった。その時も無視された。

ーーーなるほど。ロシアのジョージアへの軍事介入は1990年代すでに始まっていて、2008年にいきなり始まったわけではない。

そうです。ウクライナの戦争も2022年2月にいきなり始まったわけではない。2014年から続いている。ジョージアも同じように90年代から続いている。

ウクライナ人がジョージア戦争に志願兵として来て助けてくれた。そのときのウクライナのスローガンは「ロシアをプソウ川(ジョージア・ロシア国境)で止めなければ、いずれドニエプル川で戦わなければならなくなる」だった。彼らは正しかった。言う通りになりましたから。

いま同じようにウクライナにはジョージアの義勇兵が数千人いる。ジョージア人部隊があったりコーカサス部隊があったり。合わせると数千人ぐらいと言われている。

●バクー油田と黒海・トルコを結ぶパイプライン


ーーーロシアがジョージアを戦略的に重要だと考えるのは、コーカサス全体を支配できるからだと。ジョージアにはカスピ海の油田バクーから黒海に石油を運ぶパイプラインが通っている。

パイプラインはもちろん重要な要因なんですが、それだけではないです。

カスピ海地域がエネルギーが豊かです。アゼルバイジャン、トルクメニスタン、もそうです。石油・ガスをロシアを迂回してヨーロッパに運ぶパイプラインのルートはジョージアだけです。90年代(ソ連の崩壊後)そのパイプラインの建設が始まった。合同プロジェクトに日本の伊藤忠商事が参加しています。

コーカサスで一番はやく日本の大使館ができたのはアゼルバイジャンの首都バクーです。1999年に日本の高村外務大臣がアゼルバイジャンを訪問して大使館を開設し、日本の投資も始まります。カスピ海のエネルギー資源は豊かです。19世紀には世界の石油の半分はここで産出されていた。ノーベル兄弟はじめ世界の投資家がここに投資しました。

ーーー「ナチスドイツがソ連に侵攻した理由は、ひとつはウクライナの小麦とバクーの石油だ」と文献で読みました。

ドイツ軍はコーカサス山脈を越えるために「エーデルワイス」という部隊を送り込み、山岳地帯で多数が死んでいます。しかし山脈を越えることができなかった。やはりスターリンの出身地(ジョージア)にドイツ軍を入れることはできないという意味があった。そしてバクーの資源は譲れない。そこで初めてドイツ軍の侵攻が止まったのです。

ーーーー現在のコーカサス山脈にはトンネルは開通しているのですか。
「ロキ」トンネルだけです。

ーーー2008年、ジョージアにロシア軍が侵攻してきたときはロキトンネルを通ってきたのですか。
そこを通って侵攻してきましたね。

●ウクライナ戦争でジョージアパイプラインの重要性増す

ウクライナとロシアの戦争が始まったいま、ロシアを経由してアゼルバイジャンの石油とガスを運ぶことができなくなったことを考えると、さらにジョージアの重要性が増します。

90年代にジョージアで戦争が起きて、平和維持軍としてロシア軍が駐留するようになってから、紛争が凍結したといいますか(アブハジアと南オセチアは)固定化されてしまった。ブラックホールのようになり、中で何が起きているのかわからない地域にあった。国際援助が送られても、援助の使われ方はコントロールできない。

南オセチア以外に住むオセット人のほうが多いかもしれない。ジョージア人とオセット人の間では人的交流はたくさんあった。その人達は抑圧されているわけではない。ジョージア政府は分離地域に住んでいる人たちに無償の治療を提供したり、いろいろなプログラムを実施しています。「戦争があったものの、敵ではない」という認識が定着していたのに、2008年に努力が水の泡になってしまった。

ーーージョージア戦争から15年を経た現在はどうでしょうか。

いま人的交流が戻りつつあります。特にコロナウイルスが流行したとき、向こうでは治療ができない、しっかりした病院へのアクセスがないとか、いろいろな問題が発覚した。必然的に人道的な交流が再開した。

2008年の戦争が起きたのかというと、ウクライナと似ている。オセット人を守るとかそういう言い訳をした。それはウクライナで「ロシア語話者を守る」という弁明と非常に似ている。

