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くもりなきこころに美しい姿

たとえば昨日のセミナーは、その会場が狭くなって、大きな会場に昨日移してくれました。もう今までの会場とは違う何倍も広いところ。
主催者の方から、「しかしその会場はかなり古いですよ」って聞かされていました。で、まわりの方々からは「相当ボロボロの会場ですよ」と聞かされていました。
しかし昨日の朝、一歩、私がその会場に入ったとき、古い姿、あるいはボロボロの姿に全く見えないんですよ。カタチ・姿・形態を超えた実相からその本質を観ます。
非常に無限に黄金に輝いた姿でした。

はっきり思いました。
自分の心がボロボロであるかぎりは、ボロボロしか見えないんです。

くもりなきこころに美しい姿。

じゃあ私は今、皆さんに何を見ていると思いましょうか?
一人一人に美しき愛の姿を見ているんです。それが本来のあなた方の姿なんです。
なぜ美しい姿が見えないんですか?
汚れた鏡で、くもった鏡で美しいものを写し見ようたって不可能であることを知ってほしいんです。

古い古い会場と言われたって、ボロボロの会場と言われたって、己が輝いているかぎりは輝きしか観えないですよ、輝きしか感じないんですよ。

この世界は、己の写し鏡ですよ。すべて己の鏡次第ですよ・・・見るも感ずるも。
汚れた心の者に、くもった心の者に、「輝きを見よ」と言ったって不可能なことを、私は知っていますよ。不可能ですよ。
汚れた者は、汚れしか写し見ることはできないんです。
くもった者は、くもりしか写し見ることほかにできないんです。

相手を見るは、相手に己を写し見ているんですよ。
相手はすべてあなた方の“写し鏡”なんですよ。

「この人はダメです、ダメな人です」と言うならば、あなた方の、“ダメさ”を、その方に写し、己が見ているんですよ。

それが理解できるならば、
「誰を変えよう」ではなく「己が変わろう」なんですよ。
「己を変えよう」なんです。

これは、自分自身が体験を通して四十何年も説いてきました。
誰彼を変えようではなく……
私が誰を変えることができると思いますか?
己を変えられるのは、己しかいないんです。
私が誰を変えることができますか?

もし、愛を説いてくださったイエス・キリスト、慈悲を説いてくださったあのお釈迦様・仏陀がこの世界に出てきたとき、その偉大な方々が、誰かを変えることができるというならば、みんな変えられていますよ。みんな変わっていますよ。

(ホワイトボードに「無理」の文字)
「無理」って読みますよ、無理。
で、無理は「理が無い」と書きますよ。
誰彼を変えることができないにもかかわらず、
無理して変えよう、変えよう、変えようで、皆さんは苦しいんですよ。
無理して生きているがゆえに。
皆さんの苦しみは、すべて“無理”から発生しますよ。

あなた方が誰を変えることができるんですか?
己自身が「こう変わりたい」という自覚をもって己を変えていかぬかぎり、誰が誰を変えることができましょうか?
不可能ですよ。

だから「真理で真理を生きなさい」というんです。真理は、真(まこと)の理。
じゃあ、真理、真(まこと)の理とは?
真(まこと)の理とは、愛ですよ、愛。すべてを愛し生きること。
だから、真理生きるは、無限の至福のなかに。
で、無理して生きるは苦しいなかに。

簡単なことですよ。なぜ簡単なことができないんだろう?と思うんですよ。
己自身が己を変えていくことであって、我々が誰を変えることもできないことを知ってほしいんですよ。
己の思いで、あの者をこう変えてみたい、こう変わってほしい。
変えられるはずはないですよ。

誰を変えることができたんですか?
あなた方がもがいてもがいて、誰か変わったんですか?

可哀想な者よ、年がら年中苦しんでますよ。
誰彼をどうしようではない。誰彼を変えようではない。
己自身が変わり、輝きいることですよ。

(中略)

己が変われば すべてが変わる


もう私が怒りというならば、すぐここから、窓から友だちの首つかまえて下に投げ飛ばすほどの、投げ落とすほどの怒りでした。
そういう怒りでは大変なことということはわかります。
怒りで怒りを消せないことをとことん体験させられました。
どうもがいたってニセモノではニセモノは消せなかったんです。

これは、私にとってはこの明想という手段・方法しかない。
正しい明想でそれを解決する方法しかないって、私は明想、明想で、夜中の12時から明ける4時まで一日も欠かすことなく、あの真栄田岬で座り込みました。
台風の日も、天気の良い日も悪い日も・・・

もう明想、明想を努力しているうちに、あるときこういう体験をしています。
明想が深まったとき、サハスラーラ・チャクラから黄金の光が私の全身を貫きました。そのとき、一瞬にしてその怒りやネガティブなものが、すべて焼き尽くされている体験をしています。
そういう体験ができるとするならば、ゆっくりとあなた方は変わるんではないですよ。この瞬間、すべてが変わっていますよ。
だから、断言して言えるんです。
己が変わったとき、すべてが変わる、世界が変わる、宇宙が変わる
というのははっきりわかるんです、体験から。

だから、皆さんがニセモノでニセモノを消そうって、もがきあがいて苦しむよりも、本当の真実の明想を努力してみてください。こういう現象が起こりますよ。
すべてがそうだとは言いませんけど。

我々は、「己が変わりたい」「己を変えたい」という、その強い意志と、努力さえあれば、これはあらわれるということを示したんですよ、皆さんの前で。


2024年9月15日光話『くもりなきこころに美しい姿』より

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