【考察】東方紅魔郷怪文書
東方紅魔郷の考察という体の妄想です。
長いので暇な人以外は読まないでください。
【始めに】
Win版第1作目の東方紅魔郷。頒布から20年以上経った今でも、登場キャラ達は多くの人に愛されています。しかし、原作の台詞は暗喩的で奇々怪々。誰もが首を傾げてしまうような内容です。
この考察で、そんな彼女達の華々しい弾幕ごっこ、ひいては台詞に隠された“意味”を筆者なりの解釈で見出だしてみようかと思います。ヒントになるのは、推理小説を題材にしたと思しきキーワード。
台詞、人と妖の関係性、そして命名決闘法から紅霧異変を考察していこうと思います。
①初の命名決闘法戦。ごっこ遊びの時代の到来
②新時代の妖怪は、考えなしに人を喰らうか?
③ミステリごっこ大好き!紅魔館の面々
この考察は上記の3視点を主軸に進めていきます。
紅霧異変時の弾幕撃ちの心情に迫りたい!
でも会話がさっぱりで取っ掛かりすら見つからない!
そんな方に、ひとつの解釈が示せたら幸いです。
それでは、東方紅魔郷。その物語の裏側を紐解いていきましょう――
【1stage vsルーミア】
元ネタと言われている『まどろみ消去(著者:森博嗣)』には『"人類は10進法を採用しました"というジェスチャではない』という一文があります。さらに、この小説は『そして誰もいなくなった』の童謡殺人がテーマになっています。序盤では特に意味を持たないと感じるかもしれませんが、これはフランドールとの会話(EXstageにて後述)への伏線だと考えられるので、頭に置いておいてください。
原曲「ほおずきみたいに紅い魂」
何を表すか謎のタイトルでしたが、八岐大蛇の目の例えでは?と考えています。
古事記では八岐大蛇の赤い目を『赤かがち』と表現しています。これは今の酸漿の古名とされています。伝説では八岐大蛇が定期的に生贄を要求し、それを喰らったとも。ご存じの方も多いと思いますが、8人の娘が順番に生贄に出され、最後に残った稲田姫がスサノオに助けられたとされています。
ルーミアは目が赤く、それでいて人食い妖怪です。1面道中曲のタイトルが人喰いの八岐大蛇から着想を得たのであれば、ルーミアの性質にぴったりな曲名でしょう。そして、初のスペルカードルール戦の初戦に人食い妖怪を体現したような曲名と台詞――非殺傷を掲げる新ルールに、伸るか反るかの緊張が走ります。……もちろん結果はご存じの通り、弾幕ごっこで決着がつきました。
・備考
①初版蓬莱人形ストーリー。正直者8人のうち、紅一点が生き残る。奇しくも八岐大蛇に捧げられた生贄の人数と合致
②風神録1面「稲田姫に叱られるから」。ヤマタノオロチはクシナダヒメを喰らおうとした。
【2stage vsチルノ】
紅魔郷が頒布された頃(2000年代初頭)は英国に端を発する狂牛病問題が話題になっていました。「食べたらBSEを発症する」とされる特定危険部位のニュースが今でも印象に残っています。これは1面ボスの「目の前が取って食べれる人類?」というセリフと同じく、“博麗の巫女は食べられない”の暗喩と考えられます。人喰い妖怪に続き、不殺の契りは妖精にも浸透していました。
幻想郷に冷房なんてあるのでしょうか?
チルノは氷の妖精とされていますが、特に夏の異常気象や冷房などの人為的な涼しさを象徴する妖精なのでは?と考えています。
というのも、夏に起きた異変である紅霧異変では2面ボスなのにも拘わらず、冬が終わらない春雪異変では1面中ボスであることに違和感を覚えたからです。「チルノは夏でこそ勢いを増す妖精なのでは?」と。それに加えて、東方天空璋の“日焼けしたチルノ”の台詞が彼女の性質を如実に語っています。
紅魔郷では、レミリア嬢が出した紅い霧により灼熱の太陽は遮られ、幻想郷は暗闇に包まれました。夏に訪れた突然の冷え……仮説から考えればチルノが2面ボスを張るのも納得できます。
【3stage 紅美鈴】
このネタめちゃくちゃ擦りますよねぇ……
しかしこの台詞、紅霧異変を“弾幕ごっこで臨む初の闘い”と考えれば、結構重たい台詞ではないでしょうか?
