2021年 新春初光話in沖縄

2021年1月1日沖縄・那覇で行われた新春初光話のテキストデータをお届けします。👇PDFはこちらからダウンロードしていただけます。https://uezushoten.jimdofree.com

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愛の化身である皆さん
2021年の今日の良き日を迎えることができたことを心から嬉しく思います。
まず、新年あけましておめでとうございます。


私が良き日と話した時、「なぜ全世界が新型コロナウイルス感染拡大で、その状況のなかでどうして良き日と言えるのだろう?」と言う方々もおられます。
それは本質を理解しない結果なんです。本質は常に完全な創造なんです。一日だって、一瞬たりとも、悪き日を神は創造しておりません。そこに我々生かされてはおりません。
良き日を悪くしているのは、万物の霊長たる我々であること知ってもらいたい。

2020年、一年皆さんとともに学び、ひとりひとりが成長、輝いていく姿を見せてくださったことに私は心から嬉しく思うんです。しかし、この2021年は、表面は2020年以上に荒れ狂うことでしょう。
しかし、皆さんの本質は愛として完全です。
無限にして完全意識、
普遍意識として無限の智慧、
ゆえにどんな荒波が押し寄せてきても、笑い、ほほえみ、喜んで、立ち向かっていく勇者になってもらいたい。


ひとりひとりに与えられている能力は誰彼よりも特別もなく、平等に無限の能力を与えられております。どんな荒波をも、あるいは皆さんが進みゆく道を妨げる岩があるならば、打ち砕いても皆さんは進みいける力強いひとりひとりになってもらいたい。
この宇宙に本来あなた方を妨げきれるものは一点一物だってないことを知ってもらいたい。
その妨げる障害に力与えて、あたかも越えることができないという錯覚をしているのは自分自身であることを知ってもらいたい。


研修センター建設が決まって、この建設スタートまでLさんがどれほどの問題にぶつかってきたのでしょう。一つ越えればまた一つ、一つ越えればまた一つ。
私も今生この建設にあたって、これほどの問題がぶつかってくるとは知らなかったんです。しかし、Lさんは愛そのものですべてを乗り越えてくれました。
もうこの2021年の12月を完成予定しています。
この現象の世界だって、物事一つを完成させるためにこれほどの問題がぶつかってくることを私は知らなかったんです。まだ私は小さな建物しか体験ないがゆえに。

この現象という結果でもそうであるならば、皆さんが目指す、皆さんが目標としているその根源世界はどうなんだろう?
容易く、ハイハイで入れる世界ではないんです。

磨いて磨いて磨き抜いて、とうとうその細くて長い道のりを、常にたゆまなく努力を積み重ねて、叩いて叩いて叩き続ける者が扉を開かせるんです。
探して探して探し続ける者のみが探しものをみつけるんです。
求めて求めて求め続ける者のみが求めたもの与えられるんです。
皆さん、その力強さを今生この2021年こそ発揮してほしい。

松のように強き心をもってほしい。
竹のように真っ直ぐな心をもってほしい。
梅のような美しい心をもってほしい。
ならば今生こそあなた方は、手を取り合って根源世界へ融合し、食卓に招かれるでしょう。

神は誰一人欠けることを望んでいるのではありません。90億の美しきあなた方の食卓はすべて備えて準備しているんです。

誰がその食卓に着くのを拒んでいるのだろう?
皆さんは「私は拒んではいない」と言うでしょうけど、分離感そのものはもう拒んでいるんです。そこにうらみや怒りや嫉妬を向ける者は、もうそれを拒んでいるんです。
皆さん「私は拒んでいない」と誰が言い切れましょう。
拒んでいなければ、もうすでに食卓にあずかっていますよ。食卓に着いていますよ。
神は、今 地球人口90億であるならば、90億誰一人欠けてほしくない。
誰一人落ちてほしくない。みんな連れ帰りたい、が神なんです。

いつもたとえているではないでしょうか。
私が100匹の子羊を預かり、99匹は手元に置いてます。1匹が迷い出ています、柵から。
迷わぬ99匹は置いても、迷い出したその1匹を命をかけて探すんです。
その1匹を見逃しては完成がないからなんです。

今生こそは、今生こそでもない、今年2021年こそは、どんな荒れ狂う荒波をも皆さんは、それを己自身の力としてほしい。その荒れ狂う力を皆さんは愛に変えてほしい。
ひとりひとりが無限の愛ゆえに、どんなものをも愛に変える力は皆さん自身に備わっているんです。