●ジョージアとウクライナがNATO加盟の一歩手前に

2008年、米を中心に世界の大きな部分がコソボを国家として承認した。そこから始まった。2008年3月、日本も承認しています。

プーチンは2008年2月に「それは許しません」と明確に表明している(注:2008年当時は大統領はメドベージェフ。プーチンは首相。「コソボで欧米が使った棒は、最終的に欧米の頭を叩くだろう」と言っている。「それと同じで形で南オセチアとアブハジアの(ジョージアからの)分離独立を承認したけど、なにか文句ある?」と言っている。

(注)コソボは旧ユーゴスラビアの一部だった。ユーゴ解体を経て2008年2月に独立を宣言。岐阜県ほどの大きさの国で人口の9割はアルバニア人。セルビア人を主体とする新ユーゴは独立を認めず、1999年に内戦に発展した。同年3月から、NATO軍がセルビアに対する大規模な空爆を三ヶ月実施(アライド・フォース作戦)。

2008年、コソボの独立を欧米が承認した。セルビア民族と同じスラブ民族であり、同じ正教会国、社会主義時代のユーゴの同盟国であるロシアの憤激を買った。「欧米がユーゴからの分離独立を武力で承認するのなら、我々も許されるはずだ」というロジックに従った。これがジョージア、ウクライナへのロシアの政策に反映された。

ーーーそうか。コソボのユーゴスラビアからの独立承認があったんだ。
そこからジョージアとロシアの関係は急速に悪化しています。同じ2008年4月にブカレストでNATOサミットがありました。そこで「ジョージアとウクライナはいずれNATOに加盟させる」という前例のない宣言がなされた。ジョージアはNATO加盟に非常に近づきました。

その直後に戦争の準備が始まっています。アブハジアにロシアの鉄道軍が入って鉄道を整備した。なにもない山の中になぜ鉄道を?と不思議に思っていたら、軍事物資を運ぶためだった。

ーーーーロシアの軍事侵攻の引き金を引いたのはジョージアとウクライナのNATO加盟宣言だったのですね。
ウクライナの場合は親欧米政権が成立した。彼らは間違いなくNATO加盟、EU加盟を目指すだろう。それが引き金を引いている。

ーーーウクライナではなくまずジョージアが軍事侵攻の犠牲になったのはなぜでしょう。
ウクライナでは、反露政府(ユシチェンコ政権)が長く持たないだろうという見解があったし、実際に次の選挙で親露政権(ヤヌコビッチ)に交代するのです。親露政権を成立させるというロシアの目論見が成功したので、その時点では軍事侵攻する必要はなかったのです。しかし2014年の「ユーロマイダン革命」でヤヌコビッチが国外に逃亡してしまう。そこで軍事力でクリミア半島とドンバス2州を取った。

ーーーなるほど。そう考えるときれいに並びますね。日本人はロシアのウクライナへの軍事侵攻は2022年に始まったと思っているけど、実際は2014年に始まっているんだ。
そうです。ジョージアの政治専門家は2008年のあとずっと「次はウクライナだ。時間の問題だ」と言い続けてきました。

●ジョージア軍事侵攻のあともオバマ政権は「ロシア関係はリセット」

2008年のジョージア侵攻のあと、アメリカのオバマ政権は「対露関係のリセット」を宣言するんです。

それはつまりロシア側にすれば「隣国に軍事侵攻しても、欧米はまた仲良くしようとするのか」と考える。「じゃあ、次もまたやればいいんだ」とロシアが考えても不思議はないし、実際にそうなった。クリミアを併合しても大丈夫だった。ジョージアの場合は国内に傀儡政権を作って終わったけれど、クリミア半島を併合して、正規軍を東ウクライナに送り込んで、マレーシア航空の民間機をミサイルで撃墜して、それが長い調査の結果(ロシアに責任があると)証明されたにもかかわらず、たいした制裁はなかった。何をやっても許される。そういうマインドになった。

ーーー「マレーシア航空機を撃墜したのはロシア軍なのかウクライナ軍なのか」というプロパガンダ合戦になりました。
誰がそのボタンを押したのかは重要ではない。「ブーク」という武器がロシアから運ばれたことは追跡できた。