初戦で人喰い妖怪は批准した
次戦で妖精も批准した
では、紅魔館の妖怪は?
不殺の文言が掲げられた命名決闘法案に目を通した妖怪達は、自らの立ち位置を測っていたのではないでしょうか?
食べる食べないの言葉の応酬が霊夢ルートに集中しているのも、巫女の出方を伺っていたからなのでは?と考えられます。
ここで霊夢が“そうくるなら滅ぼすまで”と弾幕ごっこの範疇にない本気の攻撃に出れば、この法案は水泡に帰します。野良妖怪も妖精も、紅魔館の門番も、巫女を試したのでしょう。
妖怪は自分達の存在を誇示でき、恐れられ、恐怖を糧に力を維持できる。そして一般の人間からは死者が出ない。スペルカードルール、なんて素敵な決闘法なんでしょうか。
・紅美鈴とは何者なのか
ごめんなさい、皆目見当がつきません。しかし、元ネタと言われている小説から彼女の来歴を想像することはできます。ここで、『上海幻夜(著者:藤木稟)』について語りましょう。
この小説の巻頭歌は蓬莱人形のテキストに酷似しており、また蓬莱人形(CD)には『明治十七年の上海アリス』も収録されています。さらに、小説内には“橙美鈴”という人物もおり、無関係ではないでしょう。小説の舞台が上海租界なのを考えると、1800年代後半(それこそ明治十七年)の中国人女性が想像できます。
この登場人物が美鈴のイメージの元になったとすると、レミリア嬢との出会いもやはり租界なのでしょう。欧州列強諸国の陣取り合戦でもあった同地ですから、ヨーロッパで生まれた吸血鬼にもつけ入る隙と縁があります(6面戦にて後述)。
また、紅魔館の外観(英国式カントリーハウス)やメイド文化は、英国をモチーフにした可能性が高いと考えられます。英国といえば紅茶の国。上海紅茶館というのもそれが由来ではないでしょうか。
この歴史的背景が幻想郷において何を意味するか考えると、そのまま紅魔館勢力の立ち位置を示しているのだと思います。上海租界に侵入した西洋の紅茶館、そして門番として現地で雇われた中華風の女性――紅霧異変は、幻想郷に侵入した新興勢力の起こす物語です。その看板を背負った妖怪が紅 美鈴なのではないでしょうか。
【4stage vsパチュリー・ノーレッジ】
外見がどう見ても『悪魔城ドラキュラ 月下の夜想曲』に登場する図書館の主。名前の由来がインド原産の『パチョリ(patchouli)』というハーブだとすると、イギリス領インド帝国(1858~)との関連性も疑われます。あちこちでちらつく英国の影。レミリア嬢=英国の吸血鬼とすれば、人間の経済活動に紛れてインドを訪れた際にパチュリーとの出会いがあったのかもしれません。
また、パチュリーは西洋の妖怪(魔法使い)ですが五大元素+月&日の東洋魔術を主として用います。洋館における東洋魔術=イギリスにおける東洋の植民地(インド)のイメージなのでしょうか。
幻想郷(東洋)にて西洋風の魔女の格好をした魔理沙とは正反対の存在です。対立軸としてこの上ない好敵手ですよね。
彼女の喘息&病弱設定は産業革命からなる英国のスモッグや賢者の石(辰砂)の毒性が原因でしょう。辰砂は硫化水銀であるため実験に使うと水銀中毒になる可能性もあります。
彼女自身、『金&水符「マーキュリポイズン」』なんて体調不良まっしぐらなスペカを持っていたりもしますし……
本当に好きですねこのネタ。否定して弾幕ごっこで殴る霊夢とは違い、魔理沙は冗談めかして煽ってから弾幕ごっこで殴る形でしょうか。
弾幕ごっこでの異変解決に挑む自機組ですが、一口に“弾幕ごっこで異変解決”といっても、口上にそれぞれの個性が出ていて面白い。
遠回しに『食べる』だの『コ□ス』だの言っちゃう幻想郷の住人ですが、あくまで『弾幕ごっこ』です。この“売り文句に買い文句”も、『ごっこ遊び』の範疇なのでしょう。可愛らしい少女達がえげつない言葉を吹っ掛けますが、不思議と嫌な気分がしません。それはきっと、洒落た言い回しで遊びの内とわかるからなのでしょう。