結果のあらわれに振り回され混乱するあなた方であってはなりません。
あなた方ひとりひとりが本質を観ることができさえすれば、
なんてこの宇宙は、我が創造し、我が建設し、我が生かしているものではないか、
皆さんは必ずやいつかは体験します。

この上江洲という伝導体を使い、内在の神が顕現させているその能力が、あなた方にはない、と言いましょうか。
この者はあなた方よりも一段とて高き者ではないんです。全く本質にして一体なる者であって、何が違いましょうか。
神に素直であっただけ。
素直であるがゆえに、この者を使ったんです。
あなた方も本質に素直に向き合えば、今日のこの瞬間から皆さんは良き媒体として、良きツールとして、神は顕現させてくれるんです。

あなた方の幾転生という人生を、喜びの時も、悲しき時も、誰がここまであなた方を導いてきたんだろう。
あなた方ひとりひとりに内在する命なる私が皆さんをここまで導いてきたことを皆さんはもう忘れたんでしょうか。
記憶にさえもないんだろうか。よく目を見開いて、真実の己の姿を観てほしい。
真実の己の姿を観た時に、私を知ることができるだろう。
何が違いましょうか。表現の方法以外に何も違うものは誰もありません。

「天地一体にしてあなた方も我なり」といえます。
ひとりひとりが今の今、神(真)我一体そのものであること。
明日に神(真)我一体ではないです。
この一瞬この瞬間なんです。
皆さんが創造できるこの瞬間こそが実在というんです。

実在に生きるとは、私に生きることなんです。
私が「私」と説いているのは、無限に遍満する一元なる本質を「私」と説いているんです。
私があなたではないでしょうか。
私があなた方ではないでしょうか。
誰を何者とみているのだろう。
私ほかにこの宇宙どこを探しても実在したものはいないんです。肉体という現象我の側面から「私」というものを皆さん克服してみてください。
「我、肉体あらず、我、命なり」という境地で。
なんて一(いつ)なる多身である愛おしい私のみがここに実在していることを知ります。
己がその境地に至っていればこそ、すべてのすべてあってあるものが美しき私と観ることができるんです。
それ以上それ以下、何が実在といいましょうか。

変化しいくもの、カタチを変えていくものに実在なんて一点もないことを知ってもらいたい。
肉体が真の私なんだろうか。
肉体が真のあなた方なんだろうか。
一転生、人生行路を旅するための一時(いっとき)の乗船なんです。
上江洲というこの肉体伝導体を使って、今日わが子たちの前に立たしていることを皆さんは知ってもらいたい。

誰がこの者を使っているんだろう。
真実のあなたなんです。
真実のあなた方がこの伝導体である上江洲を使っているんです。
その意味、理解できるでしょうか。
肉体という現象我の側面から説いているのではありません。
本質そのものを説いていることを知ってほしい。

私という本質が観ることができるならば、その本質があなたであり、あなた方であることを皆さん観ることができるではないでしょうか。

なぜあえて分離して、思い、考え、観ようとするんだろう。
私と分離なるものは一点一物この宇宙に存在しないことを知らねばなりません。
私は私以外に創造した試しはありません。
私が私ほかに創造したとするならば、私は不完全です。
その意味、理解できるでしょうか。

命は命として完全以外に創造することはできないんです。
ということは、まとっている衣装は違えど、その本質は命として完全そのものという意味を知ってほしいんです。

それをあなた方の兄弟姉妹であるイエス・キリストは、
「神が完全であるがごとく、我、完全なり」。
なぜならば、そのものを遺伝として受け継ぎしものを理解していたからなんです。
あなた方も、遺伝として受け継ぎしものが命であり本質であることが理解できるならば、今即ここで皆さんは宣言します。
断言して言い切れるでしょう。

神が完全であるがごとく、我、完全なり。
神が完全であるがごとく、すべては完全であれ。

その本質から観ることができるならば、皆さんそう言い切ります。
なぜ言い切れないんだろう?
あたかも肉体が私。
本質から分離して、この結果なるあらわれを私・あなた とみるから、ここに間違いが生じるんです。

私を観てほしい。
この肉体の私を見て、と言っているんではないんです。
その上江洲を顕現至らしめている本質そのものを観てほしいと言っているんです。
動かぬ仏像が私ではありません。
すべてのすべてあってあるものをとおして生き働いている命こそが私なんです。

私なくして皆さんは目あって見ることができるでしょうか?
口あって一言も語れましょうか?
耳あって一声聞きましょうか?
手足あって指一本すら動かすことができるでしょうか?   

