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羽根のキセキ

「ええっ?マジで〜?」
「天使?何それ〜めっちゃロマンティックじゃん!」

 座って目線が隠れるほどの仕切りの向こうに、女子高生らしき3人組が雛鳥のように肩を寄せ合っている。
 ヒソヒソ話をしているつもりなのだろうが、その話し声は店内に流れる音楽より鮮明に聞こえてくる。

「でもね〜___を食べる事で願いが叶うらしくって〜」
「え〜、さすがにそれはグロいんですけど〜!あははっ」

 カスタネットのような小気味よい笑い声がボリュームを上げていく。



 鬼の形相をしてせわしなく動いていた店員の表情に疲れが見えだした逢魔時、
「ご注文、お決まりでしょうか?」
 店員が水のグラスを一つ男の前に置いた。
 男は怪訝な面持ちで店員を見上げると、そのグラスをおもむろにテーブルの反対側に置き直し、
「水もう一つ!」
 とぶっきらぼうに言い放つ。
 店員は一瞬戸惑いつつも、その男のガラの悪い風貌に顔を引き攣らせながら、「ハイすぐにお持ちします」と言い足早に立ち去った。

「ったく、これだから最近の若いのはよー……..ってカシラもそう思いません?」
 カシラと呼ばれた男は「まーね」と窓の外を眺めながら素っ気なく呟く。肌が白く色素が薄いせいなのか、どこか冷たい翳りを漂わせる浮世離れしたその風貌は儚く今にも消えてしまいそうだ。

「とりあえず、退院おめでとうございます。俺……..護れなくって….すみません」 
 男が精一杯の謝罪を込めて、テーブルに頭を擦り付けるようにして話しだす。そんな姿にカシラは目を細めながら、
「ったくよー。七原、どこに居たのお前?俺の盾になるっていつも言ってなかったっけ?」
 七原と呼んだ男に向けて戯けるように口を尖らせてみせる。

 そこに追加の水のグラスをトレイに乗せた先程の店員がやってきた。
「あー注文ね……..カシラはー、えっとコーヒーだけでいいんすよね。じゃあコーヒーひとつに、俺はトンカツ定食で」
 
 注文を終えると店員が訝しげな目でテーブルを一瞥し、首を捻りながら立ち去る。その様子にカシラはぷぷっと笑い、それから少しトーンを落とした声で「アイツは?」と聞いた。
「百目鬼っすか?アイツ馬鹿で勝手に指詰めやがっ…..あっもう少ししたらここに迎えにきますよ」
 カシラは「そっか」と小さく微笑む。その柔らかい横顔はまるで付き合いたての恋人を待っているようだ。



「七原さん、遅くなりました。今、店の外に車停めてます」
 丁度トンカツ定食を平らげたいいタイミングで百目鬼からの連絡がきた。
 七原が急いで席を立ち会計の列に並ぶ。
 前に並ぶバカップルのいちゃつきぶりを横目に、やけに時間がかかっている会計にイラつきながら待っていると、
「わりー、お前一人で帰ってくんね」
 カシラが何やら言いたげな眼差しでじっと七原の瞳の奥を見つめながら言ってきた。

 この人に付いていくと決めたあの日の親鳥のような温かな瞳、瞳…..瞳……..あれ?なんだ?なんかおかしい…..瞳に…吸い込まれていく……
 それはまるで底なし沼に堕ちたみたいに、カシラのその空洞のような瞳に引き摺り込まれ視界が捩れていく。

「次にお並びのお客様〜」
 店員の声に目の前でパチンッと何かが弾け、次の瞬間歪んだ世界が逆再生されて元の世界に呼び戻された。
 ハッとして後ろを振り向く。しかしそこにもうカシラの姿は無く、冷たい秋風に押されたドアが寂しそうに揺れていた。


      ※  ※  ※


「カシラ…….」
 店の外で待っていた百目鬼は、ドアから出てきたカシラの姿を見るなり悲哀に満ちた顔を歪ませながら近づいてくる。その瞳は深い海底に溺れゆく船の如く黒々と沈み、言葉なくしばし見つめあった二人は引き合う磁石のように静かに重なり合った。
 
「いやです、離しません、何処にも行かせません……あなたの側で、あなたの居る世界で生きていきたい…..」

 微動だに出来ないほどに抱きしめられたその腕から哀しみの振動が伝わってくる。そうか、やっぱりおまえには分かるのか。
 カシラはふっと悲しく笑い、百目鬼の包帯に巻かれた小指を触りながら、「痛いか?」と聞く。百目鬼はゆっくりと首を横に降る。

「お前まだ詰めた指持ってんの?見せてよ」
 持ってますと背後に停めていた車から、百目鬼がダッシュボードに入れっぱなしだった袋を取り出した。
 カシラは袋の中の包帯を丁寧に広げ、血がこびりついた小指を手にする。そして愛おしそうにそれにキスをすると、小指を口に含み、次の瞬間ゴクリとそれを飲み込んだ。