ーーーなるほど。そういうふうにご説明していただくと、クレムリンの視点がよくわかります。

90年代から非常に論理的に続いています。こういうときはなるべくクレムリンの立場をとって物事を見ないといけないと思います。

●コピペのようなロシアのジョージア・ウクライナ分離独立承認

ーーーロシアは隣国が敵対的になると、分裂や内乱、内戦をたきつける。親ロシア派をつくって国が分裂し、弱体化するのを誘う。日本人にとって身近な例は朝鮮戦争です。朝鮮半島はそのまま今日まで分裂したままです。ジョージア(南オセチア、アブハジア)ウクライナ(ドンバス)でも同じ手法ですね。

ずっと同じパターンの繰り返しです。ウクライナの分離国家をロシアが承認したときの宣言の文面を読むと、ジョージアのときとコピペのように同じなんです。地名が違うだけ。独立を承認するだけでなく、そこにロシア軍が駐留する正統性を訴えるわけです。そういうやり方をウクライナでも繰り返した。

そもそも、なぜロシアは「ウクライナとジョージアが敵になる」と思い込んだのか。NATOに加盟する宣言をしたから、というだけではないんです。ジョージアは分離地域を抱えている限り、NATOに加盟する可能性は非常に低い。ロシアもそれを理解していたと思います。

よりロシアが懸念したのは、欧米の自由・民主主義の思想がジョージアに根強く定着することをロシアは恐れています。ウクライナも同じ。ここで自由・民主主義が成功して、定着したら、ロシアは終わりです。そのほうが怖い。

●自由民主主義が浸透するとクレムリンの権力が危ない


ーーーーつまりジョージアやウクライナに欧米的な自由・民主主義が定着すると、それはロシアにも浸透してくるだろうということですか。

最終的にはクレムリンの権力が脅かされる。

それはドゥーギンの思想でも明確に出ています。旧ソ連の海に面した国だけが、反露的な政策をとっている。世界はランドパワーとシーパワーに分かれている。文明同士の戦争は始まってる。「その中間に位置するのが”LANDS IN BETWEEN”=『間(はざま)の地域』を誰が支配するかが大事なのだ」と。

海に面している国には自由・民主主義が浸透しやすい。そもそも自由・民主主義が成立したのは貿易を中心にした体制があったからだ。海洋国家とのやりとりが盛んになりやすい。ジョージアは狭間の地域なのだが、海に面している。

ーーー黒海をはさんでジョージアとウクライナは実は非常に近い、ということですね。
船で2日間です。同じ黒海地域です。

●ロシアは経済関係が深まっても領土を返さない


ーーージョージアの経験から日本は何を学べるのでしょうか。
「ロシアと経済的な交流を深めるても、北方領土は戻ってこない」ということを学べるのではないでしょうか。ロシアにとって、経済的なメリットが領土的なメリットを上回ることはないですね。

90年代末ごろ「ロシアは弱体化しているからお金をたくさん出せば北方領土は戻ってくる」と日本政府は勘違いしたと思います。結果として戻らかなかった。

後の安倍政権は同じ過ちを犯したのではないでしょうか。未だにロシアは弱体化したから、経済的に助ければ、北方領土を戻してくれると思っている人が多いかもしれない。

しかし、ロシアのネオ・ユーラシア主義者とか帝国主義者とか、そういう人たちが権力を握っている限りは北方領土を返しません。

唯一対価になりうるのは、日本領土から米軍が完全に撤退することではないか。完全に撤退しても、北方領土を戻すという取引がありえると思うのですが、米軍が撤退したら、北方領土どころかもっと取られてしまうかもしれません。

ーーーそれは大きなギャンブルですね。
パワーバキューム(力の空白)が生じます。そういう博打は打てないですね。ジョージアは1920年代に独立しようとして、その博打を打ちました。当時、ジョージアにはイギリス軍が駐留していた。ロシアは「法律上は承認したいんだけど、イギリス軍が駐留しているとそれはできない」。イギリス軍も事情が変わって、撤退した。事実上の中立国家になった。ロシアもジョージアを承認した。しかし権力の空白が生じて、それを埋めたのはロシアだった。そういった事例から学べるのではないでしょうか。

ーーー米軍が撤退するということは、日本がロシアに軍事的な脅威でなくなるということでしょうか。

日本は自由民主主義国の国際社会の一員でありながら、欧米ではない。特殊な東アジアの国なのです。ロシアが恐れるシーパワーではない。

●包囲され次第に締め上げられる「アナコンダ理論」


ーーーロシアがほんとうに恐れているのは、日本に駐留する米軍なのですね。

そうですね。ロシアで人気のある「理論」に「アナコンダ理論」があります。欧米がロシアを包囲して、どんどんその輪を縮めて、ロシアを締め上げて窒息させようとしている。だから周辺国に軍事基地があるのだ、と。