精子と卵子の結合において一個の細胞が分裂、増殖を繰り返しながら、約10ヶ月10日でこの肉体という表現体はつくられたでしょう。
あなた方のこの伝導体に、私・命が宿ったればこそ、皆さんは生きる者として今ここに存在しているんです。

肉体は存在です。
私は実在です。
存在は変わりゆくことを知らねばなりません。
実在は、不死・不滅、永遠であることを知ってもらいたい。

存在するこの肉体物質が、真のあなた・あなた方 ではありません。
不死・不滅、永遠の命こそを、真理こそを、本質こそを、「私」と今日からははっきり皆さんは言えるひとりひとりであってほしい。
ひとりひとりが、すべてが、我(わ)が創造し生かしたるものは、すべてわが子なんです。
愛おしいわが子たちなんです。

なぜ愛おしいわが子たち同士で、あえて分離して戦い、殺し合うんだろう?
殺し合いは創造してないんです。
共存・共栄・共生を皆さんに与えたんです。わが子たちに備えたんです。

感情という道具に振り回されてはなりません。
良き道具として皆さんは使い活かして、兄弟姉妹のために、すべての平和のために、そのために使える道具として皆さんは自在に顕現してほしい。

肉体物質を否定してはなりません。粗末にしてはなりません。
それがあればこそ、私はそれをとおして顕現することができるんです。
なぜならば本来の私は、無形・無双・無色・無臭・無音なる無限にして実在であっても、皆さんの肉の目に見ることができるでしょうか。
だから私はさまざまな道具をここに建設し、自らの命をおいて顕現するんです。

良き顕現のできる媒体となってほしい。伝導体となってほしい。
一瞬一瞬 愛 生きる者を、これを「愛の伝燃」というではないでしょうか。
愛の伝燃なくして世界に平和なんてないんです。
私があなた方のこの器を創造した目的は、愛の伝燃体であってほしいためなんです。
一点一物分離することなく、共存・共栄・共生してすべてと分かち合ってほしい。
そのために創造したんです。
都合良い、都合悪いで、分離させるために創造し生かしたんではないんです。


2021年は私の力はもっと強烈に働いていくことでしょう。
それに皆さんは順応できる皆さんであってほしい。
順応させるために手伝ってくれているのがヒーリングであり、それはLさんであり、M子さんであり、Aさんであり、Hさんであり、Mさん……その役割背負って顕現した者です。
で、H子さんは明想という手段・方法で、その強きバイブレーションにあなた方を順応させるために、その明想という手段でまた導きます。MさんにはまたMさんの役割として。
じゃあ、あなた方ひとりひとりには、すべて誰も真似できることのないその特質を与え生かされていることを知ってほしい。
誰が特別もありません。誰が良い役を演ずるもありません。
ひとりひとりが自らの場所で、それを演じ生きることができるならば、すべては完成に至ることができるんです。

あの人の役割が良い。で、自分の役割が気に入らない……そのためにあなた方を創造し生かしているんではないんです。
ともに手を携えて、与えられた特質を引き出して磨き上げ、ともに愛を重ね合い、智慧を使い合い、力を顕現させるための目的として創造、生かされているんです。


2021年良き日を迎えて、この瞬間妨げる偽我を即、皆さんは切り替えてほしい。
なんて切り替えの下手なこと。
一回の瞬きでどんな問題をも切り替えていけるあなた方であってほしい。
なぜAという人間にやれるものが、なぜBがやれないのか?
できぬはずはないんです。
なぜAはどんな荒波をももろともせず、笑い、喜び、ほほえんで乗り越えることができるのに、なぜBにそれができないんだろう?
自らその能力を否定しているんです。
神が命として完全であれば、あなた方もそれそのものを遺伝として受けて完全そのものなんです。無限そのものなんです。
無限のなかにこなしえぬ問題があるというならば、それは無限ではないんです。
何ゆえに無限といいましょう。
皆さんは妨げるものがないゆえに無限というんです。

創造された被造物の下におかれてはなりません。
常に創造された被造物の上に君臨するあなた方であってほしい。
常に「我、命なり」と玉座に皆さんはでんと構えて座ってほしい。
ならば、問題のほうが光を恐れて、愛、あるいは皆さんの無限力を恐れて退いていくことでしょう。
どんな問題にも立ち向かっていける勇者になってもらいたい。

この上江洲も言われたことがあるんです。
勇者よ、目覚めよ。
勇者よ、立ち上がれ。
何年その者のハートを叩いたものか。
何年もこの者の心の扉を叩いたものか。
やっと気づいてくれたんです。
このように私もあなた方の心の扉を、あるいはハートを常に叩き続けていることを、皆さんはそのノックを聞くことはできないんだろうか?

