
カスンバ選手、英語記事翻訳
【北海道旭川発】
ソーシャルメディアでの思いがけない「フォロー」が、一人の若者の人生を大きく変えた。
暴力と薬物、貧困に囲まれた生活から抜け出すきっかけをつかんだのは、ウガンダ出身のデニス・カスンバだ。
昨年、母国を離れた21歳のカスンバは現在、ウガンダで、北海道の独立リーグチーム・旭川Be:Starsへの帯同準備をしている。
プロ野球選手になるという夢への第一歩を、日本の地で踏み出した。
【親を失った少年の日々】
東アフリカ・ウガンダの首都カンパラで育ったカスンバは、幼くして戦争で父を失った。その後、仕事を探しに出た母親は二度と戻ってこなかった。
祖母に引き取られた少年は、8人家族の一員となった。家族に働き手がいなかったため、カスンバは朝食代を稼ごうと早朝から仕事を探し歩いた。
「早く起きれば起きるほど、いい仕事が見つかったんです」。毎朝5時に起床していたという日々を、カスンバは静かに振り返る。
7歳になったカスンバは、スラムで45メートルもの深さの地下トイレ穴を掘る仕事を任された。
祖母は「危険すぎる」と心配したが、働かなければ家族が食べていけない現実を知る彼は、その仕事を続けるしかなかった。
8歳で働き始めた食肉加工工場で、カスンバは木の棒で石を打って時間をつぶしていた。そんな彼の姿を見た一人の男性が、野球を始めることを提案した。
「ウガンダの代表チームでプレーしてみないか?野球場に来てくれれば、お金を払うよ」。その言葉が、カスンバの人生を変える転機となった。
カスンバは、日々の仕事の合間を縫って球場での練習を始めた。その野球場には、戦争やエイズで親を失った子供たちが大勢集まっており、皆プロリーグでプレーする夢を抱いていた。
しかし、どんなに働いても家族の生活は良くならなかった。その日の食事を買うだけで、わずかな稼ぎはすぐに底をついた。カスンバは、この生活から抜け出す唯一の道は野球を続けることだと悟った。
ジムに通うお金はなかったが、諦めなかった。タイヤ、レンガ、ペットボトル、土、石など、手に入る物は何でも使って自主トレーニングを重ね、捕手としての技術を磨いていった。
【SNSがもたらした転機】
ウガンダでは野球だけで生計を立てることは難しく、カスンバは海外でチャンスを探すことにした。14歳の時、スポンサーの目に留まることを願って、トレーニングの様子を撮影した動画をSNSに投稿した。
その動画は、思いもよらない人物の目に留まった—メジャーリーグのスーパースター、大谷翔平である。カスンバは、大谷が世界中でわずか240人しかフォローしていないインスタグラムアカウントの一つとなった。
この「フォロー」は瞬く間にカスンバを世界的な注目を集める存在とし、メジャーリーグチームでのトライアウトという貴重な機会をもたらした。契約には至らなかったものの、この経験は野球選手としてのキャリアを追求する彼の決意をさらに強めた。
【新天地・北海道での挑戦】
ウガンダに戻ったカスンバを待っていたのは、食肉処理工場での薬物乱用の蔓延だった。「もうここにはいられない」。そう決意した矢先、旭川Be:Starsのコーチ、田中氏から連絡が入った。
二人は以前、田中が国際協力機構(JICA)で働いていた時に出会っていた。「日本で一緒に野球をしないか」。その誘いを受け、2024年、20歳のカスンバは来日を果たした。
48歳の田中は、「若手選手の可能性を開花させたかった」と語る。技術は粗削りで、練習環境も劣悪だったが、カスンバの持つ潜在能力に強く惹かれたという。
現在、旭川Be:Starsには、アメリカ、スロベニア、オーストリア、アルゼンチン、トルコ、ベネズエラなど、様々な国からの選手が在籍している。外国出身の選手たちは、寮で共同生活を送っている。
カスンバは風呂掃除を担当し、他の住人が快適に使えるよう、床や壁を丁寧に磨いている。6畳一間の個室には自分で冷蔵庫を設置し、インスタントラーメンやお菓子類を無駄にしないよう、大切に保管している。部屋には、これまで出会った人々から贈られた野球のヘルメットが飾られている。
野球チームが負担しているのは生活費のみ。そのため、ウガンダに残してきた家族の厳しい暮らしは、まだ変わっていない。電話で家族から「今日もいつも通り、食べるものがない」と聞くたびに、カスンバの胸は痛む。
それでも彼は、北海道日本ハムファイターズからメジャーリーグへと羽ばたいた大谷の足跡をたどるという夢を決して手放さない。
「大谷さんと同じように北海道に来て、同じ道を歩んでいます。必ず、世界一のキャッチャーになってみせます」。カスンバの瞳は、固い決意に満ちていた。
いいなと思ったら応援しよう!