口上が場を盛り立て、過激な演武を生み、あのように華やかな弾幕を織りなすのです。幻想少女達が魅せる世界に惹かれ続けて抜け出せません。
【5stage vs十六夜咲夜】
幻幽「ジャック・ザ・ルドビレ」
ジャック・ザ・リッパーを思わせる語感と毒草を組み合わせた物騒極まりないスペルカードです。ジャック・ザ・リッパーといえばやはり1800年代後半のイギリスロンドン。紅魔館の面々はどうも英国との縁があるようです。
このメイドは殺人事件ごっこがお好きなようです。主人に毒入り紅茶を淹れたり(死なないからごっこ遊び)、『幻符「殺人ドール」』なんてスペカを持っていたり、智霊奇伝でパチュリーに毒を盛ったり……最後の事象は本人の意思ではないのですが、『ラクトガール ~ 少女密室』などと密室殺人を思わせるタイトルに掛かってくるのが興味深いところです。
紅魔館総出でこんなごっこ遊びをしていたのでしょうか?なかなかファンシーでクレイジーな遊びですね……ノリが良いのも素敵です。
また、彼女の二つ名『完全で瀟洒な従者』はアガサ・クリスティーの『The Case of the Perfect Maid』が元だと思われます。この小説のあらすじから、スカーレット姉妹や咲夜のモデル?らしき人物が見られるのでなかなか面白いです。
あらすじを動画に纏めている方もいらっしゃるのでよろしければどうぞ
【ゆっくり文庫】クリスティ「完璧なメイド」ミス・マープルより
『完璧なメイド』を読んだ後に東方智霊奇伝の咲夜とフランドールの絡みを見ると、元ネタとの関係性が反映されているのがわかって面白いです。紅魔郷のフランドールが巻きスカートであること、智霊奇伝のデザインでもそれを踏襲(むしろ強調)していることを考えると即座に脱いで早着替え、からの変装ごっこなんかもやっていたかもしれません。
そしてもう一点、有名な話ですが、紅魔郷咲夜の原作立ち絵の左袖には『Red Magic』と書かれていますよね。「どうしてレミリア嬢のスペルなの?」と思うかもしれません。
元ネタは『すべてがFになる(著者:森博嗣)』。ルーミア戦の『人類は十進法~』の元ネタとしても紹介した作家さんです。なんと、この小説に登場する研究施設のシステム名が『レッドマジック』なのです。
しかもこのシステム、時間仕掛けのトリックが仕込まれています。ネタバレになるので詳しく書けませんが、犯行に大きな目くらましの注意誘導も用いられています。咲夜のスペカのオンパレード。彼女が手品好きなのも、そういった仕掛けを好むからなのかもしれません。茶目っ気があるメイドさんですこと……
【6stage vsレミリア・スカーレット】
紅魔館の主であるレミリア嬢。紅霧異変の首謀者である彼女を語るには、まず吸血鬼を知ることから始めるべきでしょう。
レミリア嬢のスペルカードや振る舞いからは、全世界の吸血鬼伝説を集めて具現化したような印象を覚えます。彼女を構成する吸血鬼要素に、どのような例があるのか、以下に箇条書きしてみました。
・呪詛「ブラド・ツェペシュの呪い」
→吸血鬼小説のビッグタイトル『吸血鬼ドラキュラ(著者:ブラム・ストーカー)』。その元になったと言われるヴラド3世(通称ドラキュラ公または串刺し候)がそのままスペカ名になっています。また、ブラド3世が行った串刺し刑は、レミリア嬢の『獄符「千本の針の山」』。ブラム・ストーカーからは、『神鬼「レミリアストーカー」』など、随所に吸血鬼関連の要素が取り入れられています。
・永夜抄咲夜『私は一生死ぬ人間ですよ』
→小説『吸血鬼ドラキュラ』ではイギリスロンドンを訪れたドラキュラ伯爵が吸血によって同胞を増やそうと画策しますが失敗に終わります。これがレミリア嬢の誘いを断った咲夜の姿と重なってしまいます。彼女が小食なのも「同胞を増やせない吸血鬼」という吸血鬼伝説の印象に引っ張られているのではないでしょうか。
