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空の境地、無の境地

質疑応答より
仏教の考え方が好きなんですが、明想するときに無(む)とか、空(くう) みたいなことを意識するのはどうなんでしょうか?
 

仏教とかでよく「無(む)になりなさい」「空(くう)になり なさい」って教えをしますよね。
あなたが「無という意味、空という意味」を知らなければ、絶対に肉体をもっているかぎり、明想したって、内観したって、ヨーガをしたって到達しません。

もし何もないことの「空」を教えているなら、言われているならね、
心には一点の曇り、汚れ、ひずみ、ゆがみがない、で、分離感・差別が、 うらみ、怒り、嫉妬、心配、不安、恐怖、すべての執着を解き放っていることならば、まだ素晴らしい。

「空になりなさい、無になりなさい」。 心から訓練すれば、努力すれば、すべてうらみ、怒り、嫉妬も、執着も 閉め出すことはできますよ。

しかし、本当の空、本当の無というなら、そこまでなしえません。

これが宇宙だとし(円を描いて)、あなたがいて、絶対に心からうらみ、怒り、嫉妬、分離感とか執着は閉め出すことはできても、絶対に本当の空、本当の無にはなれません。

なぜならば、あなたの心から何を閉め出したって、あなたそのものには「無限の本質」が満ち満ちているんです。

この宇宙、針先一点そこに、空間があいていることが絶対にありえないんです。

そうでなければ、無限でもなければ一元でもない、完全でもなくなるんです。

ここで「無」「空」というのは、心から一点の汚れ曇りもなく、分離・差別、執着もなく、すべてを閉め出したなかに、あなた自身が無限の本質で我を満たしていること。

どんなに、自分をどうしたって、皆さんは無限の完全意識という神性意識というのは実在しますから、 これを絶対に閉め出すこと、絶対に不可能ですよ、そうでしょう? 
絶対なくせません。

それは「無限の本質を我として感じている状態」が、
この「無」であり、 「空」なんです。

今は、高度な技術が進んで、今のテレビのあらわれだけど、我々が小さかった頃、南米に行く当時は、「真空管」という器具を用いてテレビが映されていたんですね。 真空管っていう部品を使っていたんです。
真空といって、「もうこの管の中は、空ですよ」と言われていましたけどね。
絶対に空にはなれないんです。

ここにどんなに空気というものは引き抜いたりしても、無限の生命で、無限の本質で満ち満ちていますよ。

だから、絶対空っぽにはなしえないんです。

もし、この我々のいるこの会場の中に、絶対すべてを引き出して空にさせることができる、というなら嘘つきです。
無限の本質が満ち満ちているなかに、空というのは絶対にありえないんです。

だから、この空、この無というのは無限の本質で満ち満ちている、無限の本質で満ちているものが空、無なんです。空、無の境地。
どんなにあなたが心から分離感、うらみ、怒り、嫉妬、すべての執着を、すべてのすべてを閉め出したにしても、あなたの細胞一点一点、もう想像もできぬ状態で無限の本質で満ち満ちています。

これが空、無の境地です。

我、空なり。
無限の境地。

我、無なり。
無限の境地です。

2017年2月9日  和のつどい「質疑応答」より



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