アナコンダ作戦が最初に使われたのは南北戦争です。南軍を包囲して包囲網を縮めていく。アルフレッド・マハンという米海軍提督がロシアを包囲していく作戦を提案している。ドウーギンの論文にもそれが出てきます。

ーーーだからNATOの東方拡大を恐れるんだ。

軍事的にだけではなく、イデオロギー的にもそれを恐れています。ジョージアでは2003年にバラ革命が起きています。そのあとウクライナでオレンジ革命が起きた。それは自由民主主義がの勝利でした。イデオロギーの対立だったのです。

●ロシアを支配するのは諜報機関・軍


ーーーロシアはソ連崩壊後は民主主義国になったと誤解している日本人が多いのです。しかし彼らのマインドは違う。

なりきれなかった。ロシアにも自由民主主義を信じていた政治家がいた。しかしロシアのKGB(FSB)が変わらない限り、ロシアの外交政策は変わらない。例えばアンドレイ・ゴズイレフという当時の外務大臣の本を読むと、アブハジアの戦争を止めたくていろいろ交渉したのに、モスクワに戻ってみると、もうすでにロシア軍が侵攻した後だとわかった。外務大臣ですらそうなのです。

「シロヴィキ」という言葉があります(注:Siloviki = ロシア語で諜報機関・軍関係省庁その出身者の意味)。その中でもダントツに強いのはかつてのKGB,今のFSBそしてGRUという諜報機関なのです。

ロシアの歴史を見ると、諜報機関と政治家のバランスが大切なのです。ソ連時代、諜報機関がトップになったのあアンドロポフだけだった。それでバランスがとれていたのです。しかしプーチンが諜報機関から出てきて権力を取ったので、そのバランスが崩れたのです。

ーーー政治家と諜報機関の争いに、軍はどう関係するのでしょうか。

軍はツール(道具)にすぎないのです。誰がそれを使うかが問題です。諜報機関が軍を使う立場になることもあります。スターリンが死んだあと、諜報機関系のベリア、政治家のフルシチョフが権力を握るのか、争いになったことでもわかります。

ーーーそれを聞くと、スターリン時代からロシア政治の文化はあまり変わらないような気がします。

マインド的にはそうですね(笑)。ロシアでも歴史のどこかの時点で、欧米的な民主主義国になりたいという野望はあったと思いますよ。90年代には間違いなくあったと思います。

●ソ連崩壊後の政治の混乱と腐敗、貧困「自由を目指したせいだ」

ーーーベーカー(注:ブッシュ父政権の国務長官)回顧録に、ボリス・エリツィン・ロシア大統領(1991年〜99年)がブッシュに直接「NATOに加盟したい」と言ったという記述が出てきます。

いや、それどころか、プーチンもしばらくはその方針を変えなかった。明確にNATOに加盟したいと言ったわけではないが、方針は変えなかった。だからこそ、チェチェンで虐殺をしても国際社会は問題にしなかった。

しかしエリツィンが国内政治で問題を起こして、あらゆる政府機関が腐敗してしまった。それを「自由や民主主義を目指したからだ」と非難しやすくなった。

ーーー自由をロシアが手にしてみると、出現したのは貧しい生活と腐敗した官僚、億万長者のオルガル匕だった。「これが自由なのか」とロシアに幻滅が広がった。

そう。だから「自由は我々に向いていない」というプロパガンダが効きやすい状況になった。しかしそれは「自由」と「無政府状態」を間違えている。ロシアで起きたのは無政府状態だった。

●ロシアのプロパガンダを鵜呑みにする日本人研究者

ーーー個人的なことをお尋ねして恐縮ですが、ロシアがジョージアに軍事侵攻した2008年8月、どこにいましたか。

日本に来たばかりでした。2008年4月に別科生という制度で慶応大学に来て言語の勉強に集中しました。帰りたかったのですが、申請しても軍に拒否された。しかも戦争は5日間しか続かなかった。

一方、日本で「本当の情報を発信して活動したほうが国のためにもなる」「学術社会のためになる」と思いました。そのときはアカデミックの世界でもロシアの言い分のほうが強かったのですよ。抑圧された民族をロシアが守ったという日本人研究者もいた。

ーーー日本人ロシア研究者が?なぜそんなことを?