・6面道中曲『ツェペシュの幼き末裔』
→実際レミリア嬢はツェペシュと血の繋がりはないようですが、これも外の世界の吸血鬼のイメージに影響されているのだと考えています。妖怪を構成するものは精神性なのですから……
元ネタと思われるのは『血の末裔(著者:リチャード・マチスン)』。吸血鬼になりたい少年が、蝙蝠を吸血鬼だと思い込み血を吸わせる小説です。この小説には、突如現れた赤い目の男に『息子よ』と声を掛けられるシーンがあります。実際は瀕死の少年が見た幻影でしょうし、少年が吸血鬼の末裔だなんてことはあり得ません。これが曲のタイトルとレミリア嬢の血縁の話と合致します。
他にも沢山ありますが割愛
さて、ここまで“レミリア・スカーレットは全世界の吸血鬼伝説要素で構成されている”と述べてきましたが、紅霧異変での彼女個人の意思はどうだったのでしょうか。ようやく、吸血鬼レミリア・スカーレットに迫ります。
スペルカード『レッドマジック』
普通なら〇符『△△△』といった具合に符名があるはずですが、それが見当たりません。思うに、この法則から外れた特別なスペルカードは使用者本人にとって重要な自己表現にあたるのではないでしょうか。
先述の通り、『レッドマジック』は時間を操る咲夜との関係性を示すスペルです。重要なのは言うまでもありません。そして『紅色の幻想郷』。これは紅霧異変そのものを表現します。やはり重要ですよね。
ここで、色について補足。幻想郷は虹の色で表現できる7色に何かしらの意味を持たせていると考えています。
虹の色は外側から順に「赤」→「橙」→「黄」→「緑」→「青」→「藍」→「紫」
赤はもちろん初の異変を起こしたレミリア・スカーレット。そして紫は八雲紫を表すのではないでしょうか?すぐ隣に式神である藍もあります。
また、東方香霖堂では霖之助が外の世界に思いを馳せただけで幻想郷から弾き出されかけた事があったのですが、その話が収録されているのは『第十一話「紫色を超える光」』です。
“紫色(虹の端)を超える=幻想郷から出てしまう”ということなのでしょう。さらに面白いことに、その窮地を救ったのは八雲紫です。そういった事象から、赤~紫は幻想郷の範囲内ということなのだと考えられます。
これを踏まえて『亡き王女の為のセプテット』を考えると、
亡き王女→No Ⅼife Queen(No Life King:不死の王のもじり)→レミリア嬢
セプテット→七重奏→虹の七色→幻想郷の範囲内
とどのつまり、『レミリアの為の幻想郷』ともとれます。そのまま、『レミリアが幻想郷を席巻する紅霧異変のテーマ!』と言われているような印象も抱きます。
初のスペルカードルールを用いた異変なのですから、レミリア嬢もきっと張り切っていたことだと思います。幻想郷の新顔、それも西洋妖怪が命名決闘法に従うのです。これは、幻想郷の人妖の関係にとって新しい時代の幕開けに他なりません。それこそ虹(幻想郷)の端を担うに相応しい配役だと思いませんか?彼女が幻想郷の一番目、一番最初に来る色なんです。
そんな彼女が始めた紅霧異変。それに対する人間たちは弾幕ごっこで決戦を挑み、門番の妖怪、図書館の魔女、時を止める従者を乗り越え、最後のステージに辿り着きます。
ずっこけそう。また食べるだのなんだのネタですよ。でも、でもですよ?ここまで読んだ危篤な方はおおよその想像はついてるでしょうが、これもそういう“ごっこ遊び”、“ポーズ”なのでしょう。
『この世から出てって欲しい』
なんて口では言いつつも滅するような事はしない巫女
『お腹いっぱいだけど』
吸血の脅しをかけるも実際にそんな事はしない吸血鬼
二人とも、異変解決後は神社で仲良く(良いのか?)しているではありませんか。これが弾幕ごっこの良いところだと思います。勝ち負けが決まったら後腐れなく笑いあえる、そして死人も出さずに妖怪は自己表現ができるのです。