目覚めよ、勇者たちよ。
立ち上がれ、愛の勇者たちよ。

無限力を無限という本質から遺伝、受け継いだあなた方に常に常にささやきかけているんです。

なぜ私の声が聞こえないんだろう?
あまりにもこの現象という結果に振り回されすぎる。
結果があなた方を振り回す力はないんです。
あなた方自身がそれに力を与えて、あたかもあるがごとく皆さんはそれを錯覚しているんです。
今日の今日、その錯覚を全部ここに投げおろしてほしい。
投げおろしたならば、私の胸に飛び込んできてほしい。
無限の愛の翼を広げあなた方が飛び込んでくることを待っています。
なぜ無限の黄金の翼を広げあなた方を抱きしめる準備はできているにもかかわらず、なぜ飛び込もうとしないんだろう?
それはいまだかって体験したことのない 想像を絶するその境地に至らんとするゆえに、皆さんはそれを拒むんです。

「すべてをあなたに委ねます」というその思いを。
それは、神である私です。
命なる私です。
本質なる私です。

そこに委ねずして誰に委ねましょうか。
肉体なのか? 心なのか? 感情・五感・理性なのか?
そこに委ねたって能力はあらわれません。
すべてのすべてを本質である私に委ねてほしい。
今、この上江洲という伝導体をとおして、全知全能なる内在の神がこの口をとおして語られていることを知ってほしい。
これ、真実のオーバーシャドーといいます。真実の神懸(が)かりといいます。
それはあなた方も同じです。
この者が特別に選ばれし者ではないゆえに、あなた方と同じ位置に立つ者であることを示さんがために、あるいは皆さんと距離おかさぬために、常に皆さんの身近にその者を置いているんです。

何が変わりましょう
一つの命、一つの媒体。
一命一体ほかに何ものもないんです。

命にいくつありましょう。
わが命はあなた方の命なんです。
すべての命なんです。
我、命なり。あなた方も命なり。
我の命、あなた方の命は、全体の命。
その全体の命こそが、あなた・あなた方なんです。
で、この上江洲を使う私なんです。
どこに分離が、どこに区切りが、どこに差別がありましょう。
人類は一つ。すべてのすべてを、どこで生まれ、どこで育ったにしても、それを生かしているのは一(いつ)なる私しかいないんです。

人類は一つ、宗教は一つ、社会は一つ、世界は一つ、宇宙は一つ、無限なる大いなる一元という本質しか実在しないんです。
どこを探し求めても、実在なるものは一つしか見出せません。
それは、不死・不滅、永遠の実在としてあなたの本質なんです。あなた方の本質なんです。
どこに違いがありましょう。
不死・不滅、永遠のあなた・あなた方。

何を恐れましょうか?
何に恐怖しましょうか?
それは、あたかも表現体としてのこの肉を我という錯覚がそうさせるんです。
錯覚から覚めよ、幻覚から覚めよ、夢から覚めよ。
いついつまでもこの道具に使われ混乱の人生を終えてはなりません。

今即、命です。
で、未来永劫にそのものなんです。
皆さん、過去にサルだったんだろうか? 過去に皆さん何だったんだろうか?
過去において、今において、未来永劫に無限にして唯一の命なんです。
あなた方のこの肉体伝導体だって、サルから進化させたものではないんです。
はじめから全知全能なる能力を遺伝として受け、ここに生かしたるあなた方ひとりひとりなんです。

何を遺伝したといえましょう。
精神的な病いなのか、肉体的な病いなのか、悩み、苦しみなのか。
そのようなものは何の遺伝でもないんです。観念・概念で描いた影・幻・幻影にしか過ぎないんです。
世界はすべて変えられていくでしょう。今までの常識は。
常識とは一つしかないんです。
常識は、「常ある意識」と書くんです。
それは神性意識ではないでしょうか。
神性意識のみが実在なんです。
他に常識なんてないんです。
だから世の中は狂うんです。
間違った常識は正され、観念・概念で描いたその神・仏、間違いすべて正されて、皆さんは真実の歴史を知るでしょう。