「百目鬼、おまえを連れていくよ。これでおまえは永遠に俺のモンだ。そして俺も永遠におまえのモンになる。おまえの中で生き続けるよ」

「俺も一緒にっ…」と吐き出しかけた言葉が喉の奥で詰まった刹那、空高く閃光が走り、稲妻に撃たれたような衝撃が百目鬼の身体を突き抜けた。
 すると小指に巻いてあった包帯がスルスルと抜け始め、それがカシラの背中に吸い込まれるように消えいき、ブワっと大きな白い羽に姿を変える。そしてその大きな羽はヒラヒラと円を描くように宙を舞うと、忽然と夜の闇に消えていった。

「待って」と踠くように天に伸ばした手が、付いてくるなと風に押し返され、空から舞ってきた一枚の羽根。それを握りしめた左手を見ると、切り落としたはずの小指が元通りの姿でそこにあった。

小指を舐める……あなたの温もりを舌に感じる。
小指を齧る….あなたの痛みが身体を突き抜ける。
小指を撫ぜる….あなたを、愛おしく愛おしく。

 腹の奥底で渦巻く悔恨の念が体中の血管を浮き出させ、声にならない呻きが大地を揺るがす。その悲しい獣の魂の叫びに天が揺れ、それに応えるように遠くで一筋の稲妻が光った。

 シトシトと落ちてきた涙雨が、大きな体躯を震わせ小さな子供のように泣く男を優しく包み込む。やがて全身から哀しみの湯気を吐き出した百目鬼は、赤子のような一点の曇りもない眸で天を仰ぎ、

「言ったはずです。あなたのいる世界が俺の…..」

 何かを自分に言い聞かせるように、まるで呪いでもかけるように低く呟くと、懐から刀を取り出し静かにその刃を腹の上から沈ませた。


     ※  ※  ※


「やっぱりカシラちょっとおかしかったよな….」
 胸騒ぎが収まらず後を追おうとした次の瞬間、ドアの向こうで青白い閃光が走る。七原は急いで店から飛び出した。

 そこで見た白い靄。それは次第に形を成し羽となり、天へ渦を巻くように舞い、やがて淡い光となり暗空に吸い込まれていった。

「これはなんだ….俺は今何を見た….天使?いやカシラ、あなたなのか……」

 さっきの女子高生達の話が脳裏をよぎる。

「その天使、思い残した愛のために地上に降りてくるって。そしてその愛する人の分身を食べたら想いが成就して天に還っていくみたい」

 誰かの悲鳴で我に返り、その騒がしい人だかりに一歩二歩と足を引き摺りながら近づいていく。そこで見たのは薔薇を敷き詰めたような真っ赤な海の中に横たわる男。

 男が手に握りしめていた一枚の羽根が「またな」と囁き、ふわりと小指を抱きしめた。


     ※ ※ ※ 10年後 ※ ※ ※


「ただいまー」
 秋休み明けの小学校から帰ってきた少年を待ち受けてたのは、裏返しのままのシャッツを羽織り、「鍵っ….えっと車の鍵はっ….」と何やら慌てふためいている父親の姿だった。
 
 父親は少年を見るなり、
「い、今から病院行くからっ!お前も早くっ!」
 玄関に上がろうとしていた少年は回れ右させられ、強引に手を引かれ車に乗せられる。

「産まれたの?」
 病院への道すがら小さな声で問う。すると信号で停まった父親は体を向き直し神妙な面持ちで、
「また変な気遣いすんなよ。お前は俺たちの子供で生まれてくる子はお前の兄弟だ。例え血が繋がってなくても、なっ」
 少し色素が薄い少年の双眼を心配そうに覗き込む。
 
「分かってるよ」少年は小さく頷く。
 10年前少年を引き取ってくれた両親は十分な愛を注いでくれた。生後間もない赤子は一枚の白い羽根を握りしめて、孤児院の玄関先に捨てられていたらしい。長い間子宝に恵まれなかった両親は、天使が舞い降りてきたと言って泣いて喜んだそうだ。

「俺は幸せなんだ」少年は小さく呟く。
 でも…..なんだろう。たまに無性に不安になるんだ。何か大事なことを忘れてる気がして……

 病院に着くと看護師さんが「元気な男の子ですよ」と言いながら病室に案内してくれた。
 病室に入ると母親が少年たちに気付き、腕の中を覗き込みながら話しかける。
「ほらっお兄ちゃん達来たわよ〜。お兄ちゃんったらあなたの名前決めたいってうるさかったんだから〜」
 柔らかな夕陽の中で幸せそうにクスクスと笑っている。

 母親の腕の中で何かが輝いている。
 少年は瞬きすら忘れ、その光に誘われるように一歩一歩と近づく。光は徐々に人の形相を成し、少年の眸をじっと見つめてくる。
 つい先程この世に降り立ったその赤子の、凪いだ湖畔のような蒼い透明な瞳の奥で、チカっと目覚めのような閃光が走り、それはまるで息を吹き返したように色付き出す。

 その小さな命を感じたくて、ゆっくりと手を近づける。するとその小さな手が少年の小指をギュッと掴んできた。小指に伝わる力に胸が締め付けられるような懐かしさを覚え、込み上げてくる温かい何かが雫となり頬を濡らす。
 少年はその力強い小さな手を愛おしく握り返しながら呟いた。

「ちから……お前の名前は力だ」

「やっと帰って来れました。あなたの元に」

 窓から招待を受けた優しい秋風と共に、どこからか小鳥の囀りが聴こえてきた。


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