好奇心旺盛で柔軟な考え方をしている若い妖怪、それがレミリア嬢ですから、そりゃもう一番乗りしちゃいますよね。こんな血生臭い台詞も、どこか楽し気に、微笑を浮かべながら声高々に口にしていたことでしょう。そんな情景が浮かんできます。
【EXstage フランドール・スカーレット】
フランドール、おまえもか。天丼ここに極まれり。実はこの食べるだのなんだのネタ、興味深いことに十六夜咲夜との会話内だけでは存在しません。この紅霧異変での会話は『人間VS人間』と『人間VS妖怪』を明確に意識しているのだと思います。
そしてこの台詞から考えられることがもう一つ
『The Case of the Perfect Maid』のあらすじを知っている方からすると『人間を見たことがない』というのもブラフの可能性が出てきます。仮に変装して紅魔館内をほっつき歩いていたら?咲夜との関係を知られていたら?智霊奇伝の咲夜とフランドールの仲が良さげな雰囲気から察するに、どこかで結託していたのでは?
どこからどこまでが『推理小説ごっこ』なんでしょうか。考えると面白いですね。
しかし、魔理沙にはそのミスディレクションは通用しないようでした。魔理沙は『お前の推理小説ごっこに付き合ってやるよ』とでも言うかのように、見え見えの変装(巫女と言い張る)をしてフランドールを皮肉ったのです。思えば、ルーミア戦でも森博嗣の小説の内容を引き合いに出していました。ごっこ遊びに関して、彼女は相当の手練れだと思われます。咲夜戦でも『私がメイド長になる』などと妄言を吐いていましたが、これも『The Case of the Perfect Maid』ごっこを見抜いていたのかもしれません。洒落た切り返しですよね。
売り言葉に買い言葉
お互いの立場を確認し終えた吸血鬼と魔法使いは、戦いの火蓋を切ります。
フランドールのスペルカードは驚異の10枚。
小説『そして誰もいなくなった(著者:アガサ・クリスティ)』の犠牲者の人数(10人)に合わせているのでしょう。
この小説は、『10人のインディアン(マザーグース)』に準えた見立て殺人をテーマにしています。人形を人間に見立てて、一人死ぬごとに一体ずつ人形も割っていくわけです。“次は自分の番だ”と恐れ戦く被害者達の描写が読者にも緊張感を与えてきます。
フランドールも、この劇場型殺人を弾幕に取り入れて、大一番で最大の“ごっこ遊び”を仕掛けました。
9枚目のスペルカード
『そして誰もいなくなったごっこ』
すなわち
『そして誰もいなくなるか?』です。
『禁忌』や『禁弾』などのスペルを搔い潜り、攻略した先に繰り出されるイレギュラー、
それが9枚目の『秘弾「そして誰もいなくなるか?」』と10枚目の『QED「495年の波紋」』です。これもレミリア嬢の『レッドマジック』と同じく、符名の法則から外れた特別なスペルと思われます。
誰もいなくなるか?……なぜ疑問形なのでしょうか。
きっと、フランドールは魔理沙に問いかけていたのでしょう。『あなたが殺られると誰もいなくなるよ?』と。9枚目のスペルは、小説の内容だと9番目の犠牲者です。U.N.オーエンと名乗った犯人は姿をくらまし、死んだと見せかけて9番目を自殺に追いやろうとします。それをイメージしたのか、弾幕も|フランドール《犯人》が消えて魔理沙は一人ぼっちで被弾に抗うこととなります。
『U.N.オーエンは彼女なのか?』とはそういうことだったのでしょう。『秘弾「そして誰もいなくなるか」』に魔理沙が被弾(秘弾)して居なくなってしまう。
そして『U.N.オーエンは彼女なのか?』
ですが、ここでやられないのが霧雨魔理沙です。フランドールの罠を見事破ってくれました。そうして、この『誰もいなくなるか?』という問いかけに『生き残る』という答えを示した霧雨魔理沙。ならば、と次に繰り出されるは『QED「495年の波紋」』。
10番目最後のスペルは小説のようには進まず、二人が残りました。ここが正念場。
筋書き通りには行かない、行かせない!
