『ぼくの名前はズッキーニ』クレイアニメであることを忘れてしまう子どもたちの心のリアル 公開中
原題:Ma vie de courgette ★★★★★
大きな頭と大きな目のクレイな子どもたちが、感情を持ち、心の中に入り込んでくる愛すべきストップモーションアニメ『ぼくの名前はズッキーニ』。
ようやく観ました。
ママを亡くしたイカール。ママが名づけてくれたズッキーニという名前を気に入っています。あんなママだったけれど、ママだから。
彼をはじめ、児童養護施設フォンテーヌ園にはさまざまな理由で集まった子どもたちがいました。
親が薬物中毒、強盗、強制送還、そして虐待を受けていた子も…。
ズッキーニは新入りとして“洗礼”を受けますが、ボス格のシモンとあることから打ち解けるようになります。
みんながみんな、事情を抱えて来ており、ひとりぼっちだと、見放されたと思っています。
やがて明るい性格でシモンもぎゃふんと言わせる(?)、女の子カミーユがやってきて、ズッキーニとも仲よくなりますが…。
個性豊かなキャラクターとその温かさとともに、どこかまがまがしさもあり、現代的な闇を感じさせる部分もありました。
思春期(第二次性徴)前の子どもたちらしい、無邪気な性への関心もあり、その辺りも微笑ましい。
その表現の仕方も子どもたち目線そのものですし、こうした話題をアニメの中に盛り込んでくる姿勢が、とても好ましい。日本の国民的アニメではなかなかできないことかもしれません。
隣の席で観ていた兄妹たちはどんなふうに思ったのか、聞いてみたい。
そして「ママに会いたい」よね、子どもたち。スキー場での、みんなの気持ちが痛くて、悲しくて、泣けました。
でも、彼らの友情はこれまで以上!
「ひとりじゃない」
これは時間を作って見てよかったと思える作品でした。きっと忘れない。
(C)RITA PRODUCTIONS / BLUE SPIRIT PRODUCTIONS / GEBEKA FILMS / KNM / RTS SSR / FRANCE 3 CINEMA / RHONES-ALPES CINEMA / HELIUM FILMS / 2016