サルが進化してあなた方といいましょうか。
最初から無限力を与え、幾転生も幾転生も皆さんは生かしてきたのは、誰なんだろう。

神である私です。命なる私です。
だから「私でありなさい」「私を生きよ」と、この上江洲にそれを説いてそこに導いたんです。この伝導体を使って皆さんも多くの兄弟姉妹にそう説いてほしい。
簡単なことではないでしょうか。

「私でありなさい」。
私とは命です。私とは真理です。私とは本質です。
ということは「命でありなさい」。
で「私を生きよ」とは「命を生きよ」なんです。
「肉体でありなさい」「肉体を生きよ」とは説いていないんです。
命であって命を生きるんです。

愛ほかに、命ほかに、何が観えましょう。
何を観じえましょう。
愛ほかに、命ほかに、何かが見える、何かが感じられる、だから錯覚に陥っていくんです。

あなた方の目を向けるすべては神のあらわれほかに皆さん観ていないんです。
愛の化身であるすべて以外に観ていなんです。

本質とカタチを分離させてはなりません。
本質とこの花を分離させると単なるカタチなるいつか枯れて散りゆく花しか観えないんです。
しかし一体なりで観るならば、今すぐ命の輝きを観るんです。
たとえカタチなる花々は枯れて散っても、そこに永遠の命が無限にしてそこに実在していることを観ることができるんです。

難しいことなんだろうか? 
何を難しいというんだろう?
難しくしているのは皆さんの分離感なんです。一体であるならばそれが今、即感じられるはず。
今、即それを観ることができるはず。

「我、命なり。すべては命なり」の境地に至ってみてください。
我、命なり、あなた方も命なり。我の命、あなた方の命はすべて全体の命なんです。
その命は無限にして一元なる本質なんです。
本質がいくつも三つもそこに存在しているんではないんです。
だから常識、常ある意識は一つしかないんです。

神性意識、神意識です。
人間意識なんてないんです。肉意識なんてないんです。個人意識なんてないんです。表面意識なんてないんです。顕在意識なんてないんです。
意識は唯一ひとつ。
我、神なり。すべては神なり。神性意識です。
それ以上、皆さんはどこで何を探せましょうか。
それはあなた方の意識が分散しているがゆえに、あれもある、これもある。
神性意識であってみてください。
皆さんの目に赤いフィルターをかけてこの現象世界を眺めみてみてください。
赤いフィルターを通して青に見える人間なんていないです。
赤のフィルターを通せばすべては赤色に見えるんです。
じゃあ皆さん、愛眼をもってみてみてください。
すべては美しき愛ほかに実在しなかったことを知ります。
すべては素晴らしき愛ほかに実在しないことを知ります。

果たして2021年、どれほどの方々が愛に己を留めおくことができるんだろうか。
愛ほかに何も観えません。愛ほかに何も知りません。愛ほかに何も観じません。
ならば私とともに食卓に着くだろう。
これがすべての答えなんです。四十何年もかけて皆さんをここまで導いた答えはその一点しかないんです。
まあ、皆さんが愛で語りたいならば「すべては愛なり」。命という言葉をもってして兄弟姉妹を導きたいならば「すべては命なり」。本質ならば「すべては本質なり」。何の変わりもないんです。

だから今の宗教で教え説いているように、宗教という名の違いで本質は変わらないんです。どう説いたって本質は永遠に変わらないんです。
太陽がどの位置から見ても太陽であるように、違った側面から見て太陽は月にはならないんです。太陽は常に太陽なんです。

じゃあ本質は誰がどういう言葉でどう説いたって本質は永遠に変わらないんです。
それを過去にあるもの、今にあるもの、未来永劫にあるものというんです。
そのあるものは実在、一つしかないんです。

皆さん、どこを探して何をもってくることができましょうか。
もし皆さんが本質以外に何かを探し、もってこれるというならば、その本質は不完全です。本質は本質以外に何ものもつくっていないからなんです。
なんてそれを皆さんに理解させることの難しさ。
として、その上江洲はいつも言われるんです。
「昨日も同じこと、今日も同じこと、明日も同じこと、もう飽きた……」
本当に私を受け入れているんだろうか。本当に私を観ているんだろうか。本当に私を知っているんだろうか。そういう者こそ、そう言うんです。