彼女達の弾幕ごっこが紡ぐ唯一無二の物語です。
『QED(Quod Erat Demonstrandum):495年の波紋』
9番目を破った魔理沙に対するフランドールの最後の弾幕。
フランドールは何を示したかったのでしょう?
ヒントはN進法です。魔理沙はルーミアに『人類は10進法を採用しました』と、『そして誰もいなくなった』に関するネタを振りました。
『495』を2進数に変換すると『111101111』になります。水面に一石を投じると、このような波紋の波が立つでしょう。弾幕も、それをイメージして波立つような全方位弾です。
彼女が示したかった答えは“10進法(『まどろみ消去』のセリフ)”でも“16進法(『全てがFになる』のトリック)”でもなく“2進法で数える”ことでした。
フランドールは言外にこう訴えかけていたのでしょう……
人が死ぬ推理小説の物語ではなく
誰も死なない弾幕“ごっこ”で
この物語の決着をつけましょう
叩きつけられる彼女からの最後の自己表現。言葉は不要です。応える手段はスペルの攻略。跳ね返る荒波、不規則な猛攻を乗り越え、困難な道でも魔理沙は乗り越えました。そうして全てを受け止め切った魔法使いは吸血鬼にこう話しかけます。
こんな話が出てくるあたり、魔理沙はフランドールの『そして誰もいなくなったごっこ』すら、最初から看破していたようです。そうして戯曲版の『そして誰もいなくなった』の結末、『彼女は結婚した。そして誰もいなくなった』が正しい歌なんだとフランドールに教えました。
フランドールのスペルカードに、魔理沙も答えたのです。
『死人が出る原作小説ではなく、演劇としての内容こそ幻想郷に相応しい』
魔理沙勝利後の会話は、遠回しに非殺傷の弾幕ごっこを肯定したものだったのでしょう。恋の魔法使いというだけあって、ロマンチックで洒落た言い回しですよね。こんなに美しいキザなセリフが言える魔理沙はやっぱり好きです。
『(結婚なんて)誰とよ』……不貞腐れるフランドール。そんな彼女に、魔理沙は『神社の娘でも紹介するぜ』という言葉で勝利宣言を締めくくりました。
魔理沙はこの言葉に思うところがあったのかもしれません。この文脈だと『戯曲版 そして誰もいなくなった』を本当の歌とする魔理沙の主張は、『小説 そして誰もいなくなった』の否定。つまり、不殺の弾幕ごっこを肯定することになります。
『結婚相手に巫女を推す』というのは、それすなわち『巫女との弾幕ごっこをオススメする』ということなのでしょう。弾幕ごっこの第一人者を推すとは……地下室から出て、弾幕ごっこの世界に来てみろ!と誘っていたのでしょう。なんとまぁ、最後まで恰好いい台詞です。
余談ですが、紅霧異変後にフランドールは地下室以外でも姿を現すようになりました。偶然なのでしょうか。
想像は尽きませんがひとつだけ言えることがあります。
弾幕ごっこって良いよな