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【短編小説】 タイトルのない日々

あぁ。
これが 「人生に失敗した」ってやつか。

高木護は、そう思った。
54歳。人生の折り返しはとっくに過ぎている。
まともな職にありついていたら
今頃、持ち家で暮らしていただろう。
そうでなくとも、せめてある程度の貯金くらいはあったのではないか。
家族だっていたかもしれない。
しかし、高木には何もない。
そして、何も残せていないことに気付いて
呆然としながら、10年以上も無為に過ごしてしまった。

この10年は、貯金を取り崩していく10年だった。
貯金と、別の人生を歩む可能性を削っていく日々を過ごしてきた。

そして今あらためて呆然としている。
かつて身過ぎ世過ぎとしていた職に戻ることさえ難しくなっているのだ。
時の流れの無慈悲さをひしひしと感じている。
後戻りもできないし、前に進むこともできない。

どうしてこうなった。
銀行口座の残高を
ノートパソコンの画面で眺めて深くため息をついた。
高木は瞼を閉じると
眉間に寄った皺を伸ばすように、
頭を支えるように、指で押さえた。

高木は脚本家だったが
今では「自称」を付けた方がいい状態だ。

長らく脚本家としては赤字続きで
ネットのライター仕事で小銭を稼いでいた。
それでも生活費は足りず、この10年は
貯金を取り崩しながら暮らしていた。

脚本家らしい仕事をしたのは3年前が最後で
その作品も、いまだ映像化されていない。
高木にとってはよくあることだった。
映像化されてない作品が山ほどある。
なぜか、関わる作品がことごとく製作途中で頓挫してしまう。
製作費が原因のこともあるし、出演者が原因のこともある。
中には社会情勢の急変で、取り扱うテーマが時代に相応しくない
という理由でキャンセルされたこともある。
自分の書いた脚本の出来が悪かったのなら
もっと早い段階で諦めがついたのに。
高木はそう思いながら
映像化されなかった脚本をゴミ箱の中に移動させ続けた。

懸命に脚本家として仕事をしているのに
端から見たら、自分は脚本家ごっこしているようにしか見えないんだろうな
そう思う時もあった。
今では自分でもそう思う。

盛大に人生を棒に振ってしまった。

何もない、ならまだいい方で
クレジットカードのリボ払いの残高がどんどん積み上がっていく。
公共料金の支払いを小分けにしたら
少しは暮らしが楽になるかもしれない、
また脚本の仕事が入ってまとまった金が入ったら
その時に清算してしまえばいい。
――そう思っていたが、そんな仕事はいつまで経っても舞い込んで来ない。

読んでくれているかどうかも分からない企画書を作り
ギャラを払ってくれるかどうか分からないプロットを書き
ようやく脚本執筆にこぎつけたかと思ったら途中で中止になり
失望から立ち直った頃、二束三文のギャラが払い込まれる。
それすらこちらから催促しなければ払ってもらえない。
黙っていれば企画書やプロットの作成料金は、うやむやにされてしまう。
半年かかって1ヶ月分の生活費しか稼げないなら
リボ払いの残高の一括清算なんて夢のまた夢だ。

盛大に人生を棒に振ってしまった。

15年前だったら煙草に火をつける場面だったが
あいにく高木は禁煙していたし
当時から2倍の値段になった煙草を買う金も無かった。

ボールペンを指に挟んで
煙草を喫う仕草をする。
ゆっくりと口から空気を吸い込み肺に入れる。
一瞬の間を置き、煙を吐く時の唇の形をとって息を吐く。

なんとなく煙草を喫った時のような落ち着きを感じる。
――なんだ、呼吸の仕方だったんだな、と高木は思った。
わざわざニコチンを肺の中に入れなくても良かったのだ。

高木はパソコンの中の
ギャラが支払われた脚本も、ゴミ箱の中に入れ始めた。

もういい。
もういいよ。

プロデューサーや制作会社へのプレゼン用に作っていた企画書や脚本も
次々とゴミ箱の中に入れる。

作為に満ちたタイトルが付けられたファイルは
もういらない。

プロデューサーや監督が付けたタイトルのファイルもいらない。

もうタイトルなんて付けなくていいのだ。

カッコつけようとしたり
意味を込めようとこねくりまわしたり
どこかの誰かに気に入られようとして付けたタイトルの数々が
一瞬で削除される。

高木は、ほんの少しだけ深く息を吸い、
そしてゆっくりと吐き出した。

これからは
タイトルのない日々を生きるのだ。



【連作短編小説 それさえも日々の糧】
「 タイトルのない日々 」おわり

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