フクシマからの報告 2024年冬 原発事故の汚染で封鎖され13年 眠りから覚めた「オラが浜」 「日本一小さな漁港」と灯台の漁村は 除染解体で消滅寸前だった
「小さくても良い浜」=「小良ヶ浜」と書いて「おらがはま」。つまり「オラ(自分)の浜」。そんな名前の小さな集落が、福島第一原発事故のすぐ近く、強制避難で無人になった被害地にある。
オラが浜。郷土愛にあふれていて、いい響きだと思った。
この小さな集落には「日本一小さな漁港」があり、沖を照らす灯台がある。2011年3月11日に東日本大震災が起き、福島第一原発事故が始まったころには、134世帯・359人が住んでいた。そう聞いた。
福島県富岡町という町の北東の隅に「小良ヶ浜」はある。福島第一原発から南に8㌔ほどの地点だ。小良ヶ浜は原発のある大熊町と境界を接している。そんな至近距離では、さぞや汚染はひどかっただろう。
「日本一小さな漁港」って何だろう。
富岡町史をひもとくと、海岸にそびえる砂岩の絶壁を、地元民が人力でトンネルを掘って海岸と結んだのだという。
その小さな入江の反対側には、灯台がある。
そんな入江を、地元の人は「わんど(湾洞)」と呼んだ。そんな写真が載っていた。
ムラにはツバキが群生していた。そんな集落で、人々は、半農半漁、カツオやヒラメを獲ったり、浜に釜を並べて海水を炊き、塩を作ったりして生活していたという。
ああ、きっと素敵な場所に違いない。ぜひ行ってみたい。
ずっとそう願っていたが、福島第一原発から流れ出たひどい汚染を浴びて、集落全体がずっと封鎖されたままだった。中に入るどころか、どうなっているのか伺い見ることすらできない。
JR常磐線が開通し、数キロ先の富岡駅や夜の森駅が開業し、周囲の封鎖が解除されても、小良ヶ浜だけはずっと封印されたまま、13年近く眠り続けた。
その小良ヶ浜の封鎖が解かれる。2023年12月から、集落の中に入れる。そんな知らせを聞いた。
原発事故から12年9ヶ月の月日が流れている。一体中はどうなっているのだろう。年の瀬も押し詰まった2023年12月下旬、私は東京を発ち、福島県浜通りに向かった。
(注)扉写真は福島県・富岡町教育委員会編「小良ヶ浜」(2022年3月発刊)より。昭和50年代の小良ヶ浜漁港の姿。
以下、写真は特記のない限り、2023年12月22〜23日、福島県富岡町で烏賀陽撮影。
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