見出し画像

中井英夫『とらんぷ譚』ー1979年初版本と1980年初版本(2)


13部限定本

2020年、私は、ある古書店から中井英夫『とらんぷ譚』(平凡社)の識語入り献呈署名本を購入しました。「影の狩人たるべき―」という識語とともに松村禎三への宛書のある本です。そして、この『とらんぷ譚』には中井本人による手書き正誤表のコピーが挟まっていました。

中井英夫『とらんぷ譚』(平凡社、1979)
中井英夫「とらんぷ譚」正誤表

松村禎三(1929年 - 2007年)は作曲家で東京藝術大学教授を務めた人物です。中井英夫の飲み仲間、麻雀仲間、中井のパートナーで作品社(第2次)社主の田中貞夫が経営するバー薔薇土バラードの常連、軽井沢の流薔園や世田谷区羽根木の薔薇パーティの常客で、複数の写真からその様子を確認することができます。また、中井の告別式では友人代表として弔辞を述べています。(『眠れ、黒鳥ー追悼●中井英夫』(幻想文学出版局、1994年)5ページ)

『武満徹の世界』(集英社、1997)より
1981年5月23日、世田谷区羽根木の中井邸の庭で齋藤愼爾撮影
左から武満徹、松村禎三、吉行淳之介、中井英夫
『中井英夫作品集 別巻 宴』(三一書房、1988)より
軽井沢の別荘で中井(左)と松村禎三
『中井英夫作品集 別巻 宴』(三一書房、1988)
『眠れ、黒鳥ー追悼●中井英夫』(幻想文学出版局、1994年)

「これは珍しいものを手に入れた」と思った私は、早速、書影と正誤表をツイッターで呟いたのですが、ほどなくして中井推しのフォロワーの方から、この『とらんぷ譚』が所謂「13部限定本」ではないかというご指摘をいただくとともに、「13部限定本」については、『『新青年』趣味第11号 特集中井英夫/森下雨村』(『新青年』研究会、2003)に村上裕徳氏が書かれていることも教えていただきました。村上氏は、中井の助手だった方です。

村上裕徳氏の説明

長くなりますが、同誌に掲載されている村上氏の記事から「13部限定本」の説明にあたる部分を引用させていただきます。

中井家の薔薇パーティというのは、庭の薔薇が見頃になった初夏から夏にかけての時期に、中井英夫の親しい友人を10人ほど呼んで、庭で麻雀大会やバーベキュー・パーティをするもので、直江博史・建石修志・田中貞夫・相澤啓三・齋藤慎爾などの親しい友人や、澁澤龍彦・吉行淳之介・種村季弘・出口裕弘などといった、たまに顔が見たい友人を集めてのホームパーティのことである。この年に誰が出席したのか知らないが、その時献呈されたのが13冊の『とらんぷ譚』であったという。その中の一冊が、金沢が所有する一冊なのだそうだ。それだけなら唯の献呈署名本に過ぎない。それでその二冊をよく見てみろという。どちらも同じ装丁で同じく中井英夫の署名に金沢宛の為書きがある。どこも同じ二冊のおなじ『とらんぷ譚』の初版本であった。ところが、もっとしっかり見ろと言って奥附けを示す。すると、片方の『とらんぷ譚』は79年の初版、もういっぽうは、80年の初版であった。エッ、何で? ―目が点になる。金沢の話によれば発刊間際の印刷済みになって誤植が見つかり、そのため、一般に流れている初版は、1ページ切り貼りで出版されたのだという。(中略)より正しくいえば誤植ではなく脱字であった。そのため70年代の最後に出るはずの『とらんぷ譚』は、80年にアクシデントで発刊されたのだという。これはとても貴重な初版本には違いなかった。13人というのはトランプのカードの枚数とも同じく、またユダを加えたキリストの弟子の数と同数であるのは言うまでもない。後に本多さんに聞いたところ、中井家にも無いというから、正真正銘の13部限定本になる。

『『新青年』趣味第11号』(『新青年』研究会、2003)村上裕徳「月蝕領・羽根木時代の思い出」より
『『新青年』趣味第11号』(『新青年』研究会、2003)

引用文中に出てくる「金沢」とは、中井の助手を務めていた金澤裕史氏のことで、「本多さん」とは中井の最期を看取った助手で著作権継承者の本多正一氏のことです。

入手したときには気付いていなかったのですが、改めてしっかり奥付を検めると確かに1979年12月の初版第1刷でした。

さて、「13部限定本」ではないかという指摘に驚き、喜びましたが、同時に疑問も湧いてきました。村上氏によると「13部限定本」は「薔薇パーティ」で配られたとありますが、薔薇の見ごろは春か秋です。村上氏も「初夏から夏にかけての時期に」開催されたとあります。ところがこの『とらんぷ譚』には「1979.12.」と署名した日付が入っています。クリスマス・パーティならともかく、薔薇パーティで配られたものとは思えませんでした。

越沼正氏の説明

さらに、調査を続けているうちに元K美術館館長の越沼正氏のブログ記事を見つけました。越沼氏は、加藤郁乎に連れられて「薔薇土」へ行き、そこで中井と遭遇し、意気投合して正体不明になるまで酔った中井を家まで送り届け、そのまま中井邸に泊まった縁で懇意になったという方です。そして、この記事にある『とらんぷ譚』1979年初版本の説明は、私の混乱に一層拍車をかけるものとなりました。

昨日の中井英夫黒鳥忌で、ネットでは献呈サイン本などがずいぶん挙げられていた。私への献呈サイン本は十冊以上ある (数えていない)。珍本といえるのは、『とらんぷ譚』平凡社1979年12月20日刊行の、誤植、脱落の廃棄本。三冊を中井氏が掬い、一冊を澁澤龍彦に、一冊を高橋康也に、そして最後の一冊を私に恵まれた。編集部から郵送したのだけど、澁澤と 高橋が間違って送られ、面識のない二人が会って交換したと、中井氏から聴いた。本にはコピーの中井英夫「とらんぷ譚」 正誤表が挟まっている。

k-bijutukanのブログ「珍本あるいは希書」(2016/12/11)より