南オセチアに行って、そこでもらった資料を持ち帰って学会で発表するのです。ジョージアにアメリカ軍が参戦した、とか。「証拠に、南オセチア政府からもらいました」とビデオを流した。

確かに、ジョージア軍兵士とアメリカ軍兵士が一緒にいる。しかし8月なのに、冬用の軍服を着ている。おかしい。それは実はアフガニスタンでのビデオだったのです。しかも(ロシア軍のジョージア侵攻より)以前にYou Tubeにアップされていた動画です。

それでも、有名な先生がしゃべると信じやすい。それくらい調べてくだささいよ。そんな人がまともな研究者として認められているのが、不思議でたまらない。

ウクライナの戦争が始まった後も、その研究者は「ロシア軍も少し支援しているが、戦っているのはドンバスの民兵だ」とか主張する。

それを批判すると「あなたはジョージア人だから」と言われる。そうじゃなくて、事実としておかしい。

ーーー日本でもロシアのプロパガンダ戦は行われているのですね。
アメリカでも欧州でも行われています。ドイツでもフランスでも。

●ロシアの軍事侵攻は身近な光景だった

ーーー2008年のロシアのジョージア侵攻はダビドさんの人生にどんな影響を与えていますか。

正直大きく変わったわけではない。私は(首都)トビリシの出身ですが、1990年代から戦争はずっと経験している。当時、トビリシ内でもジョージア人同士の内戦があった。反政権派はロシア軍の基地から武器をもらっていた。政権は亡命してしまいます。

1989年のデモの鎮圧も覚えています。当時私は6歳で、父と一緒にいました。ロシア軍兵士の持っていた折りたたみ式軍用シャベルがかっこよくて「あれがほしい」と父にねだったのを覚えています。そのシャベルでロシア軍兵士はデモ隊を殴って殺してしまうのですが。

ーーーダビッドさんの世代にとってはロシア軍が侵攻してくる光景は日常的に目撃している。

「日常的」とまでは言えませんが、身近でした。2006年までは、トビリシ市内だけでなくゴリなどジョージアの主要な都市にロシアの基地があったのです。「撤退しろ」と言っても「お金がない」と言って動かない。その基地から武器が反政府勢力に流出した。「ゴリ事件」という、基地から出た戦車が人を轢いた事件があった。

ーーー1983年生まれのダビドさんの世代は、子どものころにペレストロイカとグラスノスチが始まった。ソ連時代の記憶はもうあまりないのではないでしょうか。
あまりないです。安定している生活が急に変わった記憶があります。

ーーー当時はジョージア語とロシア語のバイリンガルでしたか。
学校はソ連時代からジョージア語でした。小学校2〜3年からロシア語も始まります。中学校から英語が始まります。

ーーーお父様はどんなお仕事をなさっていましたか。

父は自動車エンジニアの教育を受けました。でも結局カーレーサーになりました。ソ連全国で優勝しました。

祖父が軍医で東ドイツに駐留していたので、母はジョージア人なのですが、東ドイツで生まれて育ったんです。母はジョージア語よりドイツ語やロシア語のほうが得意だった。そんな環境でしたので、私はバイリンガルで育ちました。学校の同級生が全員そうだったわけではありません。

(2023年4月1日、東京にて記す)

<注1>今回も戦争という緊急事態であることと、公共性が高い内容なので、無料で公開することにした。しかし、私はフリー記者であり、サラリーマンではない。記事をお金に変えて生活費と取材経費を賄っている。記事を無料で公開することはそうした「収入」をリスクにさらしての冒険である。もし読了後お金を払う価値があると思われたら、noteのサポート機能または

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<注2>今回もこれまでと同様に「だからといって、ロシアのウクライナへの軍事侵攻を正当化する理由にはまったくならない」という前提で書いた。こんなことは特記するのもバカバカしいほど当たり前のことなのだが、現実にそういうバカな誤解がTwitter上に出てきたので、封じるために断っておく。



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烏賀陽(うがや)弘道/Hiro Ugaya
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