私が観えているならば、そう同じことを皆さんの前に説くことはないんです。
なんてこの媒体は、非難されようが、否定されようが、耐えて立っているんだろう。
まさに岩の上に立つ真理のように、どんな嵐にもくじけることなく……嵐とは台風とは、この世の中で荒れ狂うその非難・批判です。
あるいは悪態をつかれても、常に喜びほほえんで、そこに常に立ち、いつもと変わらぬ愛を常に説いてきたではないでしょうか。この肉体ほど全世界の人間から非難・批判を受けた者はいないですよ。
しかしこの者を守っているのは私、不死・不滅、永遠の絶対なる愛であるがゆえに、この者は平気で立つんです。それを知っているんです。
あなた方もあなた方を守っているのは、永遠・不滅の私であることをあなた方が理解できるならば、どんな嵐にも耐えて立っているでしょう。
どんな悪態にも、どんな裁きにも、どんな批判・非難にも、どんな迫害を受けても、笑い、ほほえみ、喜んで皆さんは愛を常に美しいその音色にのせて、皆さんは全世界・宇宙へ放っているでしょう。

あなた方のこの肉体伝導体は弦楽器から美しい音色が放たれるように、私があなた方のこの衣装を創造した目的は、全世界・全宇宙へ、智慧の音色、力の音色、愛の音色を輝かし、で、響かすためにこの地球という環境に出したということを皆さんは知ってほしい。

あなた方の偽我の意志であなた方はここに生まれ出てきたと思いましょうか。あなた方の兄弟姉妹の媒体を使ってこう説いているんです。

スズメ一羽だって偶然ではない。
スズメ一羽だって神の御心とおさずにしてこの地に落ちることはないと説いているんです。

美しき、良き媒体として、兄弟姉妹を愛させるために、喜びに導いてほしいために、ひとりひとりをここに命を与えて招いたことを知ってもらいたい。
招かれし者は多いけど、選ばれし者のなんて少ないことか。
なぜ選ばれないんだろう。

不平・不満ですよ。愚痴ですよ。いちばんの妨げは分離感です。
戦争は誰が生み出すんだろう。
分離感が生み出しているんです。
あの者ゆるせない、嫌い、憎い。うらみ、怒り、嫉妬は、生み出す親は分離感なんです。
今日のこの瞬間、分離感を皆さんは解き放ってほしい。肉体を我と錯覚でなければそれは解き放つことができるんです。

本質は一にして多身である己・あなた方を皆さんが理解することです。
一にして多身のあらわれはもとは一体なんです、一つなんです、一元なんです。誰が誰と分離することができましょうか。憎んできた相手も己なんです。嫌った相手は自分だったんです。神だったんです。
なぜならばすべては神の化身。神そのものがすべてを創造しすべてを生かしているならば、すべては神の化身。憎んだ相手は神なんです。嫌った相手は神なんです。嫉妬を向けた相手は神だったんです。
誰に向けましょうか。
自分自身だったんです。神として己だったんです。
早くそれに気づき目覚めてほしい。

ならばこの世は変わります。
まず世界を変える一歩はあなた方から歩んでほしい。そのためには絶対にその分離というものを皆さんは克服しいかねばなりません。
分離でどうしてその祈りが……届くはずがない。分離が妨げているがゆえに届かないです。
人間意識・肉体意識・個人意識という分離ではありません。
無限意識・普遍意識・宇宙意識です。
神性意識・霊性意識・仏性意識です。

ぜひ2021年、本質は一日だって、一瞬だって、皆さんに悪き日を与えたことはありません。常に聖日、愛としての日なんです。良き日なんです。
それを踊っている表現する愚か者が、すべて悪いものを観念・概念で描いて、それは仏滅だ、あるいは何の日だ……すべて妨げ、自らの悪いクセ・悪習、あるいは思いグセで。一つだって一点だって悪習・思いグセを残してはなりません。完全そのものに皆さんは融合してもらいたい。


2020年もこの上江洲という伝導体をわが子の前に立たせた私を皆さんは理解してほしい。
また2021年もこの媒体をとおしてわが子たちに伝えいくことでしょう。
ともに手を取り合って、真実の平和建設のために皆さんは努力し合ってほしい。
本当に素晴らしいわが子たちの愛、喜ぶ姿を観じみたい。
今日の良き日を迎えることができたことを心から感謝します。
ありがとうございました。
Sちゃん、ありがとうございました。
またわが子の成長のためにヒーリングを手伝ってくださったひとりひとりに感謝します。


しかし皆さんひとりひとりが美しき良き伝導体として、この琉球・沖縄から愛の波動を放たなければ全世界は変わりません。本当に今日の良き日を皆さんひとりひとりがこのように参加してくださったことに心から感謝します。ありがとうございました。
良き2021年を祝えるあなた方でありますように 心からお祈りします。
ありがとうございました。


2021年1月1日 沖縄・那覇において



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