【INTJ】社会に出るのは怖くないよって話

いろんなSNSで、やはり新年度が話題になっている。かくいう私も、新社会人への記事をいくつか書いた。そこで、とてつもなく気になることがある。

noteではそもそも新社会人向けの記事を読まないのでわからないが、Twitterでは「新社会人のみなさん諦めましょう」という趣旨のポストをよく見る。文言はさまざまだ。もちろん、今はTwitterと言わないことは知っているが、あえて使う。

私はどうもこれが気に食わない。
個人的に労働や社会をクソだと思うのは、その人の勝手だ。個人の趣味の問題だ。だから、何を言うつもりもない。お好きにどうぞ、だ。
だが、相手は新社会人だ。もしくは、来年度以降に社会人になる人たちだ。なぜ、わざわざネガティブな情報を伝える必要があるのか。

新社会人はこれから、実際に自分の目で会社や社会を見て、色んなことを見定めていく。自分の入った会社はどんなところか、今いる社会は自分に門を開いてくれるか、逆境に立った自分は何を考えどう行動するか。それを知っていく。

ネガティブなフィルターを真っ新な目にかける必要はないのだ。わざわざ言わなくたって、労働はクソだと、すぐに悟るのだから。それまでの間は夢を見させてあげたら良いではないか。
私自身は、社会人になってからの方が人生楽しいし、働くのも仕事も好きだ。だから、新社会人には、楽しみに社会に出てほしいのだ。クソ喰らえと思うことは、もちろんあるが。

私の知り合いに、新人に自分の嫌いな人の悪口を吹き込む人がいる。他人の目ではどう見えてるのか気にならないらしい。とてつもなく醜い。
新人はその人を知らないので判断材料が悪口だけになる。当然、その人を嫌いになる。そして、その人が孤立するのを見て喜んでいる。知ってる人から見れば、悪口を言ってる方が嫌われているのに、自分は人気者だと思っているのも痛い。
自分の嫌いな人と対峙する勇気も知性もない、卑怯者の見本市に出せるバカバカしさだ。

それと、どう違うのだろう。
新社会人に社会や労働や会社という組織のネガティブな情報だけを伝えるのは、どう違うのだろう。私には同じに見える。一対一の悪口なら、相手にしか伝わらないが、ネットは誰でも見れる。さらに悪いとさえ思う。
せめて大人なのだから、社会人になって良かったことの一つや二つ併記すればいいだろうに。若者が不幸になるのを期待しているように見える。

元々そのポストをした人にとっては、ちょっと笑いが取れたらいいな、というネタだったのかもしれない。だが、それに共感した大人が拡散することによって、新社会人に届いてしまうのだ。
別にネガティブなことを発言するなと言いたいのではない。好きに言えばいい。「新社会人へ」「新社会人のみなさんへ」という余計な一言を入れなければ。

SNSにいるのは、大人や若者だけではない。子どもだっている。
子どもたちが、社会人になるのは辛いこと、諦めるべきこと、と思いながら生きる社会は幸せな社会だろうか。そんな社会で、どんな夢を見ればいいのか。
両親はこんな辛い思いをしながら、我慢しながら、働いているのか、と実子に思われるのは惨めではないのか。私は子がいないのでわからないが。

今はただでさえ、自分と関わりのない世界とすぐに繋がれる。それによって世界が大きく広がるといういい面もあるが、知らなくていいことを知ってしまうこともある。
大人たちは、最近の若者は付き合いが悪いだの、ドライだの言うが、諦めなければ生きていけない社会で明るくウェットに生きていけるはずもない。我々大人が、若者をそうしたのだ。

今は、大人の方が若者よりネットリテラシーがないと言われる。私の高校生時代は、掲示板はあったがSNSはなかった。メールはあったがラインはなかった。何も知らない若者でいられた時代は幸せだったのかもしれない。

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