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セクシュアリティの葛藤

ずっと気になってる台詞があった。
1巻で矢代さんが百目鬼に言った「そういうの芽生える前に父親にやられたしなぁ あ、義理のな 開発されたはいいが高校上がる頃には相手してもらえなくなって…..」の所である。
性自認が確立していない小さい時に無理矢理犯される。多分痛いだけで何をされているのかさえも分からない。おまえは女だと認識を植え付けられて、そしてその行為は悪い事、母を裏切る行為だと呪いをかけられる。自分が男だと性認識が出来る年になると歪みが生じ始める。行為の意味を知り心が拒否し出す。でも体が快楽を覚えこまされててどうしようもなく疼くという矛盾を抱える。そしてかけられた呪いにがんじがらめにされて、結果「俺は全部受け入れて生きてきた」になる。これが影山が言った「自己完結でそれはガキの頃から備わった自己防衛」だと思うと胸が締め付けられる。

「相手してもらえなくなって」という台詞がずっと違和感だった。
まるで義父から捨てられたかのように聞こえ、「漂えど」の中でも義父が自分が“男”の躰になる事を嫌がってたとあるように、男になった自分を恨めしく思ってるようにも捉えられて。そのまま男の子(女)だったら義父も相手してくれただろうし、母とも側にいれたのではと考えていたとしたら…..
病院の屋上で七原が言った「もしガキが望まねえ形でんなことしてたんなら そうじゃねえもんもねじ曲げられてそうなるかもしんねえよな」のように、幼少期の経験からの性自認の歪みが、もし自分が女だったらうまくいったのにと、矢代さんの潜在意識のどこかに植え付けられてるとしたら…….クロエさんが言及されていたように、百目鬼に女として扱われたい(愛されたい)とどこかで思ってるかもしれない事が想像出来る。

今まで矢代さんの痛みが、ただ幼少期の経験からのものだと漠然と思ってたけど、もしかしたら性自認を無理矢理確定させられて捻じ曲げられた自分(女)と本来の自分(男)との葛藤、実はこれは自分探し(セクシュアリティ)の話だったりする?なんて思ってしまった。


もう一つ、クロエさんが書いた「自分が家畜だのモノローグ、自分が人間以下だったの気づきであったと捉えるなら、矢代さんはこれから自分を変える行動を取るかもしれない」、ここすごく共感します。

1巻の矢代邸お風呂場で、百目鬼が葵ちゃんからの「もっと自分を大事にして」の言葉に背中を押され初めて矢代さんに側において下さいと胸の内を言えたように、今度は矢代さんが言う時が来るのか…..
もしそうなった時に矢代さんの背中を押すのは?私的にはそれは影山であって欲しい。



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