中井英夫『とらんぷ譚』ー1979年初版本と1980年初版本(3)
13部限定本の可能性
私が所有する1979年初版本の署名の日付「1979.12.」が薔薇パーティの時期と矛盾するように思われたので、この『とらんぷ譚』が薔薇パーティで13人の参加者に配られた「13部限定本」の1冊なのかどうか確信が持てませんでした。
また、越沼正氏のブログによると「13部限定本」以外にも献呈署名入り1979年初版本が存在することになります。
そんな折、何の気なしに読んでいた中井の『香りの時間』(大和書房、1981年)に、手掛かりになりそうな一文を見つけました。
ここで中井のいう「クリスマス」がいつのことなのか、本文中には明記されていませんが、『とらんぷ譚』を近著としており、初出一覧に雑誌「is」の1980年8月号に掲載されたエッセーであることが記されていました。このことから、庭の薔薇が衰えをみせなかったという「クリスマス」が、1979年のクリスマスであることは、ほぼ間違いないことが判りました。
つまり、1979年12月のことであれば、季節外れの珍事を娯しむ薔薇パーティがクリスマスパーティを兼ねて開催されていたとしても不思議はない、ということが判りました。村上氏も13部本が配られた薔薇パーティが「初夏から夏」に開催されたとは書いていません。むしろ13部限定本を配った事実に照らしてみると、1980年の初夏から夏という時期は、些か間延びしているというか、明らかにタイミングを逸しており、中井らしい「粋な計らい」を感じることができません。中井の所為であることを重視すれば、13部限定本が配られた薔薇パーティを1980年の初夏から夏とすることの無粋さは、かえって不自然なことかもしれません。
勿論、このことは、仮に、1979年12月に薔薇パーティが催されたとして、薔薇パーティの常連客だった松村禎三がそのパーティに参加し、「1979.12.」の日付の入った1979年初版本を13部本としてプレゼントされたとしても何ら矛盾はない、ということを示しているに過ぎず、実際に、1979年12月に薔薇パーティがあったのか、あったとして松村が参加したのか、参加したとしてこの本をその場でプレゼントされたのかどうかの事実について、何ら証明するものではありません。
1979年初版本と1980年初版本
なお、13部限定本かどうかの問題とは別に、村上氏の記事にはもう一つ気になる点があります。それは、1980年初版本に関する部分です。
1980年初版本と照合してみると、1979年初版本からの修正箇所は複数ページに及びます(因みに、購入した1979年初版本に挟まれていた中井の正誤表も不正確なものでした。)。また、1979年初版本と比較して、1980年初版本の方が本の厚みが薄くなっており、インクの濃さも異なっています。これは私一人の感想ではなく、中井英夫推しのI氏が2冊を比較検討した際にも同様の指摘をしていました。何れにしても「1ページ切り貼り」で済ませて出版したようには思えません。
ここから先は当事者に聞くほかなさそうなのですが、調査の限界を感じているところです。
越沼氏の13部限定本以外の献呈署名入り1979年初版本
(2)で触れた越沼氏のブログによると、中井の指示で平凡社から送付された献呈署名入り1979年初版本が、澁澤龍彦、高橋康也そして越沼氏の3人宛てで3冊存在するとのことです。澁澤と高橋については、平凡社が送る本を間違えて封入してしまい、後で二人が直接会って交換した、それが澁澤と高橋の初対面の機会になった、というおまけのエピソード付きです。
越沼氏のブログや村上氏の記事からは、中井が1979年初版本を面白がって親しい人たちに配っているように思われます。
越沼氏のブログには「中井が三冊を掬い」とありますが、平凡社が回収して保管していた1979年初版本はこの3冊だけだったのでしょうか。屹度、それなりの部数が編集部のロッカーか倉庫に積まれていて、その時どきに、中井が4冊目、5冊目…と「掬い」あげては、平凡社から出納されていたのではなかろうかと私は想像しています。
献呈署名入り1979年初版本の冊数ですが、今のところ、薔薇パーティで配られた13冊に、越沼氏のいう3冊を加えた、合計16冊は存在するということになります。しかし、私の手元にある1979年初版本が13部限定本でなかった場合、中井がすくなくとも4冊目に「掬い」あげた本ということになって、全体では最低でも17冊は存在する勘定になります。
実際のところ、私が所有する1979年初版本は、中井自身による正誤表のコピーが挟まっていた点で越沼氏の1979年初版本と共通しているので、「4冊目」に掬いあげた本である可能性を完全には捨てきれないと思います。