下手の横好きメールとnote

今日は今年に入って最初の土曜休み。何なら明日も休み。
いつぶりかもわからない土日連休、これが実にありがたい。

と言うのも、今日はラジオのメール募集が一気に来た。
午前中締め切りの番組が一つ、昼過ぎから募集の番組が一つ、晩から募集の番組が一つ。
仕事が入っていたら間違いなく書けなかっただろう。

いい休みになったと思う。
何せ一日かけて何個ものテーマでメールを書けるのだから、
いろんな角度から頭を使って考えられる。幸せな事。

上手い下手は度外視するとして、僕は文章を書くのが好きだ。
学生時代に何をやっても中の下だった僕が唯一褒められがちだったのが作文だったから、
その時の経験が今に影響を与えているのだろうと思う。
もういい歳なのでそこを誇るのもなんなんだろうが、褒められた経験と言うのは少ないだけに常に大事にしている。

で、それが十数年の時を経てメールに繋がった。
確かメール書きを趣味にしていることは以前書いたはずなので省略するが、
そこからさらに今noteを書くことに繋がっている。

前提としてメール投稿を始めてから文章力の乏しさに改めて直面した。
先の作文を褒められたというのと矛盾するようだが、そうでもない。
いわゆる『下手の横好き』なのだ。

だから文章を書く、そして人に物を伝える訓練としてこのnoteを書いている節がある。
長い文章を書いて文章構成を意識する、
そしてその意識をメールの短文にも採用する。
こうしてどんな長さの文章でも綺麗な文章にを書けるようになりたいと思っている。

しかし現在道半ば。文章力がないのは先の通りとし、
文章を書くための発想力にも乏しいのが現状だ。

ではその理由は何かと言われれば、おそらく人生経験の深みのなさに起因すると思う。
派手なイベントはないし、光も当たらずに今日と言う日まで生きてきた。

人との関わりも多く持たず、自分とばかり戦ってきた結果今がある。
色んな世界を知ればもっといろんな発想が出てくると思う。
でも、いまだに知らない世界はたくさんある。

だからといって取り返せない時間もあるし、今から知ろうにも知ることもできない。
この事実はずっと背負っていかねばならないのだ。

だからこそ、僕はメールを書くことを「頭を使う事」と捉えている。
少ないストックを消費するために頭を使ってそれをひねり出す。
以前も同じことを書いていないか、そんなことも考慮する。
これが難しいのだが、出てきた時の快感は中々だ。

だから面白いのだと思う。なんでもかんでもスラスラ書けたら逆につまらないとさえ思っている。
考えて考えて送り出すからこそ、そこに面白みを感じる。

そしてそれを目にした者が盛り上がったり、いろいろ考えてくれたり。
そうしてくれると下手の横好きな自称物書きは幸い、である。

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