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一人愛せないものは全体を愛せない者。全体を愛せない者は一人をも愛せない者。


神は幼稚園生から大人まで、誰にでも完璧な理解のできる方法で教え説いてくれますよ。

「すべてを愛する」ということを私はこういうふうに教えられました。

本来はもう本質に目覚めている者からすれば、無限の喜び、無限の至福、たったそれしかないですよね。“地獄”なんて“天国”なんてないこと知ります。
しかし皆さんに教えを説くためですよ。

Lさんをたとえます。
こういう勾配の坂があります。で、そこに地獄の穴が開いています。
今日参加している一人一人が、金や銀や宝物を平等に与えられたとします。
10個ずつ平等に。

で、執着するものは一人一人みんな違うと思うんですよ。
たとえば金・銀、ダイヤ、宝石・・・みんな違いますよね。それもすべて。
私は生まれながらに、この世に欲しいものは何一つなかったんです。
我々は今日は何を食べて生きようかという、本当に食べるものもないほどのどん底の生活をしていました。しかし隣でどんな美味しいものを食べている者がいても、「あれが欲しい」「これを食べてみたい」・・・生まれてまだ一度もそういう体験はないです。

もし私が小さい時から欲しいものがあるとするならば、皆さんの幸せだったんです。
世界の平和だったんです。
それだけが欲しかったんです。

金や富や、あるいは権力や、そういうものに欲しいものは一つもありませんでした。この世を眺めたって、すべて取るに足らないもの。執着に値するものなんて一物もない。
ただ私が欲しいというならば、皆さんの幸せだったんです・・・幸せ。皆さんの喜び。

まあ、この世の宝なんて、そういうものを思ったことも、持ったこともないからわかりませんけど、皆さん、いちばんのこの世の宝は、金ですか? ダイヤですか? 宝石ですか? 何ですか? 私は知らないんです。
そのように欲するもののない私にも、たとえば金・銀、ダイヤ、宝石・・・平等に10個ずつその宝が与えられているとします。

そして、たとえば私は非常に金(きん)に執着した者とします。
私は金を渡されて、(坂道に)金の玉を転がしているんですね。

「ああ、私の宝物、金!」
もうそれを掴むために追いかけているんですよ、金を。もう私にとっては宝物ですから。
その金の玉が地獄の穴に落ちました。
私はそれを掴むために追いかけて、私も地獄に落ちました。
私は1個目でその金の宝を追いかけて地獄に落ちました。

しかし、Lさんは金に執着がないから、転がっても追いかけないんです。
銀を落としたって追いかけない。金・銀・銅。ダイヤ、宝石・・・絶対に追いかけないんです。
9個目までは完璧に超越できていますよ。
しかしLさんが、いちばん最後に追いかけたのは何だと思います?
女性なんです。

いちばん美人の綺麗な女性が転がった。そして女性が地獄の穴に落ちたがゆえに、Lさんも追いかけて地獄の穴に落ちました。
わかりやすいでしょ? 完璧に。

で、Lさんは私を笑いましたよ。

「ははは! あなたは1個目で地獄の穴に落ちましたよ」
「私は女性という10個目で落ちたんですよ」


神は何を教え説いたと思いますか? 我々に。

1個目で落ちても、10個目で落ちても、落ちたことには変わりはない。

ということは、皆さんに10名の友がいれば、9名は完璧に愛することができる。
しかし、最後の一人を愛せないというならば、何の価値もないということですよ。

一人愛せないものは全体を愛せない者。
全体を愛せない者は一人をも愛せない者。

なぜならば、愛せないその一人は、全体の一人なんですよ。
全体の一部なんですよ。

もっとわかりやすく。
子どもたちが100のコマでパズルを組み立てたい。100ですよ。
これ100ピースと言うんですか?
100のコマで組み立てたい。で、子どもたちは99コマを完璧に組み立てることができた。

置く場所も違います。カタチも違います。色も違います。99のコマを完璧に当て嵌めて・・・ただ一コマ、一個だけ、カタチが気に入らない。色が気に入らない。置く場所が嫌。
だからこの一コマを捨てよう。

じゃあそのパズルは完成しますか?
絶対に完成はないですよ、永遠に。なぜ完成しないんですか?
嫌いな一つは、捨てた一コマは、全体の一部ゆえに、全体の一部を捨てたがゆえに、完成がないんですよ。

じゃあ、皆さんはどうなのか?
今生、完成したいと言うならば全体愛・・・すべてを愛し生きることです。
あの人は嫌、あの人は嫌い、あの人は憎い、あの人はゆるせない。
そういう状態でどんな宗教を学んでも、どんな最高の本を読んでも、完成は不可能です。
完成したいならば全体を我として生きることです。

我はすべてであり、すべて我なり。
我は全体であり、全体は我なり。

私が皆さんを女性・男性という、ただ肉体というカタチから見ていると思いますか?

「私であるあなた方」「あなた方である私」を見ているんですよ・・・あなた方に。

命は無限にして一つであって、女性の命、男性の命、中国人の命、日本人の命なんてないですよ。すべてはたった無限の命の中に生かされ、たった一つの無限の命がすべてを生かしているならば、一命一体・自他一体・全一体ではないだろうか。

それを理解できずして幸せがあると思いますか?
それを理解できずして世界に平和があると思いますか?

無学の私が断言して言い切りますよ。
分離・差別で生きていながら、あの人ゆるせない、憎い、嫌いという分離・差別で生きながら、世界に平和・・・不可能。断言して言い切ります。
不可能です。

縦横に織りなす糸は美しい布となります。
縦横に織りなす愛はすべてを幸せに、すべてを平和にしますよ。

愛はすべてをいたわり、思いやり・・・
本質から放たれる真実の思い、真実の言葉、真実の表現で生きることを“愛”といいます。

今日のこの学びの場は『おひさまの会』。このおひさま、太陽というのは、太陽の神、太陽神と象徴づけられます…太陽神。
なぜ、太陽は太陽の神、太陽神と表現されているか? 

あなた方が、「今日は太陽が照りつけて暑い!」「厳しい」
あなた方に非難されようが、太陽の光エネルギー、熱エネルギーは燦然と皆さんを輝かします。神から与えられたそのままにして、無所得・無条件で、太陽は皆さんに光エネルギー、熱エネルギー、必要なすべてを与えています。

だから、太陽は無条件に、あなた方が、憎もうが怒ろうが非難しようが、常に無所得・無条件に皆さんに光を与え、熱を与え・・・ゆえに太陽は太陽神、太陽は神と象徴づけられています。

じゃあ、その『おひさまの会』で学ぶ一人一人であるならば、
我々も都合が良いから、都合が悪いからではなく、
無所得・無条件に平等に平等に、すべてに光を、すべてに愛を、すべてにいたわり、思いやりを。そのバイブレーション・波動を放ちえるあなた方になってほしい。

今日、皆さんと学べたことに感謝します。ありがとうございました。

我々は世界へ平和という道を完成させていきたいと思います。

2024年7月10日 光話『人生の最高目的』より


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