飴玉
小さい頃、家に男の人の写真が飾ってあった。
派手な開襟シャツから覗く刺青、焼けた頬に薄いそばかす、写真の中のその人は優しい目をしてた。
その人は年に一度この時期になるとやって来た。
母親は朝から念入りに化粧をし、3人でファミレスに行き食事をする。
家に帰る途中、いつもポケットから湿った飴玉を取り出し「母ちゃん大事にしろよっ」と言って頭を撫ぜた。
大きな手の温もりが心地良かった。
次の日起きるともうその人は居なく、抜け殻のような母親の姿が何日も続いた。
ある年からその人は来なくなった。
写真が置かれてないのに気づいた辺りから、母親が別の男を連れ込むようになった。
次から次に来るニヤけた面の男達は俺を煙たがった。
そいつらと何をしてたのか理解する年になると、俺の怒りの矛先は母親に向かった。
刃のコントロールが出来ず、終い方も分からず、鋭利なそれは行き場を失い…….ただ彷徨う日々。
その日家に来た男は酒癖が悪く、母親はそっと俺を外に出した。
ドアの向こうは暗く、寒く、雨が降っていた。
片道切符を持たされたようで、迷子になったようで、暗黒色のアスファルトに吸い込まれそうになる。
フラッとコンビニに入る。
むしゃくしゃしてた。
母親に対しての、そして何も出来ない自分に対しての、歯痒さ、苛立ち、そして出来心………
目に入った赤い飴玉。
一つポケットに突っ込み、下を向きながら出口へ向かう。
「おい!君っ!!」
後ろから聞こえてくる声にポケットに入れてた手が汗ばむ。
同時にスッと前から出された大きな手。
「買うもん飴一個でいいのか?」
ほらっと催促されて、その人の掌にポケットから握りしめてた飴をそっと置いた。
コンビニの外でその人が出てくるのを待つ。
少し浮世離れしたような綺麗な男の人だった。
俺に気づくと徐ろに飴玉をポイっと投げ、買ったばかりの煙草を口の端に、じっと俺の目を覗き込む。
その人の薄茶の双眸に映し出される自分、そこに居るのはまだ曇りなき無垢な少年。
その人は徐ろに俺の頭の上にポンっと手を置き、まるで犬に合格点でもあげるような言いぶりで、「うーーん…..うんうん、ヨシヨシ」と呟く。
細めた目尻は柔らかくて、大丈夫だよと言われたようで、鼻の奥がツンと熱くなる。
カチッ
一瞬光に包まれてそれがライターの火だと気づく。
甘い煙が目に沁みて、俺は雨に濡れた目を擦る。
そんな俺の側でゆっくり紫煙を燻らせたその人は、「じゃーな」と傘もささずに、ヒラヒラと手を揺らしながら夜の闇に消えていった。
あの日、あの夜、あの小さな世界で、俺とあの人だけが濡れていた。
帰り道、飴玉を口に入れた。
懐かしい味に雨が混ざる。
ふとあの薄暗い部屋の小さな化粧台に置かれてた写真を想い出す。
「あの人も、少し色素薄かったっけ…...」
見えない星を見上げる。
頬に流れる熱いものを洗い流してくれよ……と願った夜。
冷たい雨の日の話。
「オイ杉本!ヤニッ!」
何かの縁か、大人になってまた行き着いた人。
いや……..多分探してた人。
おそらくあの日の事を覚えていないであろうこの人に、俺は今日も顎で使われる。
「吸い過ぎっすよ!飴でも舐めててください!」
「ハッ!飴? 俺が舐めれんのはチン…」
「ワーワーワーー!聞きたくないっす!」
いつものやり取りだ。
いや、今日は少し機嫌がいいみたいだ。
不意に少しイタズラっぽい顔を向けられ、次は何かと構える。
「あっそーそー、コレやるよ」
ポケットから宙を舞う赤い玉、慌てて両手でキャッチする。
「お前今日誕生日だろ」
「あ、飴玉……っすか?ってガキじゃないっすから….」
誕生日を覚えていてくれた照れ臭さから素直にお礼が言えない。
「お前、ガキん時それ欲しがってたよな」
ニヤッとして手を差し出す素振り、ハッとして握りしめてた手を開く。
そこにあった、あの日の飴玉。
込み上げてくる想いが視界をぼやけさせる。
覚えていてくれた…….
「…..うぅ…ありがどう…ございま…す」
「ハハっ、泣くほどか?」
あの日の雨を包み込むように、窓からは柔らかな秋の陽射しが差し込んでいた。
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